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2011年5月27日
手が覚えていました
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夏が近づくと、蚊が飛ぶようになります。
そこで毎年この時期に、蚊取り器のノーマット(替えボトル)を買いに行くのですが、
店頭でいつも迷ってしまうのです。
「うちは、アースだったかな? それともキンチョウだったかな?」
この迷いは毎年続いています(笑)
 
先日、同じようなことがおこりました。
イズミヤさんで、洗濯洗剤の詰め替えを買おうとして、ハタと立ち止まりました。
「うちは、どこだったかな?」
目の前には、アタック、ニュービーズ、ボールド、トップ・・・・・・
「あーわからない・・・」
(別にどこのメーカーでもいいのですが・・・・・)
 
そこで、詰め替えの横にあったボトルを一つ一つ手にしてみました。
そして洗濯機に入れる時を思い出しながら、少し傾けてみました。
アタック・・・違う  ボールド・・・違う  トップ・・・違う  ニュービーズ・・・これや
手の感触では 「ニュービーズ」 でした。
 
そして、家に帰ると一番に洗濯機の所に行って確かめました。
「ニュービーズ」でした! めちゃくちゃうれしかったです。
こんなことがうれしいなんてアホみたいですが、うれしかったのです。
やはり手は覚えていました(笑)
 
職人さんは、ものさしで測らなくてもサイズが手の感覚でわかる とよく言いますが
私もちょっとそんな気分になりました(笑)
 
 
昨日、関西は例年に比べ10日以上も早く「梅雨入り」しました。
洗濯マンとしては、梅雨は困る季節です。
 
 

※今年の梅雨入りは、ここ60年では2番目に早いとテレビで言ってましたが、
1番目は昭和31年だったそうです。 その1番早かった梅雨の最中に私は生まれ
ました。昭和31年6月生まれ スゴイ!(笑)
 
 

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2011年5月24日
相方が市会議員に
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先日、びっくりする電話が入りました。
「もしもしナカジマ元気か? オレ6月から市会議員になるねん」
「えっ、なんて? もう1回言うてくれ、何になるって?」
「だから・・・・市会議員やって」
「シカイ ギイン・・・・」
 
 
私の大切な友人の桜井浩司が、
6月から滋賀県栗東市の市会議員になることになりました。
 
桜井とは、長いつきあいです。
桜井は、隣の高校でバスケットをしていました。私とライバル関係でした。
高校卒業後、思わぬところで再会したのです。
高知大学の入試現場(特別体育科)でした。そして・・・・・2人そろって不合格。
次に会ったのが、大阪教育大学の入試。そこで2人ともめでたく合格したのです。
高校時代のライバルが、同じチームで一緒にバスケットをすることになったのです。
自分たちで自分たちを褒めるのは気がひけますが、仲島・桜井のツーガードは
なかなか上手かったのですよ(笑) 当時、関西屈指のツーガードだった京産大
の杉本・三木ともいい勝負をしていましたからね(多分・・・笑)
そして2人は宴会では、いち早くピンクレディを踊っていました。その後たくさんの人が
踊るようになりましたが、一番早く踊ったのは私たち2人です(笑)
全国教育大学大会のレセプションで踊った「SOS」は大ウケでした。
「さすが大阪や」 と言われましたからね。
その後、アレンジした「ゴリラのUFO」もウケましたね。
他には、ぼやき漫才の人生幸朗・生恵幸子も2人でやりました(笑)
桜井が人生幸朗役で、私が生恵幸子役でしたが、ネタ作りはいつも桜井でした。
ピンクレディの振り付けも桜井が全部教えてくれるのです。
その天才的な相方が、今回市会議員になったのです(笑)
 
大学卒業後、桜井は教師にはならずに、ナントJRA(日本中央競馬会)に入り、
厩務員、調教助手をするのです。教育大学出身の異色の厩務員として有名に
なりました。また頭のよさを買われ、組合では重要なポストで活躍するのです。
大学卒業後、桜井と出会うのは、いつも阪神競馬場でした(笑)
 
あの阪神大震災の時は、
桜井が一番にかけつけてくれました。
震災2日目、大きなリュックをかついで滋賀県からやってきました。
リュックの中には、カセットコンロ、電気ポット、チキンラーメン、ポリタンク・・・・・
涙が出そうでした。
そして4日目から、娘(小6)と息子(小2)を滋賀県の家で預かってくれたのです。
これで私と妻は、自分の学校の避難所でしっかり活動できるようになりました。
桜井夫婦が親代わりになってくれて、娘と息子は信楽町の小学校に通いました。
毎日、連絡帳も書いてくれていました。休日には栗東の馬にも乗せてもらいました。
娘と息子にとって、忘れられない滋賀県での疎開生活だったと思います。
 
そして転機が訪れます。
3年ほど前に仕事中に大けがをして、しばらく休職していましたが、その時に自治会の
方にもお世話になったこともあり、体が動くようになると自治会活動にも参加するように
なり、とうとう自治会長にもなったのです。
そして今回、地元の市会議員の引退にともなってみんなから推薦され、JRAを退職し、
市会議員に立候補したのです。
 
あいつなら大丈夫と思います。
きっとみんなのために動く市会議員になってくれると思います。
「がんばれ桜井!」
 
 
7月に滋賀県へ仕事に行きますが、その時に会う約束をしました。
久しぶりの再会が楽しみです。
 
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 08:02 | TrackBack (0)


2011年5月21日
学級通信のすすめ
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今日の元気塾は、「学級通信のすすめ 〜学級通信を学級づくりに生かす〜 」
 
学級通信については、元気塾でもこれまで何度も話してきたのですが、
実は、2時間続けて話すのは初めてです。
これまで76回元気塾をしてきましたが、初めての単独テーマ「学級通信」でした。
 
・・・・・ということで準備にも熱が入りました。
前日には、私の学級通信(96年度)の1年間から、どうやって学級が変わっていったかを
説明するために、全212号分のほとんどを、SDカードにうつし、50インチテレビで紹介
できるようにしました。学級通信200号分を写真に撮り、SDカード化したのです。
けっこう時間がかりました。大変でした(笑)
 
でも今日それは、役に立ちませんでした。50インチテレビに映しても字が小さくて、前の
席の人にしか見えませんでした(涙) それに200枚の写真から、サッと希望の号を
取り出すのに時間がかかり、うまくいきませんでした(悲) あ〜あ。
でもその分、得意?の口でしゃべりまくりました(笑)
 
少しだけ感想の一部を紹介しますが、やってわかったのは、学級通信の話(研修)
って学校現場ですることはほとんどないし、案外書き方も迷っているんだって・・・。
 
★普段、学校では学級通信の書き方なんていうことは、ほとんど話題にのぼらないので
 今日のお話はぜひ聞きたいと思って参加しました。(K)
★私自身、子どもの時は学級通信に出会ったことがなかったので、元気塾に参加する
 ようになってから発行するようになりました。(H)
 ★今まで学級通信についてはあまり関心がありませんでした。しかし今日の話を聞いて
 とてもよいものであると感じました。(A)
 ★学級通信に対するイメージが変わりました。まずやってみます。(M)
 ★自分の学級通信の内容の薄さに気づかされました。自分は子どものうわべだけをみ
 ていたことに気づきました。こういう経験をバネにして自分を磨いていきたいです。(Y)
 ★学級通信の大切さを学びました。何を書けばいいのか悩んでいる自分がいましたが、
 はっきりわかったような気がしました。子ども理解を深める意味でも今後頑張りたいで
  す。言葉のもつ力を最大限に生かすことができる手立てだと思いました。(U)
 ★今日のお話は、本屋さんに売っている学級通信の本より、実りあるお話でした。(F)
 
 
このような感想があり、今後も元気塾で取り上げたいなと思いましたが、
今日の参加者の中には、「もう学級通信は任せて!」という先生もたくさんいます。
「昨年100号出せました」「今年は150号をめざします」そんな感想もありました。
今日も3人の先生が、うれしそうに自分の学級通信の冊子を持ってきてくれました。
「元気塾で学んだおかけで、こんな学級通信の冊子が出来ました」
そのうれしそうな顔は、まさに学級通信の成果なのです。
学級通信は、子どもにも教師にも保護者にも笑顔を運んでくれるものなのです。
「みんなのいい事」がいっぱい詰まっている学級通信は、小学校を卒業してからも
大人になってからも、笑顔と幸せを思い出させてくれ、元気をもらえるのです。
私も今回学級通信のSDカード化で、もう一度読み直しましたが元気になりました!
 

今日の元気塾の最後に、
私の4年担任時の学級通信第110号(1997年12月11日分)を読んだのですが、
実は昨夜読む練習をしていたら、
急にその時の状況が頭に浮かんできて、涙が出てしまいました。
でも今日は泣かずに読むことができました(笑)
 
そしてこの曲で今日の元気塾は終了でした。
「♪全てが僕の力になる!」  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=DAQDxExGIRw
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:16 | TrackBack (0)


2011年5月16日
大学の授業、無事終了
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今日で聖和短大保育科の教師論 (5時間) が終了しました。
 
講義が終わり、家に帰ると、ホッとして肩から力が抜けました。
たった5時間ですが・・・疲れましたわ(笑)
「学生を90分集中させるぞ」って力が入り過ぎていたのかもしれません(笑)
おもしろいことを言って学生を笑わせたりもしましたが、時には厳しく注意もしました。
その時は、教室の雰囲気が一瞬凍りましたからね(笑)
まあ学生たちは、笑ったり泣いたりして、楽しんで講義をうけてくれたと思います。 
今日の最後の授業が終わったあと、学生一人ひとりと握手をしてお別れしましたが
なんだか照れくさかったですね(笑)
 
 
感想の一部を抜粋して紹介します。
 
★仲島先生、5回の講義ありがとうございました。先生の講義を通して、いろんな人
との出会い、支え合う心、気づき、そして愛を学びました。講義のあとは毎回、あたた
かい気持ちになりました。辛くて苦しくなった時は、先生の言葉が思い出せるように、
先生のプリントをベッドの横に貼りました。そのプリントを親が見て 「あんた良い先生に
出会ったね」と言ってくれました。すごくうれしかったです。ほんまにほんまにありがとう
ございました。 (K.S)
 
★5回の授業、ありがとうございました。先生の話は毎回元気になれるものでした。
そして保育士としてがんばろう!って思える授業でした。先生のように愛情いっぱいの
保育士になって、子どもたちと接していきたいと思いました。(A.U)
 
★先生の5回の授業を私はこれからもずっと忘れないと思います。本当に毎回感動し
たし、先生は私にたくさんの貯金をしてくれました。保育士としてはもちろんですが、
人として大切なことを先生から教えてもらいました。(M.K)
 
★仲島先生の授業を聞くまでは、私は子どもに対して、やさしい先生になりたいと
思っていましたが、やさしいだけではなく、きちんと叱れて厳しくしないといけないこと
もあるんだなということを知ることができました。これからもしっかり勉強して、信頼さ
れる保育士になりたいと思います。(S.S)
 
★先生が最後にしてくれた「命の話」をきいて、私は人生をすごく楽しみたいと思い
ました。悩んでいることもあるけど、楽しいことを考えれば気持ちは楽になります。
自分の命の時間をどう使うかしっかり考えてみようと思いました。(M.N)
 
★仲島先生に出会えて、私の人生は大きく変わりました。たくさんの勇気をもらいました。
聖和に来て、先生に出会えて本当によかったです。私は中学の時にいじめにあい、辛か
ったです。人間不信に陥ることもありました。でも先生の話を聞いて、自分から話しかけ
てみようと思えるようになりました。やっぱり一人は寂しいです。今は本当に楽しいです。
先生の言葉を思い出すと、どんなことだって乗り越えられそうです。ありがとうございまし
た。(M.I)
 
★子ども目線で考えたり、保護者目線で考えたり、いろんな場面での対応方法など、
すごく勉強になりました。もっといろんな話が聞きたかったので残念です。(M.K)
 
★先生の授業って、ほんまにおもしろいです。私、勉強きらいやし、机にすわって話を
聞くのも、ほんまは好きじゃないけど、先生の話って、教科書とかより、もっと大切なこと
やと思って毎回この授業が楽しみでした。もっと先生の授業聞きたかったです。(Y.H)
 
★今まで熱い先生はたくさんみてきたけど、ここまで熱い先生はみたことがなかったの
でびっくりしました。ただ熱いだけではなく、芯の通った先生で、おもしろい時はおもしろ
いけど、けじめをつけないといけないときは、しっかり怒っていて、本当にいい先生だと
思いました。感動するお話もたくさん聞くことができてよかったです。中でも絵本の紹介
は本当に心に残りました。こんなに良い絵本があったんだなとためになりました。
また機会があれば教えに来てください。(S.T)
 
 
167名の学生のみなさん、ありがとうございました。
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 00:53 | TrackBack (0)


2011年5月15日
5月15日
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毎年書いていますが、5月15日は、私にとって特別な日です。
「しっかり生きる」 と確認する日です。
 
私が高校1年生15歳の時です。
1972年5月15日の朝
沖縄が日本に返還されるニュースが流れている最中に電話がかかりました。
私の小学5年の時の担任の玉川武司先生が亡くなったという知らせでした。
まだ27歳の若さでした。
バス停でバスを待つ列にダンプが飛びこんできての事故でした。
 
今年も5月15日がやってきました。
もうあれから39年になります。
 
合掌。
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 22:15 | TrackBack (0)


2011年5月13日
3勤 4休
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1週間に、3日仕事して、あとの4日は休み (3勤4休)
タレントの島田紳助は、今こんな生活だそうです。
あれだけテレビに出ている島田紳助ですが、3日間に集中して仕事をして、あとの4日は
ゆっくり沖縄などで過ごしたりしているそうです。
ホンマ羨ましいですわ。
たった3日間の仕事で、そんな生活が出来ているのですからね。
 
 
実は、私も今、「3勤4休」 の生活をしています。
でも島田紳助とは事情が違います 。
 
 
私の4月と5月は、1年で一番暇な時期で、仕事がないのです(悲)
今週も仕事は3本だけでしたし、来週も3本ですし、再来週も3本です。
「ええなあ」 と言われそうですが・・・・・その分、収入もないのです。
同じ3勤4休でも、島田紳助とは大違いです (笑・・いえ涙)
 
私の仕事は、依頼があってこそ成り立つので、
年度初めは「今年も仕事がくるかな?」って不安になります。
去年と比べたりすると余計に心配です。(今年の5月は去年より少ないのです)
公務員(教員)時代とは、ホンマ全然違う生活です。
「仕事が来ますように!」・・・・そんなことを祈る毎日です(笑)

 
ところで、休みの4日間は何をしているの?って疑問に思うでしょう。
家族にも言われます 「お父さん、今日は何をしていたの?」 って・・・・。
これが辛いのです(笑) 
その空いた時間に、執筆活動をしていたとか、教材研究に取り組んでいたとか・・・
そう言えるといいのですが・・・・実際はダラダラしていることが多いのです。
「あ〜今日も一日、何もせずに終わってしまった」
そんな反省をし 「明日こそは!」 と思うのですが・・・、
毎日同じ過ちを繰り返している私です(笑) 
 
 
では今日は何をしたか? 
今日は、家の掃除と洗濯2回(天気がよかったので)、買い物に行ったあとは、母の
病院にも行き、パソコンで体育科教育の原稿書きと大学の授業の準備もしたので・・・
「今日はこれこれしたよ」
って少し自慢げに言うことできる一日でした(笑) 
                         ・・・・・だからブログに書きました(笑)
 
 
3勤4休 充実した生活を送りたいものです。
 
 
 

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Posted by naka602 at 22:34 | TrackBack (0)


2011年5月11日
♪未来へ
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4月、5月と地元西宮の聖和短期大学で保育科の学生に授業をしています。
「教師論」15時間中の5時間を私が受け持っています。
 
・教師の仕事・役目
・授業づくり
・学級づくり(仲間づくり)
・保護者対応
・教師のやりがい
 
こんなテーマで話をしていますが、先日は 「保護者対応」 ということで、いろいろ
話をしました。 こんなお母さんがいた、あんなお父さんがいた・・・そんな出会いを
話しながら、こうやって対応していくとうまくいく、と教えるのですが、
毎年このテーマの時に、学生は自分の親を思い出すのです。
授業後の感想には、保護者対応の内容より、むしろ自分の親への感謝の言葉が
多くなっています。
 
 
今日の授業でキロロの「♪未来へ」という歌がかかりました。
私は中学校の時、バカでいろいろ悪いことをして、3者面談の時も怒られてばかりでした。
高校でも素直じゃなく、お母さんと出かけるのが恥ずかしかったりして、反抗ばかりして、
成績もよくなく、部活にも入っていませんでした。夜帰るのも遅くて、晩ご飯も一緒に
食べない日が多かったです。
卒業式で、この「♪未来へ」を歌うことになって、私は母が来るのが楽しみでした。
でも卒業式の2日前にケンカをしてしまい 「来なくていい!」 と言ってしまいました。
仲直りしないまま当日をむかえました。
この歌を歌う時、保護者席を見たら、一番前の席に母がいました。母は泣いていました。
私も歌いながら泣いてしまいました。
上手に歌えなかったのですが、家に帰ったら 「あんたの声、聞こえたで」 と言ってくれ
ました。 私、この歌、大好きです。  (U.M)
       (※尊敬する人は?という質問に彼女は「お母さん」 と書いていました)
 
 
 

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Posted by naka602 at 07:11 | TrackBack (0)


2011年5月9日
2011夏季セミナーのお知らせ
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今年の夏季セミナーの要項が決まりましたのでお知らせします。
 
【2011夏季セミナー in 神戸】
 
日時  8月6日(土) 10:00〜17:30
 
場所  兵庫県民会館 (神戸市中央区  JR元町駅 徒歩5分)
 
内容  
★子どもと本と学びをつなぐ 〜こんな時こんな本を パート2〜
         講師  曲里 由喜子 (帝塚山学院大学非常勤講師)
★大切な忘れものをしていませんか?〜ディズニーから学ぶ “おもてなし”の心得 〜
         講師  大路 亨 (元小学校長)
★あーよかったな あなたがいて 〜自尊感情を育む授業づくり・学級づくり〜
         講師  仲島 正教 (元気が一番塾主宰)
 
参加費  3000円 (当日徴収)
 
要申込  定員75名 先着順
       申込は、Eメール bffsb369@ybb.ne,jp  
 
 
 
※今年も、神戸開催です。 (再来年は再び沖縄開催の予定)
 夏季セミナーは申込が必要ですので、 Eメールでお願いします。
 詳しい要項は、HPのトップページの右横の 「夏季セミナー」を
 クリックすると出てきますのでご覧下さい。

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Posted by naka602 at 06:01 | TrackBack (0)


2011年5月4日
おっさん5人組 甲山登山
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3年前、北陸1泊2日珍道中をしたおっさん5人組が再び珍道中です(笑)
今回は、西宮の人間なら誰でも知っている名峰?甲山(かぶとやま)登山です。
 
かつて市教委で一緒に机を並べて仕事をした男5人もバラバラになり、
今はそれぞれの学校や部署で重要なポストで仕事をするようになりました。
そんなおっさん5人が久しぶりに集まりました。
 
「甲山(かぶとやま)で飲もう!」
阪急甲陽園駅12:30 そんな呼びかけで、5人が集まりました。
O型大西(仮名)から 「登山っていうても、たいしたことないから」と電話を受けた私は、
集合してびっくりです。なんと私とO型大西だけが、普通の靴に普通の服です。
他の3人は、それぞれ登山靴に登山服です。A型小畑は大きいリュックを担いでいま
すし、A型笠井はかっこいい登山服に帽子です。B型清水は保冷バックも持っていま
すし、リュックにはなにやらたくさん入っているようです。
「えっ、そんなに真剣なん?」
「当たり前やろ、甲山をなめるなよ(笑)」
 
そのあと、駅前のコンビニで、ビールにおにぎり、おつまみ、カップ麺をいっぱい買って
さあ、登山です!(・・といっても標高309mです(笑))
甲山の周りの森林公園は、これまで何度も遠足等で行っているのですが、
甲山山頂までは久しぶりです。
甲陽園の駅から急な坂道を登りながら、麓の神呪寺に着きます。神呪寺までは
森林公園からのルートで登ったことはありましたが、正式な参道を初めて通りました。
「こんな参道があったんや、知らんかったわ」
 
神呪寺には、自分の体の悪い部位と同じ所をさすれば病気が治るという仏さんがあり
ます。5人はそれぞれ真剣に仏さんの体の部位をさすりました(笑)
O型大西は、メタボ気味の体を心配したのか、仏さんのおなかをていねいにさすって
いました。B型清水とA型笠井は頭をさすり、A型小畑は胃の部分をさすります。B型
清水は昨年頭の手術も受けたのでなおさらです。私は先日の人間ドックで目の再検査
(緑内障の疑い)をしなさいと言われたので、仏さんの目をさすらせてもらいました。
みんなそれなりの歳になりました(真顔)
 
神呪寺からは一気に山頂へ上がっていきました。
山道を約15分で山頂なのですが、B型清水は、若い時にここで陸上部の特訓を
していたそうです。中学生は3分ほどで駈けあがっていたそうです。そして1分ほど
で走り下りてくるというのですから、びっくりです。
今はそんな特訓したら怒られるでしょうね。怪我しそうです。
 
13:35 無事山頂に到着しました。
甲山の山頂は広場になっていて、登山客や家族づれや若者たちが憩える場所です。
(以前遠足でも連れていきました。けっこう広いのです)
今日も人が多いです。小さい子どもを連れた家族もいますし、年配夫婦や若い女性の
グループもいました。知り合いの先生にも出会いました。
 
そんな広場で、おっさん5人が宴会です(笑)
A型小畑はさすがです、大きなリュックから、5人が十分座れるレジャーシートを出して
くれました。B型清水は保冷バックからビールを出します。そして西宮の地酒も出して
きます。A型笠井は、コンビニで買ったものを自分のリュックから出します。
私とO型大西は、普段の格好でしたので、リュックも小さめです。私の小さなリュックは
自分のウインドブレーカーしか入りませんでした。すんませんでした(ペコリ)
役に立たない仲島とO型大西でした。
 
ビールを飲み、地酒を飲み、おにぎりとおつまみを食べながら、
「カップ麺はどうやって食べるんや」
するとA型小畑が
「湯をわかすものを持ってきた」
というので、てっきりキャンプ用の湯沸かしバーナーだと思っていたら
A型小畑の大きなリュックから出てきたのは、なんとカセットコンロでした。
「こんなもんリュックに入れてきたんか(笑)」
ということで、カップ麺も、そして食後のおいしいコーヒーまで飲むことができました。
 
そんな中、おっさん5人の話は延々と続きます(笑)
それぞれの職場のことや身体のことなど話は尽きませんでした。
いつもは飲み屋で話すのに、今日はお天道様の下でワイワイガヤガヤ・・・・。
気がつくと、周りにいた人たちもいなくなり、山頂広場には私たち5人だけでした(笑)
時計は午後5時を過ぎていました(笑)
「いつまでおるねん!」
 
下山する頃には酔いもさめて、しっかりした足取りで帰路につきました。
「なんて健康的な飲み会や」
 
 
そんな楽しい連休のひとときでした(笑)
 
 

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Posted by naka602 at 22:07 | TrackBack (0)