2018年4月29日 |
今さら何を言うねん |
「新トレーニング 心にも効果」・・・・スポーツに関係する特定の技術や体力ではなく、どうすれば思い通りに体を操ることが出来るかを教える指導法が、学校の体育などで広がっている。動きの出来栄えよりも、身体を動かそうとする感覚が重視され、前向きな気持ちを培うなど心理面への効果も注目されている。 この指導法は「コォーディネーショントレーニング」と呼ばれる。 NPO法人日本コーディネーショントレーニング協会(JACOT)の プログラムを開発した徳島大の荒木秀夫名誉教授によると、運動を をより速く学習する力や、体を思い通りに動かす力を培うという。 「姿勢やバランスを保つ」「多様な動きを実現する」「動きを自由に 変化させる」といった運動の基礎になる要素に着目し、それぞれを 確実にする方法を体系化している。 ※英語のCo-ordinationは「調整力」という意味で 「筋力」「スピード」「持久力」「柔軟性」と並ぶ体力要素の一つ。 トレーニングの理論は1970年代に旧東ドイツで発展した。東京都に プログラムを提供しているJACOTによると、自治体での取り組み例 は100を超えるという。本場のドイツでは、競技の専門的な強化方針 の中でも重要な位置を占めており、日本でもサッカーやバスケット の指導者養成でも教えられるようになってきた。 というような記事が、あたかも「新しい取り組み」「素晴らしい実践」 と新聞に取り上げられていたのです。 「コォーディネーション」は日本語でいうと「調整力」です。 実は「調整力」ってずっとずっと昔から、体育の世界では言われてきた 言葉です。小学生の頃は「調整力」が伸びる時期、「筋力」や「持久力」 は中学生以降に伸びるので、小学生に「腹力」や「持久力」のトレーニング をしてもあまり効果はない。 小学生の時期は、多様な動きづくりが大事で、たくみに体を動かす巧緻性を 養うこと、それが調整力ということです。 それを文科省(当時は文部省)も早くからわかっていて、昭和52年(1975年) の学習指導要領で「基本の運動」として位置づけたのです。その趣旨は今も 変わっていません。今回の学習指導要領改訂(平成30年)では「基本の運動」 という言葉はなくなりましたが、趣旨は同じことが示されています。文科省は 40年以上前から、ちゃんと学習指導要領に位置づけているのです。ちょうど 旧東ドイツが言ってた頃と同じです。 それを新聞が「新トレーニング」と書いたり、大学の先生が わざわざ英語に直して「コォーディネーション」と言ったりすることに 「何を今さら言うねん」と思うのです。 新聞社は、もっとしっかり勉強してほしいし、 大学の先生は、日本語で「調整力」って言ってほしいのです。 ただ、現場の先生たちにとって「調整力」を高める運動の方法は 40年経っても、なかなか難しい指導なのです。 だから体系化されたプログラムが必要になってくるのは仕方ないし、 新聞が改めて取り上げてくれたのは、とてもいいことなのです。 そういう意味では、 今回の記事を批判するとともに称賛している私です。 (どっちやねん) でも本当は、調整力は 子どもたちが外遊びの中で自然に身に付けていくのが本来の姿です。 先日、新聞の教育面にこんな記事が載っていました。えっ何を今さら言ってるの?そんなことはもう40年以上前から言われていたのに(1975年学習指導要領)続きを読む... |
Posted by naka602 at 10:26
| TrackBack (0)
|
2018年4月24日 |
元気に動き始めました |
それにしても母は、私と姉の仕事の合間に天国に行くという離れ業をやってのけました。私も姉も仕事に穴をあけることはありませんでした。最後の最後まで子ども思いの母でありました。 通夜、告別式には、みなさんお忙しい中、たくさん参列いただき、 本当にありがとうございました。 中学高校時代の友人もかけつけてくれたり、地域の方、職場のみなさん、 教え子も来てくれました。 そして宝塚市長、尼崎市長、宝塚市教育長、尼崎市教育長も 公務の合間にわざわざ参列いただき、恐縮してしまいました。 通夜では、姉がお礼の言葉の中で、 母の教育者としての歩みを話しました。 身内をほめるのはおかしいのですが それはそれは凄い経歴を歩んできた母でした。 本当に偉大な教育者の母でした。 告別式では、私が 母の子育てについて話しました。 姉と私がどんなふうに育てられたのか、 どんな言葉をかけられたのかを話しました。 本当に尊敬できる母であり、自慢の母でした。 式場内には、 母が昭和37年に作った「研究発表資料」を貼らせていただきました。 今から56年前の資料です。模造紙に母の手書きできれいにまとめて 書いてありました。保存状態もよく、内容は「特別支援教育」のことで 今でも十分通用するものだと思います。 また昭和37年「養護学校教諭免許」(兵庫県第1号、これは全国でも第1号) 昭和17年「国民学校訓導」 昭和33年「尼崎養護学校着任」(創立時) も掲示しました。 母は女学校を卒業してすぐに教師(助教)になりました。16歳の時です。 それから定年退職まで勤め、その後も75歳まで学校に通いました。 なんと60年間、教師を続けました。凄すぎます。 その間に、東京教育大学、神戸大学、大阪教育大学、佛教大学に 内地留学もしています。この時代にこれも凄すぎます。 母は女子教育の先駆者でもあると私は思います。 また東井義雄さんや河合隼雄さんとも一緒に仕事をしたというの ですからびっくりです。 そんな仕事人間だったのに 母としても、姉と私をこんなふうに育ててくれたのですから 本当に凄い人だと思います。 ここ5年ほどは、ずっと病院暮らしでしたが ベッドの横には、いつも本があり、ラジオがありました。 ラジオではNHKの高校講座も聴いていました。 ここ数か月、身体は徐々に弱ってきましたが、心はしっかりして おり、政治状況もちゃんと知っていました。 最後の1週間は、呼吸が苦しくなり、死因は急性呼吸不全という ことですが、老衰ということでしょう。幸せな逝き方でした。 みなさん、本当にありがとうございました。 母(93歳)の通夜(22日)告別式(23日)も無事に終わり、今日の朝から、私は伊丹市と大阪・豊能地区の初任者研修会、姉は阪神地区議長会と元気に動き始めました。きっと母も天国から「しっかり頑張りなさい」とエールを送ってくれていると思います。続きを読む... |
Posted by naka602 at 22:08
| TrackBack (0)
|
2018年4月20日 |
自慢の母親でした |
10日ほど前「チョコレートが食べたい」と言ってたので 看護師さんには内緒で、昔ながらの明治ミルクチョコレートを こっそり食べさせてやると「美味し〜いわ、この味」と喜んでいました。 今日は午前も午後も仕事が入っており、午前から午後の仕事の移動中に 連絡が入りました。ショックですが、こんなときにこそ頑張らないと 母に叱られます。 「西宮市民生児童委員総会記念講演会」 精一杯頑張りました。 講演の真ん中あたりで「♪いのちの理由」をかけましたが、 この時だけ、ちょっと泣きそうになりましたが耐えました。 そして80分無事に終了しました。 自分で言うのはおかしいですが、とてもいい講演が出来たと思います。 きっと母のおかげです。 母に会いに行くと、もう冷たくなっていました。 「ごめんな遅くなって・・・」 でも母はとても素敵な顔で、私を迎えてくれました。 「いいよいいよ。よく頑張ってきたね」 そう言っているようでした。 頬寄せると肌はつやつやしていました。 そして少し笑ったような気もしました。 とてもいい顔で、とても幸せそうに逝きました。 本当に素敵な93年間の人生でした。 あっぱれ!あっぱれ!あっぱれ! 私の自慢の母親です! 通 夜 4月22日(日)18時〜 告別式 4月23日(月)10時30分〜 クレり宝塚ホール みなさま、本当にありがとうございました。 今日のお昼過ぎ(12時48分)に母が亡くなりました。93歳のあっぱれ人生でした。ここ数日は呼吸不全を起こし苦しそうでしたが、それまでは体は弱っていても、心はずっとしっかりしていた母でした。続きを読む... |
Posted by naka602 at 21:39
| TrackBack (0)
|
2018年4月15日 |
福田先生に感謝 |
3年前、その福田先生と息子・雄介は、同じ学校で同僚となりました。 一緒に6年生も持ちました。 福田先生が息子を教師として鍛えてくれました。 仲島正教様 福田です。お久しぶりです。 今日は離任式でした。 雄介さんの離任式です。 雄介さんはこの日も校門の前で子どもたちを出迎えていました。 そんなことができる雄介さんは本当に素敵だなぁと思います。 雄介さんに言葉と花を贈るのは、 昨年度雄介さんが担任していた新2年生です。 不思議なことに,新2年生の担任は私です。 本当に縁を感じました。 朝,子どもたちに雄介さんへの言葉の練習をさせていると、 私も涙が出てきました。 雄介さんはもちろん泣いていました。 3年間、雄介さんと一緒に仕事をさせてもらい、本当に楽しかったです。 きっとまた、どこかで一緒に仕事ができると信じています。 写真を添付します。 福田祐二 息子は、父の私には学校のことはそんなにしゃべりません。 (昔の私もそうでした) 福田先生はそんなことをわかってか、こうやってメールや写真を 送ってきてくれるのです。 親心までわかってくれる本当に優しい福田先生です。 これも私は直接聞いていませんが、 息子が姉にしゃべったようです。 「子どもとの別れにも涙が出たけど、最後に福田先生がハグしてくれて 号泣してしまった」 福田先生、ありがとう! 本当にありがとうございました。 これからもどうか息子をよろしくお願いします。 今日は息子の32歳の誕生日です。 おめでとう雄介。 一昨日、福田先生からメールがきました。福田先生は、14年前の元気塾の第1回目から来てくれた先生です。福田先生は元気塾における私の自慢の教え子です。続きを読む... |
Posted by naka602 at 19:12
| TrackBack (0)
|
2018年4月13日 |
すずめの涙 |
昨日は、ナレーターの 「すずめは泣きませんでした」 の言葉のあとに 私はテレビに向かって 「おじさんは泣きました」 と返事をしました。 「すずめ」とは主人公「楡野鈴愛(にれのすずめ)」のことです。 今日は、その「すずめ」がとうとう泣きました。 その「すずめの涙」に号泣してしまいました。 お母さんの涙にも号泣。 おじいちゃんの言葉にも号泣。 弟のプレゼントにも号泣。 そして律くん(すずめの同級生)の優しさにも大号泣です。 「なんて優しいんや」 もう朝ドラから目が離せません。 NHK朝ドラが始まりました。前回の「わろてんか」が、私の中では笑えなくて・・・次の朝ドラに期待していました。今日の新・朝ドラ「半分、青い」は、私の「いい朝ドラの指標」となる「再放送を見るか」という点では、7:30BS、8:00地上波、12:45再放送と3回見ました。続きを読む... |
Posted by naka602 at 16:41
| TrackBack (0)
|
2018年4月7日 |
今日もこんな出会いが・・・ |
さて 今日はバッティングセンターで面白い出会いが二つありました。 一つ目は、私と岡本先生の横で、少年が軟球ではなく硬球をバンバン 打っていたので声をかけてみました。 「頑張ってるね〜。今いくつ?高校生?」 「今度高校1年です」 「どこの高校に行くの?」 「尼崎西高校です」 「えっ、尼西か〜」 驚いた私は、岡本先生を指さして 「この人(岡本先生)は尼西野球部やで。かつて甲子園に出た頃の強い時 の野球部の先輩やで」 すると岡本先生も嬉しそうに 「僕らの先輩は甲子園に出たんや。僕らはあと1勝で甲子園を逃したんやけど 強かったんやで。そうかあ後輩になるんやな。嬉しいなあ」 そして、さっそく先輩として後輩のバッティングにアドバイスをしていました。 すると、少年の打球の勢いが変わりました。さすが先輩、さすが岡本先生。 そのあとです、二つ目の出会いは。 私がゲージで打っていると向こうからニコニコして見ている人が・・・ 「あっ、井村さんだ」 井村さん70歳。我が「甲子園スター」の中心選手。名門熊本工業野球部出身。 そして私の教え子井村君のお父さんです。 まさかこんな所で出会うとは、この偶然にビックリです。 そしてナント私がその時に着ていたTシャツは、井村さんの息子がしている 「イムラアスリートアカデミー」のものでした。 なんというグッドタイミング。この偶然にも驚きました。 ※井村君・・棒高跳びで高校日本一、大学日本一。100mも10秒台。 現在イムラアスリートアカデミーで子どもたちの育成をしている 夜、井村さんの息子(教え子)にメールをしました。 「今日、バッティングセンターで練習をしていたのですが、そこに お父さんがやって来られました。この偶然の出会いにビックリ仰天。 そして偶然にも私はイムラアスリートのTシャツを着ていたのです。 凄いでしょ(ツーショット写真添付) お父さんは野球が本当にうまいです。それだけではありません。 練習前も練習中も練習後もちょっとでも時間があるとグランド整備を されるのです。その姿を見て、いつも尊敬しています。 お父さんは、私の下手な打撃や守備にも、少しでもいいところがあると 声をかけてほめてくださいます。嬉しいですよ、この一言が。 お父さんは本当に素敵な人ですね」 すると井村くんから 「先生の物事に対する努力も、父の野球に対する情熱にもびっくりです。 父が幼少期から様々なスポーツに触れる機会を与えてくれたので、私 自身の人生があります。未だに小さい頃に感じた父のスポーツ万能さ には到底追いついていないと感じます。そんな父をとても尊敬していま すし、感謝しています」 ホント素敵な井村父子です。 以前は井村息子と過ごし、今は井村父と過ごす私です。 この巡り合わせに感謝し、幸せを感じます。 その後、バッティングセンターであの少年は、 尼崎西高校の先輩(岡本先生)と熊本工業の先輩(井村さん)の2人の 巨匠にしっかり指導を受けていました。 少年は、緊張しながら打っていました。大変(笑) でも2人の巨匠から「なかなかいいぞ。これから伸びるぞ」の言葉に 笑顔でうなずく少年でした。 「頑張れ〜〜!有馬はると!」 今日は岡本先生とバッティングセンターで練習をしました。脚の怪我もほぼ完治し、思い切り振ることが出来ました。時々バシッと打てる時がありますが、この快感がたまらなくいいのです(笑)プロ野球のヒーローインタビューで「打った瞬間、手応えがありました」と答えている選手がいますが、その気持ちが少しわかるようになりました。続きを読む... |
Posted by naka602 at 22:18
| TrackBack (0)
|
2018年4月3日 |
こんな出会いが・・・ |
そしてもう1人、こんな新入生が声をかけてくれたのです。 それは5年前にさかのぼります。 2013年10月22日の私のブログです。 「学級目標はクレッシェンド」 今日は、小野南中学校2年生の特別活動「学級活動」の授業研究会でした。 中学校での特活の研究授業はなかなか見ることはありません。 昨夜、指導案を見ながら 「この展開は難しいなあ。中学生はたぶんうまくいかないだろうなあ」 と思っていました。この展開ではなく、こんな展開ならどうかという 代案まで私は用意していました。 そんな思いで小野南中学校に着いたのですが・・・・ 着いてみて、考えが変わりました。 着いたときは清掃時間だったのですが、生徒たちはそれはもう 一生懸命に掃除をしているのです。そして元気にあいさつをして くれます。授業前、教室に行く途中、隣のクラスの合唱練習が 聞こえてきました。生徒だけで練習をしていましたが、あまりに いい声なので、私はその教室に入り込んでしまいました。 掃除を一生懸命にする、あいさつができる、合唱がうまい。 これはいい授業が見られるかもしれない、そんな予感がしました。 そして授業公開の2年3組に入ると、もう温かい雰囲気が伝わってきま した。若い山内先生と生徒たち34人の笑顔が飛び込んできたのです。 これはいい授業になる、確信しました。 授業はその通り、いい雰囲気のまま難しい展開がいとも簡単に進んで いきました。 スゴイ! 不登校気味のA君も今日は久しぶりの出席でしたので注目していましたが、 周りの友達は彼のことを気にしつつ、ごくごく普通に接していましたので、 彼も普段通りの姿でがんばっていました。ホントいい感じの仲間たちでした。 担任の山内啓右先生から、授業後にこんな話を聞きました。 「実は私は数年前に仲島先生の講演を聞いて『優しい』という意味を知り、 ずっと意識していました。でもまだまだ失敗ばかりでうまくいきません」 そんな謙虚な山内先生ですが『優しい』の学級づくりが しっかり出来ていました。すばらしいです。 山内学級の学級目標は「クレッシェンド(だんだん大きく)」 これからまだまだ大きくなっていくことでしょう。楽しみです。 (※山内先生は音楽の先生で、吹奏楽部の顧問) いい授業を見た後は、なんだか気持ちがいいです。 ホンマいいものを見させてもらいました。 ありがとうございました、山内先生。 これからも応援しています。(2013.10.22) 講演終了後、声をかけてくれたのは このブログに出てくる2年3組の女生徒でした。 「私はあのブログの生徒です。担任の山内先生に憧れて私も先生に なりたくて関学教育学部に入りました」 「あのブログを書いた先生とはどんな先生だろう? 山内先生が意識した仲島先生ってどんな先生だろう? って思っていました。今日、その先生の講演が聞けて感動しました」 いやぁ〜びっくりしました。 5年後にこんな出会いがあるのですね。 こんなつながりがあるのですね。 それがもう嬉しくて、嬉しくて・・・。 山内啓右先生、 素敵な教え子が関学に入りましたね。 きっときっと山内先生のような優しくて素敵な先生になってくれると 思います。 関西学院大学教育学部の新入生350名に「あーよかったな先生になって」という講演をしてきました。終わった後に、つい4か月前に鳴尾高校で私の講演を聞いた新入生が「まさかまた聞けるなんて、感動しました」と言ってくれました。また3年前に三田祥雲館高校1年で私の人権講演を聞いた新入生も声をかけてくれました。続きを読む... |
Posted by naka602 at 23:41
| TrackBack (0)
|
2018年4月2日 |
歯医者さんの愛 |
「歯医者さん」の愛 歯医者さんで「親知らず」を抜きました。 ミシッという音と共に大きな「親知らず」が抜けました。 大きな穴が残りました。 帰るとき、 「もし痛くなったら、この薬を飲んでくださいね」 その言葉がかえって、不安感をよびました。 夜の10時、一本の電話がかかってきました。 「どう?痛くない?大丈夫?」 「はい、大丈夫です。わざわざありがとうございました」 「でももし痛くなったら、夜中でも電話くださいね。 すぐに診てあげるから・・・」 その言葉が私に安心感をあたえました。 あれから20年。引越しもしました。 でも歯が痛くなったら、今も電車に乗って その歯医者さんに通っています。 (2004年2月「優しさというビタミン愛」第1集より) 今日もこの歯医者さんへ電車に乗って行ってきました。 28歳の時からですので、今年でもう34年になります。 私は62歳、歯医者さんは72歳になりました。 すっかり仲よしで、治療よりしゃべっている時間の方が長い時も あります(笑)でもこれは私だけではありません。他の患者さんも よくしゃべります。みんなこの歯医者さんが大好きなのです。 予約制です。でも痛い時はいつでも診てくれます。 「行ってもいいんですか?」 「だって痛いんでしょ。すぐにおいで」 と痛い時ほど、すぐに診てくれます。 他の歯科では「予約は2週間後です」と平気で言われます。 受付は、学生さんなのですが、いつも笑顔で優しいのです。 ちょっとした声かけに癒されるのです。 みんなええ子なんです。 きっと歯医者さんがそういう子を好んで選んでいるのでしょう(笑) というかそういう教育をしているのでしょう。 私はそんな歯医者さんが大好きで、美味しいケーキを見つけると 買って持っていき、先生と学生さんに食べてもらいます。 この前は、きれいな花をみつけたので持っていきました。 そんなふうについ「買っていきたくなる」歯医者さんなのです。 今日は治療が終わると患者は私一人でした。(最後かな) すると先生が 「仲島さん、これ貰い物だけど、持って帰ってね」 と紙袋をいただきました。 ずっしり重い紙袋の中には りんご、バナナ、みかん、生卵1パック、煎餅、そして巻きずし が入っていました。 これはきっと今日一日で、患者さんからもらったものだ とすぐに わかりました。 患者さんが「これ、先生食べてね」と持ってきたのでしょう。 そのお裾分けです。 離島の小さな学校に赴任した先生に、村のお母さんやおばあちゃんが 「先生、これ畑で取れた新鮮な野菜だよ」と持ってきてくれることが ありますが、そんなシーンが頭に浮かびました。 この歯医者さんは、そんな存在なのです。 地域に根付いて40年近く、みんなに愛されてきた先生なのです。 その歯医者さんが、今危機なのです。 入っている施設の都合で、夏までに出ていかなくてはいけなくなった そうなのです。 「こういう機会に歯科医院をたたもうかな。もう歳だし・・」 そんな弱気なこと言う先生をみんなで 「やめたらアカン、絶対やめたらアカン」 先生本人も元気なので 「まだやりたい気持ちはあるんだけど、場所がないから・・」 「場所はみんなで探すから、やめないで〜。やめたらアカン」 ホンマに不動産屋さんにあたろうかと考えている私です。 私は先生に 「先生は『弱い人を助ける小さな街の歯科医』としてテレビに出る人や」 「20年後には『92歳の現役歯科医』として情熱大陸で紹介される人や」 と言い続けています。 「先生、やめたらアカン」 もう14年前になります。西宮市から依頼があり「優しさというビタミン愛」という冊子を出しました。その中にある「歯医者さんの愛」を紹介したいと思います。続きを読む... |
Posted by naka602 at 20:30
| TrackBack (0)
|