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2010年3月31日
絵本の魅力
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夕方、飲み会に行くために自転車で疾走していた私に
「あっ、なかじませんせい〜」
の大きな声がかかりました。
キキッと自転車を止め振り返ると、子ども連れのお母さんがこっちに走ってこられました。
 
そして
「私、以前に、K小学校で仲島先生の講演をお聞きしました。
その時に先生が 「しゅくだい」 という絵本を読んで下さったのですが、
それに感動しそれ以来、絵本の魅力にハマってしまいました。
そして今、絵本講師をしているんです。
これも先生との出会いのおかげです。
こんな所で偶然お会いできて本当にうれしいです。
大きな声を出してすみませんでした」
と息をはずませながら、話してくださったのです。
 
そして
「実は今日、名刺を作ったところです。その第1号を仲島先生にお渡しします。
本当にうれしいです。この偶然にも驚いています」
と、真新しい名刺を頂きました。
 
   NPO法人「絵本で子育て」センター
          絵本講師  久賀 弥生
   http://www.holpforum.com/kosodate/kosodate01.html
 
 
私の絵本の読み聞かせは、ええ加減な読み方です(笑)
そんなテキトウな読み聞かせだったのに
それがきっかけになったとは・・・
「出会い」って・・・・・本当にすごいですね。
なんか感動してしまいました。
 
久賀さん、大きな声で呼び止めてくださり
ありがとうございました。
 
そのあと自転車を飲み屋さんに向けて、また疾走しました(笑)

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2010年3月30日
今年度も無事終了
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おととい金沢に、きのうは熊本に行ってきました。
そしてきょうの西宮の仕事で今年度の仕事がすべて終了します。
この1年も元気に無事過ごすことが出来、ホッとしています。
 
私の職業は?と聞かれると「自営業」です。
仕事がないと収入は減るし、病気になると収入は0になってしまうのです。
今までのように毎月一定に収入があるという安定した生活ではないのです。
でもこの5年間なんとか無事にできたは、本当に幸せなことでした。
多くの人に支えられ、いろんな人と知り合い、つながれたことに
感謝の気持ちでいっぱいです。
 
5年前の2005年3月31日、26年間の教師生活を辞めました。
あれから5年が過ぎました。
教師に未練はない、といえば嘘になりますが、いい5年間だったと思います。
 
 
4月は、私のシーズンオフです。
1年で一番仕事が少ない月です。収入もバイトなみです(笑)
年度初めでみんなが一番忙しい時が、私には一番暇な時期なのです。
そりゃそんな忙しい時に講演会なんかしませんよね。
だから私が暇なので、遊びに誘っても誰も相手にしてくれません(悲)
 
でもこの時期に、1年間使う資料を作り直したり、整理をしたりしています。
そしてなにより自分の体と心を休め、リフレッシュする時期でもあります。
 
1年間みなさん、ありがとうございました。
来年度もどうぞよろしくお願いします。
 

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2010年3月21日
センバツ、嘉手納高校
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3月21日第82回選抜高校野球大会が開幕しました。
 
私は何度も甲子園で高校野球の試合は見ましたが、開会式は見たことが
ありませんでした。
今回は沖縄講演でお世話になったキャリアセンターの神谷さん(嘉手納高校OB)と
現嘉手納高校教師の祝嶺先生と富永先生と一緒に開会式を見ました。
それはテレビで見るのとは大違いでした。目の前を一生懸命に行進する球児の姿に
自然と涙がこぼれてしまいました。関係ない私がこの調子ですから、関係者の3人は
というともちろん大泣きです。大きなタオルで何度も何度も目を拭きながら拍手をされ
ていました。感動の開会式でした。見てよかった、本当に。
 
そして第2試合に早々と嘉手納高校が登場しました。
沖縄からはJALのチャーター便が飛び、嘉手納町から大勢の応援団がやって
きました。アルプススタンドは超満員でした。入りきれない人は内野席と外野席にも
分かれるという状態でした。そんな超満員のアルプス席のど真ん中に私も入れてもら
いました。嘉手納の応援服に、応援帽子をかぶって、私もすっかりカデナンチュです。
いやーーーすごかったです、その盛り上がりが・・・。大きな声援に、大きな指笛、
「ハイサイおじさん」の曲に合わせて踊りまくり、アルプススタンドが大きくゆれるの
です。相手の花咲徳栄高校のように統制のとれたきれいな応援ではありませんが、
嘉手納応援団は、まさに心を一つにした応援でした。
結果は、残念ながら4−0の敗戦でしたが、終わったあとも大きな声援と大きな指笛
で選手を励ます応援団に感動してしまいました。
「がんばったぞ〜」
「ありがとう〜」
「夏もつれてきて〜」
そんな温かい声がいつまでも鳴りやみませんでした。
 
 

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2010年3月20日
J#m(ジェイシャープマイナー)
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保育所や幼稚園、小学校のPTA講演の中で、
私が、時々紹介する参観日(音楽の授業)の作文があります。
その中で、町田君という子の作文を読んでいると、会場では
町田君の優しい言葉に涙ぐむ方がたくさん出てきます。
 
先日あった同窓会で、「町田君が歌手になるらしいぞ」
という噂をきくと、みんな 「やっぱり」 とこたえるのです。
 
そんな町田君(22歳)が、とうとう歌手デビューしました。
 
 
3月20日大阪・三国が丘 「ライブハウスFUZZ」 (知る人ぞ知る有名な所です)
町田君がボーカルの 「J#m(ジェイシャープマイナー)」 というフォークデュオの
初ライブが行われました。
私は一番前で、しっかりと町田君のデビューをみてきました。
さわやかな2人組の響き合う歌声にうっとりしながら30分のライブを堪能しました。
雰囲気はコブクロです。町田くんがコブクロの黒田風、もう一人の子が小渕風です。
いつもは路上ライブの彼らが、慣れないスタジオのライトに照らされ、汗いっぱい
かきながらの熱唱でした。会場からも大きな拍手が起こりました。
メジャーデビューはまだまだですが、これからの活躍を祈るばかりです。
 
ライブのあとに、メールを送ると町田君から返事が返ってきました。
「今夜はお忙しい中、ほんまにありがとうございました。
 一番聞いてもらいたかった仲島先生に聞いてもらえて念願叶いました。
 また成長した姿を見せれるように日々頑張っていきます!」
 
がんばれ町田くん、がんばれJ#m(ジェイシャープマイナー)!
 
 

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2010年3月18日
いつまでも教師
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1982年(昭和57年) 3月30日 朝日新聞 「声」 より
 
  〜「42年間の教師生活、お母さんご苦労さま」〜
 私の母は、3月末で42年間にわたる教師生活を終えます。
42年と一口で言っても、それはそれは長いものです。
その間に戦争があり、結婚、出産、子育て、子宮がんとの闘い、
子どもの結婚、孫の誕生と、女として、母として、さらに教師としても、
私には想像もつかない苦労があったと思います。
 朝早く起きて家事をすませ、皆より早く家を出て
夕方遅くに重い荷物を持って帰ってくる母。
夕食の後片付けをすませ、
家族が寝静まってから持ち帰った仕事をする母。
 私は卒業式に一度も母に来てもらったことがありませんでした。
母もちょうど自分の学校の卒業式などと重なっていたからです。
でも不思議と一度も不満に思ったことはありませんでした。
今考えれば、何に対しても真剣な母の姿を見ていたからだと思います。
 そんな母を見て育った私も、今、母と同じ道を歩んでいます。
お母さん、42年間、本当にご苦労さまでした。
          (宝塚市 仲島正教  小学教員 25歳)
 
 
今から28年前の懐かしい記事です。
母に、面と向かって 「退職おめでとう」 と言えなかった私が考えた苦肉の策でした。
 
 
そんな母も今年で86歳になります。
先日そんな母に、かつての教え子たちから同窓会のお誘いがきたようです。
終戦の年に、5年6年を担任した子ども達からです。(出石・弘道小学校)
「内藤先生、絶対に来てくださいね。自宅に迎えに行きますから・・・」
と何人もの子から電話があったそうです。
電話では、懐かしい思い出もいっぱい語ってくれたようです。
「出来ない僕にも、いつも漢字をていねいに教えてくれたよ」
「けんかをしたときは、家に来てくれて、私をかばってくれたんです」
「中学校の試験の時は、内藤先生が自分の家にみんなを呼んでくれて
 わざわざ勉強会を開いてくれたんです。そのおかげでテストもできました」
 
母は、そんな教え子たちからの電話を、私に楽しそうに話してくれました。
「あの子はこんな子で・・・あの子は大人になってこんな仕事についたの・・・」
と話す様子は、完全に教師の顔に戻っていましたね(笑)
 
「ところで、その子たちは今何歳になったの?」
「今、77歳よ」
「えっーーーー」
「その時私が20歳、あの子たちは12歳だから・・・・」
 
すごいことですね、ホンマに・・・。
そして教師の仕事って、
本当にいいもんだなあって改めて思います。
 
母にはまだまだ長生きしてほしい、
そう強く願うばかりです。
 

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Posted by naka602 at 23:48 | TrackBack (0)


2010年3月16日
植村花菜 「トイレの神様」
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先週、猪名川町への職員研修に向かう車の中で
ラジオから流れてくる曲に感動してしまいました。
 
ラジオのDJが
「今日はフルで流します。10分間ですがお聴きください。 植村花菜 「トイレの神様」 」
 
それを何気なしに聞いていたのですが・・・・途中から聞き入ってしまい、最後は
車を止めて、しっかり聴いてしまいました。なんと涙が頬を・・・・・・。
このあと、この曲のメロディが頭から離れなくなり、
夜になってから、アマゾンで購入申し込みをしました。2日後に届くと書いてありました。
 
翌日、2日目の猪名川町の研修です。同じ時間に車に乗っていると、
再び 「トイレの神様」 です。そしてリスナーからの多くのメッセージが寄せられました。
「やっぱりみんな感動したんや」
 
アマゾンからのCDが届いたのは2日後ではありませんでした。5日後でした。
隠れた話題のヒット曲です。
 
「植村花菜 トイレの神様」

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2010年3月13日
嘉手納高校、初日に登場
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第82回センバツ高校野球 
初日(3月21日)第2試合  花咲徳栄高校(埼玉) vs 嘉手納高校(沖縄)
 
今日、センバツの組合せ抽選があり、我が?嘉手納高校は初日に登場です!
嘉手納の試合が、私の仕事の日程と重ならないでほしい!って、
ずっと祈っていました。だから、本当によかったです。ホンマよかったです。
これでしっかり観戦できます。それも開会式から見られるのです。
 
さっそく沖縄の嘉手納関係の友人に連絡すると、チャーター便の予約をすでに
済ませ準備万端のようです。(沖縄からチャーター便が飛ぶのですよ、スゴイ)
電話の声がお互い興奮状態でした。ついに甲子園です!
 
 
沖縄県立嘉手納高校・・・あの基地の町の高校が甲子園に初出場です。
嘉手納高校のエース池原とキャッチャー真謝(まじゃ)のバッテリーは、
実は、嘉手納中学校時代、全国中学生大会を制した黄金バッテリーなのです。
通常そんな選手は、強豪校に進学するのですが、この二人はそんな強豪校からの
オファーを全部断って、「地元の高校から甲子園に出たい!」  という夢をもって
嘉手納高校に入学したのです。
そして、その夢を本当に実現したのです。
 
今から1年半前、
池原・真謝君たちがまだ1年生の秋、私が嘉手納高校に行って講演した際、
「私の家は甲子園のすぐ近くです。今度はぜひ甲子園で会いましょう」
って話し、野球部の生徒が
「今度、甲子園で会えるようにがんばります」
って返してくれたのが本当の話になったのです。
そりゃ感動ですよ。私もメチャメチャうれしいのです。
 
嘉手納高校は、平均身長が170cmに満たないチームです。
九州大会では、一番ちびっ子チームでしたし、ユニホームは古いままで、
1年と2年のユニホームの色が微妙に違うというごくごく普通のチームでした。
それに比べ、他チームは大柄な体格で、ユニホームはもちろんきれいだし、
鞄から服までお揃いで強豪校らしい風格がありました。
そんな中での嘉手納高校の九州大会制覇です。そしてセンバツ決定です。
ホンマ「よくやった!」って感じですよね。
 
 
試合当日の3塁側アルプス席は、きっと沖縄一色になるでしょう。
沖縄からも大応援団が来るだろうし、関西の県人会の方も大勢来られるでしょう。
そして友情応援ということで、市立尼崎高校ブラスバンド部がすばらしい演奏を
してくれるはずです。(市立尼崎高校は私の息子の母校です)
そんな中に私も入って、思いっきり応援したいと思っています。
21日がホンマ楽しみです。  
ガンバレ嘉手納高校! チバリヨーカデナンチュ!
 
 
 

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Posted by naka602 at 16:59 | TrackBack (0)


2010年3月10日
決して見捨てない その2
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若い先生たちに最後に伝えたいのは 「教育は足でかせぐ」 ということです。
何かがあったら、自分の足で確かめましょう。自分のからだを使って話しましょう。
忙しくても時間を見つけて行きましょう。
しんどい子ほど、そんな先生を待っています。
「先生は俺のためにわざわざ家に来てくれた」
「先生は私の息子のためにわざわざこんなことをしてくれた」
そんな言葉を何度も聞きました。
教師のちょっとした「わざわざ」は、しんどい子の心を温めます。
ちょっとした「わざわざ」は、その子の勇気と希望になります。
 
世間では、「勝ち組」や「負け組」 という言葉がよく使われています。
私はこの2つの分け方がとてもいやなのですが、どうしても使えというなら、
私は負け組に目をかける教師でありたい、そう思っています。
もちろん、勝ち組にも声をかけてやります。応援もします。
でもしんどくて倒れそうな子どもにこそ、手をしっかりかけて、
自分の力で歩く人間に育てていきたいのです。
そんな子を決して見捨てない教師でありたい。
それが私の教師観です。
 
(拙著 「教師力を磨く」 p230あとがき より抜粋)
 
 

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Posted by naka602 at 23:23 | TrackBack (0)


2010年3月9日
決して見捨てない
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TVでこんな特集がありました。
大阪府立H高校の教師集団の取り組みでした。
3年間で100名ほどの退学者を出していた府立H高校が、退学者を20名までに減らした
というのです。(それでも20名も出るのですが・・・)
 
大阪の公立高校は、完全に縦割りです。
橋下知事の卒業したK高校は大阪のトップ校です。有名大学に多数合格者を出します。
一方今回紹介されたH高校は、大阪の底辺校、大学進学どころではない学校なのです。
授業の前に生活指導が必要なのです。生徒指導上の問題も起こしてしまうのです。
 
教頭先生が、若い先生たちに話していました。
「この学校の生徒たちをみると 「何しているんだ!」 「ヒドイ!」 と思うかもしれない。
 でも家庭訪問をしてみてほしい。するとこの子たちの背負っているものが見えて
 くるから・・・。 この子たちを叱るだけではなく、この子たちに声をかけてやってほしい。
 この子たちの話を聞いてやってほしい・・・。そしてほめてやってほしい・・・」
 先生たちは、朝の登校から生徒と接します。遅刻してくる生徒に向き合います。授業を
 抜け出す生徒に話しかけに行きます。校長先生も教室に入って寝ている子の肩に手を
 かけてやっています。
「それは、甘やかしすぎだ」 という声もあるそうですが、先生たちは
「今まで大人にかまってもらわず生きてきた子は、子どもをかまわない大人になって
 しまう。 だからこそ今、大人にかまわれる幸せを少しでも感じさせてやりたいのです」
 
橋下知事の卒業した府立K高校には、そんな子はほとんどいないでしょう。
教師が「勉強しろ!」って言わなくても自分で勉強する生徒がほとんどでしょう。
生徒指導で教師が振り回されることもないでしょう。
家庭訪問も必要ないだろうし、退学者なんて出ることは稀でしょう。
でも、
卒業式で、教師と生徒が抱き合って涙を流すこともないでしょう。
 
 
退学者を減らす取り組みを必死でやってきたこの府立H高校は、
来年度から予算を減らされ、独自でやってきた30人学級が維持できなくなるそうです。
「なんでや!」 「なんで減らすねん!」
 
テレビキャスターが言ってました。
「橋下知事、この特集を見ていますか。よく見てくださいね」 って。
 
 

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Posted by naka602 at 08:00 | TrackBack (0)


2010年3月3日
教え子の弟
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なんか不思議な関係です。
昨夜と今夜、電話で話した相手は、教え子の弟です。担任はしていません。
一緒に大阪に飲みに行く話と甲子園の話をしていました。
 
この子は、3兄弟の末っ子です。上のお兄ちゃんとお姉ちゃんは私が担任しました。
でも、この末っ子は担任していません。
上のお兄ちゃんを担任した時、この子は赤ちゃんでした。
この子が小学校に上がった時、私はその学校にはいませんでした。
そんな知らない関係なのに
「こうじろう君」 「仲島先生」 って呼び合っています(笑)
この子は、お兄ちゃんに連れられて、いつも後ろを歩いていました。
ナント私の家にも遊びに来たことがあるんです(笑)
・・・・・・・・・すっかり2人は仲よしになってしまいました(笑)
 
彼もタイガースファンで、大学時代には甲子園にも一緒に行きました。
3年前大学を卒業し、旅行関係の会社に就職していたのに、昨年突然辞めて
「転職しました! 今度の職場は、甲子園歴史館です」
って、うれしそうに電話がかかってきたのです。(・・・・教え子ちゃうのに(笑))
 
 
パンパカパーン〜ここでお知らせです。
来る3月14日(日) 甲子園球場内に「甲子園歴史館」 がオープンします。
甲子園の歴史と激戦が一目でわかる素晴らしい施設が完成しました。
その「甲子園歴史館オープンニングスタッフ」の一人が彼なのです。
また、甲子園球場の裏側をめぐるバックヤードツアーも実施されます。
 
ぜひみなさん、彼たちがつくった「甲子園歴史館」を見学に行ってやってくださいね。
入館料は500円必要ですが、館内で 「山崎晃二郎」 って名札を見つけたら
声をかけてやってください。「仲島を知っている」って言うと、きっと説明がていねいに
なると思います(笑)
 
甲子園歴史館は、レフトスタンド16号門のあたりです。
そして、ついでに言うと
歴史館からもう少しライトスタンド方向に歩いて、20号門のあたりの路上に、
「NAKAJIMA FAMILY」 という私個人の「刻印レンガ」があります。
一度探してみてください(笑)
ただ、「刻印レンガ」は約2万個、埋められていますので探すのは一苦労でしょう(笑)
 
 
そんな2万個の中から、一番に「私のレンガ」を見つけてくれたのが、彼なのです。
 
 

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Posted by naka602 at 23:13 | TrackBack (0)