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2011年4月30日
映画 「阪急電車」
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映画 「阪急電車」 を観てきました。
 
感想を一言でいうなら 「ほっこりした気持ちになりました」
ほのぼのとして、優しくて、温かくて・・・・・ホントいい映画でしたね。
 
 
原作の小説がいい時は、映画になるとあまりよくないことが多いので、
実は、今回もあんまり期待はしていませんでした。
でもそんな予想を見事に裏切る映画でしたね。私はとっても気に入りました。
妻と娘と3人で行ったのですが、あとで私が 「もう一度観たいわ」 と言うと
妻も娘も 「私も!」 ってすぐに反応してくれました。
 
私はこの「阪急電車」の舞台の今津線沿線に40年も住んでいますので、
その思い入れが強いのですが、それを差し引いてもすばらしい映画だと思います。
全国の皆さんにもぜひ観てほしいなあって思っています。
 
 
映画に出てくる場所が、全部わかるってうれしいですよ(笑)
主人公の中谷美紀が降り立つ「小林(おばやし)駅」は、かつて私も住んでいましたし、
今も私の母と姉が住んでいます。阪急電車の車内のシーンでは、窓の外に、母の
マンションが何度も写りました(笑) 宮本信子演じるおばあちゃんが孫と一緒に歩いて
いた逆瀬川(さかせがわ)駅への道は、私も何千回と歩いた道です(笑)
 
もう一回観に行こうかな・・・・。
 
 
「阪急電車」公式サイト↓
http://hankyudensha-movie.com/ 
 
 
 

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2011年4月28日
オカンのために
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今から2年前、
体育科教育2009年5月号 の「巻末エッセイ」にこんなことを書いています。
 
 
「車いすからのスタート」        仲島正教
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 大沢勇三(仮名)現在27歳。

勇三との出会いは、彼が小学校4年生の時です。私の隣のクラスに転入生としてやってきました。家庭状況は厳しく学力的にもしんどい子どもでしたので、担任外の私も一緒によく関わっていました。算数プリントをしている勇三のそばに行くと

「邪魔や、向こうに行ってくれ!」

と私を拒絶します。そばから離れると、プリントの問題に向かって

「くそー、ボケー」

と当たり散らすのです。出来ない自分に腹を立てイライラしているのです。その後も自分に自信が持てず自暴自棄な生活を繰り返す勇三でした。

 そんな彼を大きな事故が襲います。定時制高校に進学後、昼間の仕事中にビルの8階から転落したのです。奇跡的に命は取り留めましたが、以後彼は車いす生活になったのです。

 勇三はさらに自暴自棄になり自殺も考えるのですが、母親と兄の献身的な介護に次第に心を開いていきました。2年間の闘病とリハビリの後、高校にも復帰します。福祉センターで見た60歳を超えたおじいちゃんの車いすバスケットに感動し、自分も車いすバスケットに挑戦します。

その頃私に一本の電話がかかります。

「先生、俺に勉強を教えてほしい」

以後、週1回必ず私の職場に寄って二人だけの勉強会です。それは小学校3年生の分数の計算から始まりました。

「先生、分数の掛け算って簡単やな」

「そうや、足し算より簡単やろ」

私が宿題を出すと必ずやってきます。

「先生、わかるっておもしろいな」

こんな気持ちを小学校の時、彼に味わわせてやれていなかったのです。彼と私の勉強会は半年間続きました。分数から始まった勉強は因数分解もできるところまで達していました。そして彼は高校を6年かけて無事卒業したのです。卒業式に車いすで堂々と出席する彼は本当に「いい顔」をしていました。

 高校卒業後、勇三は車いすアスリートとして本格的に取り組み始めます。兵庫県内の大会で次々と記録を出し、23歳の時には岡山国体(障害者)の県代表に選ばれ、選手の結団式では知事の前で挨拶もすることになりました。

「先生、俺、挨拶なんかできないよ。教室でも発表したことないのに・・・」

「大丈夫や、今の勇三なら大丈夫や」

勇三は、知事の前で見事に大役を果たし、岡山国体ではスラローム競技で大会新記録で見事優勝するのです。応援に行った私の元へ金メダルを持ってきてくれました。

 すると、地元の公民館や小学校から、彼に講演依頼が次々にきます。

「先生、俺にはそんな講演は無理や」

「大丈夫や、勇三やったらできる」

地元の公民館での彼の講演を聴きながら私は涙が止まりませんでした。小学生の時、算数の問題に向かって「くそーボケー」と当たっていた勇三が、今たくさんの人の前でこんなにも堂々と自分の生い立ちや生活を話しているのです。母親や兄の話では涙ぐみ、自分の周りの人への感謝を語る勇三の姿は本当に大きくかっこよく見えました。

「先生、俺はあの事故から生まれ変わったんや。死のうと思ったけどやっぱり生きるのは最高や。俺の人生は車いすからもう一度スタートしたんや」

そんな勇三が真顔で私にこう約束してくれました。

「先生をいつかパラリンピックに連れていってやるからな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

彼のレースを初めて見たのは、この中でも書いてある通り

2005年11月の岡山国体(障がい者国体)でした。

ここで彼は、スラロームという種目で見事優勝するのですが、

実は「100m」にも出場していました。

結果は、1位に30m以上離されての惨敗でした。

スラロームの優勝はうれしかったようですが、この100mの惨敗は

本当に悔しかったようで、その後、彼はローンでスプリント用の

車いすを購入しました。

 

 

あの惨敗から6年が経ちました。

来月中旬に

ロンドンパラリンピック日本代表選考レースが行われます。

彼は、ここで「100m」に出場します。

この6年間、血のにじむような練習を積み重ねてきました。

練習では、すでにロンドンパラリンピック標準記録を出しています。

ロンドンへの夢もあと少しのところまできたのです。

 

「もしかしたら本当に先生をロンドンに連れていけるかもしれない」

そんなことを言ってくれる彼です。

「その時は、仕事を休んでもロンドンに応援に行くからな」

そう返事をしています。

 

 

でも一つ気がかりなことがあります。

彼のお母さんの病状が悪いのです。

 

「苦しそうに咳込む母の姿に涙が出そうになるんです」

そう言いながら、

「オカンのためにも頑張る」

と決意を語る彼です。

 

 

頑張れ!                      

 

 

 

 
 

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2011年4月21日
突然の訃報
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思いもよらぬ訃報にショックを受けています。
 
元気塾の夏季セミナーの
図書の話で毎回大好評の、曲里(まがり)由喜子先生のご主人が先日急逝されました。
前夜いつも通りお休みになったご主人が、朝起きるともう天国に旅立っていたそうです。
あまりの突然の死に、曲里先生も大きな悲しみとショックを受けられました。
 
ご主人は笑顔の素敵なとっても優しい方でした。
私の家まで、わざわざお花を届けて下さったり(早期退職し、数年間大好きな花屋さんを
されていました)、また故郷のおいしい和歌山みかんも、いつも届けに来て下さるのです。
そして曲里先生の講演の時は、たくさんの本を紹介するので、その本を車に乗せて会場
まで運んで下さっていました。
 
曲里先生のご心境を察すると言葉が出ません。
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
 
 
そんな中、こんなニュースが飛び込んできて、またまたショックを受けました。
元キャンディーズのスーちゃん(田中好子さん)が乳がんで亡くなりました。
高校時代、私たちのアイドルでした。
スーちゃんは、私と同い年、昭和31年生まれの55歳です。
あまりにも早過ぎる死にショックが隠せません。
ちょうど1年前にも、新任時代に一緒だった女性の先生が同じく乳がんで54歳の
人生を閉じました。
 

 
 
 
 
 
 

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2011年4月15日
4月15日0時0分
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今日の雨で、桜はずいぶん散っていきました。
でも今年の桜は、いい天気に恵まれ、花見も十分楽しむことができました。
 
この前の日曜日(10日)、
いつもお世話になっている沖縄の岡さんが、神戸空港にやってきました。
11日に滋賀県での研修があり、そのために1日前の神戸入りでした。
三宮や元町、そしてモザイクなどを案内した後、桜を見に王子動物園に行きました。
この日、王子動物園は、満開中の満開、もうめちゃくちゃきれいでした。
岡さんは、生まれて初めて桜を見たそうです。 (沖縄の桜は違う種類です)
「感動です!」
そしてパンダとコアラも見てもらいました。 (パンダは神戸にもいます)
「今度、妻と子どもと一緒に神戸に来ます!」
ぜひまた神戸にきてくださいね、岡さん。
 
 
さて、
今日4月15日は、息子の25歳の誕生日です。
生まれた時刻は、なんと0時0分です。
あの夜、分娩室の前で私は、14日生まれになるのか15日生まれになるのかと
ドキドキしながら待っていました。するとナント0時0分ちょうどに産声が聞こえたのです。
すごい! お医者さんもびっくりしていました(笑)
 
ということで、我が家で息子に 「誕生日おめでとう」 と言うのは
前日の14日の夜、0時を越えた時なのです(笑) 15日の朝ではないのです(笑)
 
息子は昨年より、中学校の体育教師として働いています。
2年目の今年は仕事も増え、帰りもさらに遅くなっています。
昨夜は、0時0分をこえても帰ってきませんでした。帰ってきたのは夜中1時前でした。
何をしていたのか聞いてみると、なんと夜11時まで学年でいろいろ打ち合わせとか
の仕事をしていたというのです。そしてそのあと自分の仕事をしていて、学校を出た
のが、誕生の時刻をこえてしまったようです。
すごい学校やなとびっくりしてしまいます。
(中学校は、部活指導もあるし、生徒指導も突然入ってきたりして大変です)
 
25歳、若さいっぱいの時ですが、あまり無理せずにがんばってほしいなあと
親バカの私は心配するのです(笑)
 
「雄介、25歳の誕生日、本当におめでとう!」 
 
 

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Posted by naka602 at 22:27 | TrackBack (0)


2011年4月13日
天を恨まず・・・・
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体育科教育5月号が発刊されました。
今回のテーマは、「ベースボール型ゲームの実践モデル」 ですが、
東日本大震災関連の文も数編ありました。
 
私も「東日本大震災 みんなで頑張ろう」 という拙文を書いていますが、
宮城県の中学校の体育教師が 「被災地の声」 という文を寄せておられました。
教え子を荼毘に付さなければならなかった辛い出来事などが綴られ、悔しさと悲しみが
にじみ出ていましたが、この辛さを生きる力に変え、悲しさを希望に変える授業を
これから展開しなければならない、と文はしめられていました。
 
東北では、今も再開できていない学校が多くあるようです。
子どもたちの笑顔と歓声が、学校に溢れる日が一刻も早く来ることを願ってやみません。
 
気仙沼の階上中学校の卒業式で、梶原君が懸命に誓いました。
「つらくてくやしくてたまりません。しかし苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、
助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です」
http://www.youtube.com/watch?v=b7hNLmzcIHk
 
 
大丈夫、大丈夫、大丈夫! きっと大丈夫!
 

 
 
 

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Posted by naka602 at 17:52 | TrackBack (0)


2011年4月12日
生まれ変わる東北の地に
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この前、我が家の近くの西宮北口駅前で
中学生が募金をしながら歌を歌っていました。
 
阪神大震災の時につくられた 「♪しあわせ運べるように」 という歌です。
「神戸」 を 「東北」 に変えて歌っていました。
 
 
 ♪地震にも負けない 強い心を持って
 亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きていこう
 傷ついた東北を元の姿にもどそう 支え合う心と明日への希望を胸に
    ひびきわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる東北の地に
    とどけたい 私たちの歌  しあわせ運べるように
 
 地震にも負けない 強いきずなをつくり
 亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きていこう
 傷ついた東北を元の姿にもどそう 優しい春の光のような未来をゆめみ
    ひびきわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる東北の地に
    とどけたい 私たちの歌  しあわせ運べるように 
 
 
 
この歌は何度聞いても涙が出ます。歌詞は神戸のままですが、東北と置き換えて
聞いてみてください。 (以前紹介したのとは違うバージョンです)
http://www.youtube.com/watch?v=BNRR7FI1OjE

 


 

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Posted by naka602 at 10:40 | TrackBack (0)


2011年4月11日
前へ、前へ!!
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今日で震災から一カ月、
今朝、仙台の方からメールが届きました。
 
 

仲島先生、おはようございます!仙台のOです。

震災のあとには、

先生から応援メッセージを頂いて本当に感謝しております。

あのメールは、友人達や家族にも転送しました。

みんな、感動してくれて、中には涙ぐむ友人もいました。

本当に、ありがとうございました!

 

今日で一ヶ月が経ちました。

あっという間のような、長かったような。

昨日、うちのガスもようやく再開しました。名古屋の東邦ガスの方が

応援でいらっしゃってて、うちの区の担当をされています。

昨夜、一ヶ月ぶりに自宅のお風呂に入りました。もう感動です!!

本当に有難いことです。 

 

木曜日の夜、また強い余震があり、タンス等が倒れ、

また部屋の中がぐちゃぐちゃになってしまいましたが・・・・・。

 

うちの近居にも仮設住宅が建築されます。

今日から新学期がはじましました。

一歩一歩、前進してます。

みなさん、本当に力強いなと感じます。

 

一方で、まだまだ苦しんでいる方も沢山いらっしゃいます。

先日、日用品買い物に行った足で、津波があった地域を見てきました。

誰もが言いますが、テレビで見る何十倍も何百倍も、

その光景の恐ろしさに絶句します。

直径5〜60センチはあろう、立派な松の木が、何百本も根こそぎ

何キロも流されていました。

本当にもの凄いエネルギーです。

ここは家が全然無かった所だったっけ?一瞬そう疑ってしまいました。

津波を目の当たりにした方たち、実際被害に遭った方は、

本当に地獄絵図の中だったと、思いました。

今は、とても静かで穏やかな海を見ながら、

その海が残した残骸の恐ろしさに何も言葉が出てきません。

 

まだまだ、色んな問題が解決できるまで、相当かかると思います。

そんな中、私の出来る事を精一杯やって、

復興の力のほんの一部になれたらと思っています。

家は、津波や原発の被害に遭われている方々に比べれば、

ずっとマシなので、頑張らなくちゃ!!

 

前へ、前へ!!

最近は、余計にそう思ってます。

 

 

季節の変わり目、何かと体調を崩しやすい時期です。

どうぞご自愛くださいませ。

 

23年4月11日 仙台市 Oより   
 

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Posted by naka602 at 10:33 | TrackBack (0)


2011年4月8日
もう余震は勘弁してほしい
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昨日、出かけている時に、大きな音をたててヘリコプターが真上を飛んでいきました。
久しぶりに体が反応しました。 あの阪神大震災の悪夢のことを・・・。
 
あの頃自分の体に染みついていたことは、ヘリコプターの爆音とサイレンの音でした。
とにかく毎日聞こえていましたからね・・・・。 だから阪神大震災後も、数年間はずっと
ヘリコプターやサイレンの音に体が反応していました。
トラウマというか、あの音がなると思い出してしまうのです。
あれから16年経ち、もう大丈夫だったのですが、昨日は思い出してしまいました。
 
でもそんな音以上に、今も変わらず体が反応するのは、地震の揺れです。
16年経った今も、震度7の揺れを体は覚えています。
だから、今も震度1の揺れでも体がこわばります。
「このあとにまた大きな地震がくるのでは・・・・・」
そんな不安な気持ちになってしまうのです。
震度3や震度4の時は、もう本当に怖いです。
 
昨夜、東北地方で震度6強の余震がありました。
これは本当に恐怖です。昨夜は津波警報も出たのですからなおさらです。
被災地の方は、またまた大きな不安におちいったと思います。
そんなことを思うと本当に心が痛みます。
「もう余震は勘弁してほしい」 天の神様にそうお願いしたいです。
 
 
 
阪神大震災後、私は今だにパジャマを着て寝たことがありません。
家でもホテルでも、あれ以来16年間ジャージを着て寝ています。
いつでも外に出られるようにと思って・・・。
 
 

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Posted by naka602 at 07:47 | TrackBack (0)


2011年4月6日
教育長のお話
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今年度が始まりました。
5日には、尼崎市教育委員会の始業式が行われました。
教育総合センターに、学校園長、事務局等100名あまりの参加の中、
教育長がこんな話をされました。
 
「流れる水はくさらない」・・・・・常に改革改善に努めよう
いくらきれいな水でも止まったままでは腐ってくる。 流れる水になろう。
  ↓
そのためには、2つ
★例年通り、従来通りはやめる・・・・・・前よりも少しでもよくなる努力をしよう
★つながりを深めよう・・・・・・・・・・・・・・ちょっとしたワザワザで大きく変わる
  ↓
 そのためには、3つ
 ・5分間家庭訪問をしよう
  家庭に「いいこと」を伝えに行くことによって、家庭と学校がつながることだけでなく
  その「いいこと」がきっかけで家族内の温かいつながりも深まっていく。
  たった5分の家庭訪問で大きく変わる
 ・まさかの声かけをしよう
  課題がある子に担任だけが関わるのではなく、学年の先生、専科の先生、他学年の
  先生、さらに小学校の先生が中学生に声をかけてくれたら、きっとその子の心は動く。
  あの先生からも声をかけてもらった、そんなまさかの声かけで大きく変わる。
 ・地域に向けてこちらから挨拶をしよう
  見守り隊をはじめ地域の人に、こちらから挨拶をしよう。子どもだけでなく教師も積極
  的に挨拶していこう。こんなところから地域と学校が豊かにつながるようになる。
  ちょっとこちらから先に挨拶するだけで、大きく変わる。
  
 
身近な具体例を出しながらの、とってもわかりやすいお話でした。
小さな3つの取り組みですが、これが出来れば必ず大きく変わる、私もそう思います。

教育長の口から 「ちょっとしたワザワザ」 とか 「5分間家庭訪問」 の言葉が出て
なんかとってもうれしい気持ちになりました。
私もそんな教育長の力になれるように、しっかり頑張りたいと思います。
 
 

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Posted by naka602 at 00:32 | TrackBack (0)


2011年4月4日
カンナリゾードから東北へ
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2か月前の話になります。
沖縄での仕事(4泊5日)の報告を以前に書きましたが、
ホテルの事は何も書いていませんでした。
 
実は4泊のうち、3泊はいつも通りのビジネスホテルに泊まったのですが、
宜野座村の時だけは、リゾートホテルに泊まりました。
リゾートホテルに泊まりたくて泊まったのではなく、宜野座村にはこの1件しかホテルは
なかったのです。宜野座村に来たのに他の所に泊まるのはアカンと思って少し高かった
のですが、地元にしました。値段はいつものビジネスホテルの3倍近くでした(涙)
   「カンナリゾートヴィラ」 沖縄県宜野座村漢那
    http://www.cannaresort.co.jp/
 
でもめちゃくちゃよかったです。 部屋はめちゃ広いし、景色はいいし、静かだし、
料理も美味しいし、サービスも抜群・・・・ホンマええとこでした。
値段が高いので当たり前といえばそうなのですが、気持ちがとっても安らぎました。
いっぺんに疲れがとれました。
お金はちょっともったいなかったけど、それだけの価値はありました。
ここの売りは、「何もしない、という贅沢」 です。
まさに何もしないでずっとここで過ごしたいと思えるホテルでした。
「沖縄を観光する」という目的で来たときは、ここはダメですが、 
「沖縄でゆっくりしたい」という目的ならピッタリです。 
若者にはもったいないですが、私たち熟年世代は、
一度くらいはこんなところで休養したいものです。
 
 
前置きが長くなりました。
実はこのホテルで感動することがあったのです。
 
朝食を食べている時に、
「仲島先生、おはようございます。ゆっくり休めましたでしょうか」
と優しい声で話しかけられたのです。 
(誰? なんで私が先生って知っているの?)
その方は、ホテルの支配人さんでした。
(支配人さんがワザワザあいさつに?)
驚いたのはそれだけではありませんでした。支配人さんはこう言われました。
「仲島先生とお会いできて光栄です。私は人権のことや若者の育成などに興味を持って
いました。それでいろいろ調べていくうちに仲島先生にたどり着きました。本も読ませて
いただきました。その先生が私どものホテルに宿泊されることを知って感激していたの
です。仲島先生とお会いでき、本当にうれしく思っています」
 
いやーびっくりしました。こちらこそ感激ですよ、そんなことを言われて・・・・。
こんなことがあるのですね。この出会い、このつながりに、本当に感動しました。
 
この支配人さんは、私と同年代の55歳。沖縄から音楽家を育てたい、ここから
大きく羽ばたかせたい、そんな思いを持ちながらホテル経営をされています。
これまでも音楽イベントをこのホテルで何度も開催されたりしています。
昨夜もメールをいただきました。
東日本大震災の復興を願ったチャリティーコンサートを昨日実施されたそうです。
遠く離れた沖縄からも出来る支援を考え、実行されています。
 
カンナリゾートから東北へ
      「がんばろう!日本」
 

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Posted by naka602 at 15:44 | TrackBack (0)