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2018年1月29日
今年初めての沖縄へ
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1月前半はブログも調子よく更新していましたが、後半はペースダウンです(笑)仕事が連日続きましたので、ご無沙汰しておりました。

その間にこんなことがありました。
山梨県甲府市での講演会のことです。
朝、雪で新幹線が20分ほど遅れているという情報があったので
家を早く出て、予定より1時間以上早い新幹線に乗りました。
なのに、
遅れはどんどん大きくなりナント85分遅れで新横浜に到着しました。
そこから横浜線で八王子に出て、中央線に乗り換えて、
石和温泉駅に到着したのが、講演の10分前でした。
会場まで車で飛ばし、なんとか講演1分前に到着しました。
演台の横でコートを脱ぎすて、すぐに講演をスタートしました。
こんなギリギリは、初めて・・・・ではなく2回目でした(笑)


さて
明後日(1/31〜2/3)から、今年初めての沖縄です(笑)
今回も仕事です(笑)

31日、宜野座村立宜野座小学校校内研修
  ※宜野座小はタイガースのキャンプ宜野座球場のすぐ裏です。

2日、午前 浦添商業高校3年生 卒業前講演会
   午後 沖縄女子短大2年 特別講義
   夜  沖縄女子短大 一般公開講座 


そして合間の日(2/1 2/3)は
タイガースキャンプ視察に行ってきます。
充実した沖縄遠征です(笑)




  
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Posted by naka602 at 23:44 | TrackBack (0)


2018年1月17日
1.17 あれから23年
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今年もやってきました1.17が・・・。毎年この日が来るのは当たり前なのですが、やっぱり1.17は辛いです。まだまだです。

1月17日午前5時46分。

黙とう。
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Posted by naka602 at 23:24 | TrackBack (0)


2018年1月9日
下手でもおもしろい
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この歳になったので昔のことを自慢してもいいでしょう(笑)私は子どもの頃から運動が得意で「体育は5」が当たり前でした。中学校のバスケット部は大阪一の強豪校でしたが、中1の7月にはもう試合に出て点を取っていました。高校でも大学でも上級生に混じってすぐに試合に出ていました。レギュラーは当たり前でした。そんな私でしたが練習も一生懸命にしました。たぶん練習量はチームで一番だったでしょう。
そして燃え尽きました(ちょっと大袈裟かな(笑))
大学卒業後は、運動はレクレーションになり、運動量もガクンと減りました。

そんな私だったのに
今の頭の中は「野球でいっぱい」です(笑)
「練習がしたい!」とムズムズしているのです。

昨年末に入団した還暦野球チーム「甲子園スター」は凄いメンバーです。
甲子園組もたくさんいるし、実業団でやってた人もいます。
60代70代ですが、みんなとてもうまいのです。
還暦古希合わせて40人ほどいますが、明らかに私が一番下手です。
最初、自分の中では「けっこいけるかも」と思っていましたが、
打撃フォームをビデオに撮ってもらうと、
自分のイメージしているフォームとはかけ離れたフォームです。
自分で見ても「めちゃくちゃ変なフォーム」まるで「おじいさんが
振っているフォーム」に自分で自分を笑ってしまいました。
ホンマ下手ですわ(笑)

昨年は新人は一人ですが、その人は守備はうまいし、打撃もなかなか
上手です。そして今年の新人は私を含めて3人ですが、
あとの2人は、ノンプロ出身の凄い人です。期待の新人(60歳)の
加入で、今シーズンきっと県リーグでは優勝と言われています。
2人は還暦になるのを待ちこがられ、指名されての入団です。
それに比べ私は、
自由参加の入団で、まったく期待されていません(笑)

それでも楽しいのです。
今、とっても野球がしたくて、野球がうまくなりたいなと
思っています。
「5年後のレギュラーをめざす」って言いましたが、これも
とても難しいことだとわかっています。
昔は、レギュラーが当たり前の世界にいた自分ですが、
今は正反対の環境です。でもそれが楽しいのです(笑)


冬休みには、元同僚の岡本先生(元野球部)と一緒に
バッティングセンターに行って、教えてもらいました。

いつか岡本先生に
「ずいぶんうまくなったなぁ〜」
と言ってもらえるように頑張りたいと思います。

今夜の夢にも野球が出てきそうです(笑)




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Posted by naka602 at 22:08 | TrackBack (0)


2018年1月8日
佐渡 裕 「棒を振る人生」
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私はこう見えてもクラシック音楽が好きな人なのです。子どもの頃は人一倍外遊びをしていた腕白坊主でしたが、家でクラシックも聴いていたという変な少年でもありました。父が買ったステレオで、母が買ったレコードをこっそり聴いていた子どもでした。
カラヤン指揮のベルリンフィルのベートーベン「運命」、チャイコフスキー「白鳥の湖」。
フリッツライナー指揮のシカゴ交響楽団のドボルザーク「新世界より」が、お気に入りの3曲でした。この3曲は雰囲気で指揮も出来ます。あくまで雰囲気ですが(笑)

私の家のすぐそばに兵庫県立芸術文化センターがあります。
これは阪神大震災後に出来た復興のシンボルのようなホールで、知事が
指揮者・佐渡 裕に「劇場を中心に、この街を震災前よりもずっと優しく、
ずっと逞しい街にしてほしい」と依頼し、佐渡 裕が芸術監督に就任しま
した。世界中を飛び回っている佐渡さんなのに、その忙しい合間をぬって
市内の学校を回って音楽の楽しさを子どもたちに伝えてくれたのです。
私も近くの深津小で佐渡さんの活動を間近で見たのですが、その感動は
忘れることができません。
佐渡さんの指揮で楽団の音楽が鳴りだすと子どもたちの目が輝きます。
佐渡さんがリコーダーを吹くとみんなもリコーダーを吹きたくなります。
そして子どもたちにも指揮をさせてくれます。指揮台に立った子どもが
恐る恐る指揮棒を振ると楽団の音が鳴りだすのです。その時の子どもの
驚きと満足した様子は本当に素敵でした。
私はあっという間に、佐渡 裕の大ファンになりました。


いつものことですが、前置きが長くなりました。ホンマ長過ぎ!(笑)

佐渡 裕著・「棒を振る人生」(PHP文庫734円)を読みましたが
これはいいですねぇ〜。感動しました。
心に残る言葉がいっぱいありました。
これは人生論でもあるし、教育論でもあります。
授業づくりや学級づくりは、まさに佐渡さんの言う通りです。
社会ってこういうものだし、平和ってこういうことだと思いました。

佐渡さんは指揮科を出ていないので独学で指揮を学びました。
こんなくだりがあります。
「日本の指揮法は型から入ることが重要視される。型が教科書としてあるため、教えやすく、学びやすい。・・・中略・・・確かに指示が明確であれば、オーケストラは同時に音を発して、同時に終わることが出来るだろう。あるいは同じテンポで演奏できるだろう。大事なことではあるが、それは指揮の入口であって、音楽の喜びや豊かさはまったく違うところにあり、もっとずっと先にある。あえて言うならば、明確な指示が出来ない指揮者で、素晴らしい指揮者は山ほどいる」
カラヤンは言います。
「指揮者にとって、一番いけないのは明確な指示を与えることだ。なぜなら、それは奏者が互いの音を聴くという大切なことを妨げるからだ」

今、全国で流行っている「授業スタンダード」を進めようとしている教育
委員会や学校は、この佐渡さんやカラヤンの言葉をどう受け止めるので
しょうね。


佐渡 裕の師匠であるバーンスタインが言います。
「ジョージのチェロの音、マイケルのホルンの音、その人にしか出せない音があり、その『名前のついた音』を大切にして音楽をつくっていくんだ」

佐渡さんも同じことを「一万人の第九」(大阪城ホール)で語っています。
「最初はみんな『私一人くらい歌わなくても大丈夫だろう』という気持ちで参加する。しかしそれでは苦労して1万人でやる意味がない。『ガラガラ声もキンキン声も全部受け入れるから、一人ひとりが主人公になってほしい』と訴えてきた。
合唱の歌い出しは『Deine Zauber』。直訳すれば『神の不思議な力』。『その不思議な力によって、すべての人は兄弟になる』・・・『この不思議な力』を僕は『一人ひとりが与えられている力』と理解するようになった。それは特別な力ではなく、優しさや明るさ、たくましさ、子どもたちの純粋な笑顔も一つの力だ。
この1万人は、ただ声を合わせるだけに集まったわけではない。もちろんみんなで必死になって声を合わせることには力を尽くす。しかし本当に大切なことは、小さな子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまでが一緒になって音楽をつくるということだ。性格も年齢も生育も仕事も環境も国もみんな違う人が、一緒にここで生きているということだ。
7歳の男の子も70歳のおじいちゃんもみんなが同級生のようになって、自由に、誇らしげに歌っている姿を、ベートーベンはきっと夢見ていたに違いない」


次の文章を「学級」「学級目標」「自尊感情」「幸せ」等に
置き換えてみると、まさに「学級づくり」「授業づくり」になります。
そしてこれが世界平和の考え方だと思います。
「オーケストラは集団で響きをつくる。そのためには互いの音を聴き合わなければならない。音楽が一つの世界をつくるためには、みんなの心が一つの方向に向かう必要がある。でもだからといって、何かを抑圧したり押し付けるのは僕のやり方ではない。生まれも環境も考え方もまったく違う人間がいることを認め合い、それぞれの個性を生かしながら、互いに鳴らす音に耳を傾けて一つの音を奏でる。互いの音と思いが重なった時、心が震え合い、ほかのどこにもない音色が生まれる。そんなふうにして、ぎくしゃくしていたメンバーは音楽を通して一つになり、一緒に喜びを分かち合うことができる。あるいは自分が自分らしく演奏できる。その達成感はとても大きい。だから心を合わせようという思いを抱くこと、それを求めること自体はとても大事なのだ。」


あぁ長々と書いてしまいました。
すみませんどうも。
でもぜひ読んでほしい1冊です。


ところで、
私はこの本を読んで、あることに気づいたのです。
佐渡 裕の師匠は、巨匠「バーンスタイン」です。
その「バーンスタイン」の師匠は「フリッツライナー」と書いてありました。
えっフリッツライナー?
そう、私が子どもの頃、よく聴いていた「フリッツライナー」です。
我が家に一番たくさんあったクラシックレコードの指揮者です。

わぁ〜〜私と佐渡さんは、遠くでつながっていたのです(笑)



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Posted by naka602 at 10:28 | TrackBack (0)


2018年1月3日
箱根駅伝
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今日の箱根駅伝は、いつもとちょっと違った気持ちで見ていました。昨年は体育科教育の巻末エッセイに青山学院のことを少し書いたので、青学を応援していた私ですが、今年は「東京国際大学」と「シューズ」に注目していました。


東京国際大学の7区を走ったのは、
30歳のオールドルーキーの「渡辺和也」選手です。
実は、渡辺和也の実家は、我が家のすぐ近くです。
地元の深津中学校では、息子の1学年下で、すで有名でした。
高校は名門報徳学園に進学し、全国高校駅伝にも出場しました。
その時のチームメートに私の教え子M君がいました。
(渡辺和也と出た全国高校駅伝の記念TシャツをM君から頂きました)
その後実業団で陸上を続け、北京五輪1500mの選考会で、1位を快走し
あと少しで五輪決定だったのに、なんとゴール直前でまさかの転倒で
8位になり、五輪を逃した悲運のランナーです。
あれから10年、教員になるために30歳で大学に入学したのです。
そして憧れの箱根駅伝に出場したのです。
凄い経歴でしょ。
今日も若い学生に混じって、しっかりと走っていた渡辺和也です。


もう一つは「陸王」の影響です(笑)
青山学院と東洋大は、シューズでも争っていました。

青山学院はアディタス。東洋大はナイキです。
青山学院はソールは薄底。東洋大のソールは厚底。
青山学院のシューズは「ミッドフット走法」用。(茂木と同じ)
東洋大のシューズは「フォアフット走法」用

青山学院のアディタスは、薄くて軽い常識的なシューズですが
東洋大が履いたナイキは、新しく開発された靴です。(まるで陸王)
常識を覆した厚底で重くミッドフット走法には適していないのです。
でもナイキが開発したこの「ヴェイパーフライ4%」は、従来より4%
速く走れるというシューズなのです。
まさに「Rツー」vs「陸王」みたいです。

それをきいていた私は、テレビの映像でシューズが気になってしかた
ありませんでした。こはぜ屋の社長のように(笑)
ブルーにナイキのマークが大きく入ったシューズは東洋大の選手だけでは
ありませんでした。東海大にも履いている選手がいました。

きっと控室では、シューズメーカーの人たちが気をもみながら応援していた
ことでしょう。陸王のシーンが浮かびました(笑)

この勝負は、青学のアディタスが勝ちましたが、
もし東洋大のナイキが勝っていたら「あの青学を破ったシューズ」として
すごく売れたでしょうね。ナイキの人たちの落胆ぶりが目に浮かびます。


今年の箱根駅伝はそういう意味で興味深く見させてもらいました。
ドラマ「陸王」の影響は大きいですね(笑)
ちなみに「陸王」の撮影には、青山学院が協力していたそうです。
あの竹内涼真も走法を教えてもらっていたそうです。だからあんなに
カッコ良かったのですね。



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Posted by naka602 at 21:00 | TrackBack (0)


2018年1月2日
子親キャッチボール
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息子(31歳)は小学校1年からサッカーをやり始めました。ちょうどJリーグが始まった時期ですからサッカー大人気の時です。地域のスポーツクラブのサッカー部で、土日はサッカー一色でした。「将来はカズのようにブラジルへ行く」って言うサッカー少年でした。

ところが5年生で思わぬことが起こります。
同じスポーツクラブの野球部が部員不足になり、息子にも声がかかり、
なんとサッカー部と野球部を兼ねることになりました。
「今度の日曜はサッカー」「明日は野球」とユニホームが変わります。
今でいう二刀流です(笑)

サッカー少年もいいのですが、
親として一つの憧れが 「我が子とキャッチボールをする」 ことです。
やっとその日がやってきたのです(笑)
ついに来た!
私は早速スポーツ店に行って、息子のグローブを買いにいきました。
イチローモデルのカッコイイのを購入しました。
そして、念願の親子キャッチボールです。
「ボールはこうやって受けるんや」
「グローブを少し引け」
「相手が受けやすいところに投げろ」
とエラそうに言う私でしたが、なかなか筋のいい息子でした。


前置きが長くなりました(えっこれが前置きだったの、長っ)
あれから20年です。
今日は息子が近所の春風公園に孫と一緒に遊びに来ていました。
そこに私はグローブ持参で合流です。

孫と一緒に遊んだあと、孫を妻と娘に預け、手にはグローブです。
そして息子が一言、
「父さんが野球始めるなんてビックリや。職場の先輩が笑ってたで」
そんな会話をしながら楽しくキャッチボールの開始です。
20年ぶりの親子キャッチボールです。
「無理したらアカンで」
と気遣ってくれる息子です。主導権は完全に息子の方です(笑)
20年前と逆転です。子親キャッチボールです(笑)

それたボールを孫(2歳)が取りに行き、
「ジイジ、ハイ!」って持ってきてくれました。

こんな3世代の様子を俯瞰しながら
「わぁ〜〜〜〜ええなあ〜〜〜〜」
これを幸せな光景というのでしょう(笑)


お正月から、息子と孫に感謝です。


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Posted by naka602 at 16:32 | TrackBack (0)


2018年1月1日
2018年も頑張ります
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2018年あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。

昨年末より、還暦野球チームに入りましたが、
これは自分でもビックリする出来事でした。

ある日突然、
還暦野球に興味を持ち、すぐに申し込む自分。
誰一人知っている人がいない所に、飛び込んでいく自分。
今までの私なら、そんなことはしなかったはずです。
なのに決断しました。
なぜだかわかりません。
自分でも信じられません。
でもなんだか面白いのです、そんな自分が(笑)
なんだか楽しみなのです、そんな自分が(笑)


今年一年、
そんな自分を応援したいと思っています。
自分で自分を応援って、なんか変ですが、
「がんばれ61歳!がんばれナカジマくん!」って(笑)



そんな私ですが、
今年もどうぞよろしくお願いします。


2018年1月1日  仲島 正教



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Posted by naka602 at 21:36 | TrackBack (0)