従って、調査でお願いして初めて訪問しているにもかかわらず、ぶしつけに議論を吹っかけてしまったと思います。私は常に攻撃的に議論しようとするので、年上の方は「生意気で無礼な奴だ」と思われたでしょうし、年下の方は「うるさいオヤジだ」と思われたでしょう。そのような私にもかかわらず、懇切丁寧にお相手をしてくださった各位にお礼とともにお詫び申し上げます。
この書が広く多くの人の興味を引くものだとは思ってはいません。あくまでも「自分が調べたことを記録として遺す」ことと、「新田開拓に興味を持っている方や、新左衛門ゆかりの地域の人達の一部の方に読んでいただくこと」さえ実現すればいいと思っています。全部通して読む気になれなくても、「新左衛門はどこから来たのか」とか「新左衛門に関する文書はどんなものがあったのか」と思ったときに、この書のページをめくっていただければいいと思います。この書が各地域の図書館で閲覧できるようになれば光栄だと思うし、新左衛門のことを調べてみようという人が現れてこの書を読んでいただければ嬉しいと思います。そのときにこの書が水先案内人の役を果たすことができて、また新しい(実際には古い)情報を再発見する手助けになることができれば幸せです。
平成十八年十二月、毎年恒例の久里浜観光協会(神奈川県横須賀市)主催の砂村新左衛門祭が行われ、事務局の方から「砂村新左衛門の生涯」(筆者 溝手正儀)というレポートを頂きました。その内容は、とても興味深いものでした。砂村新左衛門は当寺の中興開基であり、大恩人であります。その新左衛門の研究をされている方はどんな人なのだろう?
最初にお会いしたのは、年が明けてからでした。初対面であるにもかかわらず、「この人なら、しっかり調査をしてくれる」と確信するほど、既によく研究されていました。
新左衛門は、久里浜地域にとっては内川新田開発者として、現在に至るまで大切にされている偉人であります。明治・昭和・平成と、その時代時代で、新左衛門の業績を著作したものや調査が行われてきました。平成四年に久里浜地域文化振興懇話会から発行された「内川新田開拓誌」は、その集大成でありましたが、今回の著書は、さらに調査を重ね、物的証拠を探し出し、今までの疑問点を解き、新たな発見や仮説を明確に著しています。
特に、前回の調査では所在のはっきりしなかった遺訓を公文書館で調査し、「公文書館にある包み紙の記述によれば遺訓を納めた位牌があったはず」との仮説の通りその位牌が宮井家で発見されたことには驚かされました。
この書が新左衛門の業績が残る地域の多くの一般の方々にも読んでもらえて、埋もれている新事実や文書・絵図などの新しい発見につながることを祈ります。そしてさらに私の説を裏付けたり、否定したりする書が出て、より確かな「新左衛門像」が確立されていくでしょう。また私も本書の改訂版を出すことができるかもしれません。「史実は小説より楽しい」というのが私の偽らざる気持ちではありますが、どなたかがこの書を題材に小説を書いていただけるとしたら、それも嬉しいと思います。
この調査を始めて以来、大変多くの方々と知り合いになりました。私の対人関係はサラリーマン時代を通して常に受身でしたから、自分から最初の面会を求めて、資料を見せていただいたり教えていただいたりすることはあまりありませんでした。煩わしい人間関係を自分で構築するのは好きではなかったので、まったく営業向きではないと思っていました。ただ、人付き合いがきらいだったわけではなく、相手がアクセスしてくる場合は常にずっと大歓迎でした。これまでのゴルフ数百ラウンドのうち、自分で誘ったものはおそらく数パーセント以下だったでしょうが、設定された場で初対面の人とラウンドするのは全然苦になりませんでした。
正業寺住職の渡部俊賢様およびご母堂様には調査期間を通してお付き合いさせていただき、大変お世話になりました。ここに書いた仮説のいくつかは住職の話をヒントにしたものです。いろいろご指導をいただきました横須賀市久里浜天神社宮司早川智好様、同浦賀の郷土史家宮井新一様、同佐原旧家の五本木良夫様、東京都江東区文化財専門員栗原修様、江東区の郷土史家宇田川純正様、大阪市福島区の郷土史家井形正寿様ほかの皆様に感謝申し上げます。貴重な資料の提供をいただきました、坂井市のみくに龍翔館、鯖江市文化の館、神奈川県立公文書館、東京都公文書館、同中野区立歴史民俗資料館、首都大学東京図書情報センター、横須賀自然・人文博物館、福井市立郷土歴史博物館、横須賀市東浦賀宮政商店宮井宣行様、大阪市の福島天満宮ほかの皆様にも御礼申し上げます。横須賀の久里浜古文書の会、久里浜観光協会、久里浜行政センター、久里浜コミュニティセンターの皆様にも大変お世話になりました。また出版に当たっては、とびら出版代表の野辺真実様には一方ならぬお世話をいただきましたこと感謝申し上げます。
出版に寄せて:正業寺 住職 渡部俊賢
また、私個人としては、当寺の境内にある新左衛門のお墓に刻まれた側面の戒名(法名)「宗心」が弟三郎兵衛であるということ、また、兄弟、子孫の件は、よく考察されていると思います。これについては、著者と多く意見交換をした点であります。私は僧侶ですので、仏教的観点や信仰心の面からの想像をします。溝手さんは、それを見事に、論理的に根拠を示して組み立てていきます。勿論、今回の結論が全て正しいとは私には言えませんが、今までの疑問と思われ、不明のままになっていたことの答えとしては正しいことと思います。
何といっても、溝手さんが、短期間にこれだけ調査し、その結果が一冊の本として出版されたことは、私にとっても大変うれしく喜ばしいことです。
最後に、この著書が多くの人の目にふれ、自分の住んでいる町の歴史に興味をもち、過去、現在、未来を大切にして発展して行きますように、さらに、先人に対しての知恵と労苦を想い、報恩感謝の念を子々孫々に伝えるものとなるよう祈念致します。
著者あとがき