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2010年9月30日
矢野選手ありがとう!
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今夜は阪神タイガースの甲子園最終戦、そして矢野選手の引退セレモニーでした。
矢野選手の39番のユニホームに身を包み、甲子園球場に入ると、矢野選手が練習
をしていました。 「今日は出るんや!」 嬉しくて双眼鏡を片手にずっと矢野選手を
追っていました。
 
試合はタイガースが押しながら進めていたのですが、3−1からなかなか追加点が
取れずにいました。でも久保もナイスピッチングでしたから、安心してみていました。
もう勝つだろうと球場全体がそういう雰囲気になり、「矢野はいつ出てくるか」 が
みんなの関心の的になり、9回表、なかなか城島がベンチから出てこないので、
観客は矢野の姿を期待しました。 でも出てきたのは城島でした。 (球場にため息)
あとで聞くと、藤川ー城島で2アウトまでとったあと矢野捕手登場のシナリオだった
ようです。
そして、そのシナリオは、実現することなく、崩れ去っていきました(悲)
悪夢の9回の表でした。 
甲子園の最終戦がタイガースの最終戦になりました。 終わりました(涙)
 
 
涙雨が降る中、矢野選手の引退セレモニーが始まります。
矢野選手が最後に
「・・・・・みなさんに感謝、感謝、感謝です。いつかまた甲子園で会いましょう」
そう言うと、涙が自然にこぼれてしまいました。
ふと横を見ると、同じように涙を流しているファンがたくさんいました。
矢野選手がグランドを1周してファンとの最後のお別れに
大きな大きな拍手が送られました。
感動のセレモニーでした。
 
 
過去、いろんな選手が矢野選手にこんなコメントを残しています。
☆アメリカに行った井川投手
「ニューヨークに矢野さんも一緒に来てほしかった」
☆巨人の上原投手、オールスターで矢野とバッテリーを組んで
「矢野さんが阪神のみんなから好かれる理由がわかりました」
☆野村前監督
「優勝チームには名捕手あり、矢野は基本に忠実で人間性もよかった」
☆ジェフ・ウイリアム JFKの一人
「試合中はマスク越しに怖い顔をしているけど、試合が終わるといつもの笑顔に
戻るんだ。そしてボクの背中を優しくたたき、頑張りをねぎらってくれるんだ」
☆同じ歳の下柳投手、2軍の最終戦矢野とバッテリーを組んで
「タイトルは彼のおかげでとれたんだ、尊敬する人物。いつまでもバッテリーを
組みたいと思っていた」
☆2軍の最終戦のあと、捕手の岡崎選手と狩野選手、矢野から声をかけられて
「・・・・・・号泣・・・・・・・」
☆矢野選手の高校時代(大阪・桜宮高校)の野球部の斉藤純一さん
「あんなにファンから愛される選手になった矢野はすごいです。いつも人への
思いやりを忘れなかったのが、彼のすごいところでした。リードでも投手の意思
を組んで投げさせたのも彼らしい哲学です」
 
矢野輝弘(あきひろ)選手 (この輝弘がいい) 
     本当にありがとう! 20年間お疲れ様でした。
 

 
※今日で、甲子園での応援は終了です。
来シーズンの応援のスタートは、2月1日の沖縄・宜野座キャンプからです。
なんと1月31日に沖縄での講演の仕事が入りました!
私も沖縄に行きます!

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Posted by naka602 at 23:35 | TrackBack (0)


2010年9月25日
最後まであきらめない
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今夜は、甲子園で広島戦を観てきました。
新井の逆転3ランの見事な勝利で、まだまだ土俵際で踏ん張っている阪神です。
(ここ2年間、私が甲子園に来た試合は全部勝っています。勝率10割)
 
新井のヒーローインタビューは
「最後まであきらめずにがんばります!」
甲子園に大きな拍手と歓声が響き渡りました。
 
それにしてもタイガースファンは凄いですわ。
私も試合開始30分前に入りましたが、その時点でもう4万人は入っていたでしょう。
試合開始直後は、満員の4万6千人。
試合が終了し、ヒーローインタビューの時でもまだ4万人は球場に残っているし、
「六甲おろし」の大合唱の時もまだ3万5千人は残っていたでしょう。
普通の球場では、試合終了直後、スーと人は帰っていきますが、
甲子園は帰りません(笑)
ホンマええ球場です。
 
あと9試合、奇跡を信じて応援するのみです。
 
 
ところで、今回かわいい3兄弟と出会いました。
私の席の前が2つ空いていたのですが、そこに3人の子どもがやってきました。
3人ともタイガースのユニホーム(桧山のサイン付き)に帽子、タオルとお揃いです。
そして3人仲よくちょこんと座って観戦していたのですが、親の姿が見当たらないので
声をかけました。
すると、鳥取県大山町から車でやってきたのですが、切符が2枚しかとれなくて両親は
球場の外で待っているというのです。試合が終わったら8号門で待ち合わせしていると
いうのです。1番上が4年生、2番目が2年生、3番目が年長5歳の男3兄弟です。
 
それ以後、その子たちの様子も見ながら、野球観戦していたのですが、この3兄弟の
様子に感心するばかりです。
4年生のお兄ちゃんの言うことを、2人の弟がしっかりきくのです。5歳の子がモゾモゾ
動くとお兄ちゃんが注意します。するとしっかり座って試合を観るのです。
チェンジの間にお兄ちゃんは席を離れ、焼き鳥を3本買ってきました。
そして5歳の子、2年生の子に1本ずつ渡して食べ始めます。広島の攻撃が終わり、
阪神の攻撃になると、お兄ちゃんは焼き鳥を回収し、応援に集中させます。
そして阪神の攻撃が終了すると、再び焼き鳥を2人に渡すのです。
(ビックリです。これぞ阪神ファンの鏡です)
焼き鳥を食べ終わると、串を回収します。そして今度はまた何かを買いに行きました。
買ってきたのは、ファンタグレープ1本です。その1本をまずは5歳の子に飲ませ、
次に2年生の子に飲ませ、自分は最後なのです。(ホンマえらいお兄ちゃんです)
なんかその健気な様子に感動してしまいました。
7回のラッキーセブンでは、風船を持っていなかったので、お兄ちゃんに風船3つをプレ
ゼントすると、うれしそうに 「ありがとうございます」 を頭を下げて言うのです。
そして弟の分も膨らまそうとするとなかなか空気が入らないので、私が5歳の子の分を
膨らませてあげました。2年生の子の分は隣の知らないおっちゃんが膨らませてくれま
した。邪魔になっていた串カツの串は、前の席のギャルたちが回収してくれました。
(なんて優しい阪神ファンや)
そしてラッキーセブンの風船飛ばしが始まると、5歳の子は大興奮です。球場いっぱいに
飛んでいく風船に目を丸くし、今度は落ちてくる風船にも大喜びです。落ちてきた風船を
また膨らまそうと口をつけようとします。(きたない、きたない) 
3兄弟にも楽しんでもらえたラッキーセブンの風船飛ばしでした。

そして、阪神の勝利で試合が終わると、
3兄弟は、ファンタの空きペットボトルもちゃんと持って、8号門へと向かっていきました。
その3人の後ろ姿のかわいいことかわいいこと・・・・・。
お兄ちゃんも本当は「六甲おろし」を歌いたかったかもしれないですが、
早く両親のもとへ行きたかったのでしょうね。お兄ちゃんお疲れ様でした。ホンマよう
がんばったね。
 
 
 
甲子園球場での試合はあと3試合です。9月30日の対横浜戦が最終です。
そしてこの日、我らの愛する矢野選手の引退セレモニーも行われます。
そのためにも
最後まであきらめずに 「頑張れタイガース!」
 

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Posted by naka602 at 11:56 | TrackBack (0)


2010年9月18日
どの子も 子どもは星
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今日の元気塾は
「 親子で元気になる懇談会の持ち方・通知表の所見の書き方」 でした。
具体的な持ち方や所見の記入例も話したのですが、
今日一番言いたかったのは、やはり東井義雄先生の
「どの子も星、どの子からも光が出ている、その光を輝かせてやろう」
ということでした。
 
あの子には、ここを直してほしいし、あの事をがんばってほしい・・・・
そんな課題はいっぱい見えてきます。
でもなかなか見えないけど、
あの子にも、あの子なりの輝きをもった星もあるはずなのです。
 
そんなまだ発見されていない新しい星をぜひ見つけてやってほしいのです。
それを、懇談会や通知表の所見の中で知らせてあげてほしいのです。
すると、その星は輝きを増し、やがて親子とも元気になるのです。
 
 
   どの子も 子どもは星
                東井義雄
どの子も 子どもは星
みんなそれぞれが それぞれの光をいだいて
まばたきしている
ぼくの光をみてくださいと まばたきしている
わたしの光もみてくださいと まばたきしている
光を みてやろう
まばたきに こたえてやろう
光を見てもらえないと 子どもの星は 光を消す
まばたきをやめる
まばたきをやめてしまおうと しはじめている星はないか
光を消してしまおうと している星はないか
光を 見てやろう
まばたきに こたえてやろう
そして
やんちゃ者からは やんちゃ者の光
おとなしい子からは おとなしい子の光
気のはやい子からは 気のはやい子の光
ゆっくりやさんからは ゆっくりやさんからの光
男の子からは 男の子の光
女の子からは 女の子の光
天いっぱいに 子どもの星を 輝かせよう
 
 
元気塾終了後の感想の中に、
新任1年目の先生がこんなことを書いていました。
「今日初めて聞いた東井先生のことが気になります」
 
そうですね、ぜひ気にしてくださいね。
東井先生が亡くなられてから、もう20年近くになります。
でも東井先生の考えはまったく古くありません。
むしろ今こそ 「カムバック東井義雄」 なのです。
東井先生の著書は、もうほとんど絶版になっていたのですが、
最近復刻版も出てきたので、アマゾンなどで検索すると
東井先生の著書の購入も可能です。
(残念ながら人気の「培其根(ばいきこん)復刻版」は売り切れだそうです)
ちなみに、今日紹介した 「通信簿の改造〜八鹿小」(1967年)は
中古本しかなく、なんと7600円。
今日私が持ってきたこの本は650円でした。すごい価値の本です。
(この本は私の父が持っていたものです。父の遺品の一つです)
 
 

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Posted by naka602 at 00:42 | TrackBack (0)


2010年9月15日
あゆみ(通知表)の所見の書き方
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昨日、尼崎市の戸ノ内保育所の職員研修に行ってきました。
その玄関で、2つの詩を見つけました。
一つは、沖縄県与那原東(よなばるひがし)小学校の子どもの詩です。
     (私、与那原東小のTシャツを持っています。1年前に与那原町で買いました)
一つは、東井義雄先生の詩です。
     (やっぱり東井先生はいいです)
そんな2つの詩に感動しながら、研修室に入りました。
 
 
話は変わります。
ずいぶん前の話です。
私が、H小学校に勤めていた時、先輩から
「○○のお父さんは、お酒に酔うと学校に文句を言いにくることがあるよ」
と聞かされていました。
 
学期末のある日の夜9時頃です。数人の先生と一緒に学校から帰ろうとした時、
そのお父さんがやって来ました。あきらかに酔っていました。
「おい、センコウ! もう帰るのか。何してたんや。『あゆみ』をつけてたんか。
言うとくけどな 『あゆみ』 はいらんぞ! どうせ、1と2ばっかりや。そんなものは
いらんのじゃ!」
と大声で叫ぶのです。
そのお父さんを先輩の先生がなだめ、その場は終わったのですが、
私は変な意味で感動しました。 「ホンマに酔うて学校に来るんや」 って。
 
でもそのあと、お父さんの言葉が何度も何度も頭に出てきます。
「『あゆみ』なんかいらん! どうせ1と2ばっかりや」
酔わずには言えない、そんな悲痛な叫びがよみがえってくるのです。
 
私たち教師の子どもの頃の成績は、ある程度の成績はとっていたと思います。
だいたいの人は、『あゆみ』を楽しみにしていたのだろうと思います。
だからこそ私たち教師は、もしかするとこのお父さんの叫びを心に留めずにここまで
やってきたのかもわかりません。
その時、私は決めたのです。
「1や2の子どもや親にも、『あゆみ』を楽しみにしてもらいたい、
そんな『あゆみ』をつくらないといけない」
 
そして翌年、私はH小学校に 「あゆみ(通知表)検討委員会」 を立ち上げ、
H小学校の『あゆみ』の改造にとりかかったのです。
 
その時に一番参考にしたのが、
東井義雄校長が著した 「通信簿の改造〜八鹿小学校〜)」(明治図書)
でした。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どの子にも、あらゆる教科、あらゆる教育活動の中で
このような生きがいを育ててやるのが「教育」という仕事であったはずだ。
それだのに、
できない子をできるようにする努力もしないで、
自信を失っている子どもに自信を育てる努力もしないで、
テスト結果だけを集計して
「おまえは『1』だ」
「おまえは『2』だ」
「おまえは『C』だ」 と
子どもを枠づけし、自信を奪い、希望を奪い、子どもの生きがいをさえも
奪ってしまうようなことを私たちはやってはいないだろうか。
学校でそのような残酷な仕打ちをするだけではまだ足らず
テスト結果の枠ぎめを、家庭にまで届けて二重の残酷を
私たちはやっているのではないか。
「通信簿」
これがギロチンの役目を果たしてはいないか。
子どもの希望の根を断つ「首切り斧」になってはいないか。
私たちは、こんな反省から
私たちの仕事の筋を正す手はじめに
「通信簿の改造」の仕事に取り組んできた。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・(「通信簿の改造 はしがき」 より抜粋) 

 
私がH小学校で 「あゆみ(通知表)検討委員会」 を立ち上げたのが
1992年(平成4年)でしたが、
八鹿小学校の「通信簿の改造」が著されたのは
1967年(昭和42年)のことです。
今から43年も前のことです。
でも、今読んでも十分通用する内容というか
今こそもう一度読み返さないといけない内容だと思うのです。
 
そんな東井先生の考え方の一端を
18日の元気塾では、話したいなあと思っています。
 
18日の元気塾のテーマは
「親子で元気になる個人懇談会の持ち方、通知表の所見の書き方」 です。
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:04 | TrackBack (0)


2010年9月10日
小説 「阪急電車」
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小説 「阪急電車」(有川浩・作 幻冬舎)が、来年映画化されるというニュースを
聞きました。主演は中谷美紀、そして阪急電車も全面協力ということで、とても
楽しみにしています。
 
小説「阪急電車」は、阪急電車の中でも神戸線、京都線、宝塚線という主要本線
ではなく、今津線という少しローカルな枝線の駅をテーマにした小説です。
小説は、今津線の8つの駅を順番に巡りながら、8つのお話で構成されています。
(目次はその8つの駅名です。・・・そのあと折り返すので全部で16になります)
宝塚駅⇒宝塚南口駅⇒逆瀬川駅⇒小林駅⇒仁川駅⇒甲東園⇒門戸厄神駅⇒
西宮北口駅、・・・・・・電車に乗ればたった15分です。
 
私は13歳まで大阪市に住んでしまいたが、その後の41年は
     14歳〜20歳 逆瀬川(さかせがわ)駅
     21歳〜24歳 小林(おばやし)駅
     25歳〜37歳 逆瀬川駅
     38歳〜54歳現在  西宮北口駅  
 
そうなのです。私はこの小説の舞台で40年余り暮らしているのです。
だから小説に出てくる沿線の描写は、めちゃくちゃよくわかるのです(笑)
 
そんな今津線ですが、ちょっこし私も解説したいと思います。
★宝塚駅・・・・あの有名な宝塚歌劇があるところです。
 そして私が一番好きだった遊園地「宝塚ファミリーランド」があった場所です。
 有名な「花の道」では、あのカッコイイ宝塚スターに出会うこともありました。
 
★宝塚南口駅・・・・かつては映画館もあったし「サンビオラ」は今津線で唯一の駅前
 ショッピングセンターでした。今は・・寂れてしまいました。 老舗の宝塚ホテルのみ。
 でもサンドイッチの「ルマン」は健在です。めちゃめちゃおいしいサンドのお店です。
 
★逆瀬川駅・・・・ここが私の本拠地でした。この駅を24年間利用していましたから。
 駅前には西武百貨店があり、清原がいた西武黄金時代には、何度も優勝セールを
 していました。でも、今は西武も撤退し、南口駅と同じように寂れています(悲)
 
★小林駅・・・・小林と書いて「おばやし」と読みます。今津線で唯一昔と変わらぬ姿を
 残している駅です。私の新任時代はここから通っていました。家から電車に乗るまで、
 走れば1分で乗れたのです。小林駅は、改札を入るとすぐにホームがあるローカルな
 駅なのです(笑) 今も私の母と姉が住んでいる駅です。
 
★仁川駅・・・・東にはすぐ阪神競馬場があり、競馬開催日は人と車でいっぱいです。
 西の山の方には、仁川ピクニックセンターや甲山森林公園などの野外活動に最適な
 場所があります。私は何度ここに行ったことか・・・。思い出いっぱいの地です。
 
★甲東園駅・・・・ここは学校がたくさんある学生の駅です。西には関西学院大学、県立
 西宮高校、甲陵中学は道を挟んで3つ並んでいるのです。甲陵中⇒県西宮高⇒関学の
 トライアングルコースを歩んだ友だちもいます。10年間通学路は一緒(笑)
 東には、報徳学園があり、その近くの段上西小に私が勤めていた時、報徳は野球も
 駅伝も全国優勝しました。
 
★門戸厄神駅・・・・普段は静かな駅ですが「やくじんさん」には多くの人が来られ、出店で
 賑わいます。神戸女学院や私が非常勤講師をしている聖和短大もこの駅から通いま
 す。やくじんさんへ行くおじちゃんおばちゃんと大学へ行くピチピチギャルが同居です。
 
★西宮北口駅・・・かつてはあの阪急ブレーブスの西宮球場がありました。球場へ行く道
 には「あぶさん」に出てくる飲み屋さんがあったり、雰囲気のいい喫茶店もありました。
 今の西宮北口は、一変しました。阪急西宮ガーデンズ、阪急百貨店、芸術文化センター
 等の施設もあり、交通の要所でもあるので、西宮で一番便利な所です。
 「関西で住んでみたい駅」の第一位にもなりました。今、私はここに住んでいます。
 ※西宮北口は 「にしきた」 呼ぶ人と、「きたぐち」 と呼ぶ人に分かれます。
 若い人は「にしきた」、昔からの人は「きたぐち」なのです。私はもちろん「きたぐち」です。
 
 
 みなさん、すみません。
 しょうもない解説でした。 でも中学時代の同級生は喜んでくれたでしょう(笑)
 

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Posted by naka602 at 01:28 | TrackBack (0)


2010年9月7日
やっぱり 「ちりとてちん」
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人気の 「龍馬伝」 も寺田屋事件が起こり、佳境に入ってきました。
また久しぶりの視聴率回復の朝ドラ 「ゲゲゲの女房」 も終わりに近づいています。
そして、知る人ぞ知る 「カムバック 『ちりとてちん』 」 もラスト2週になりました。
 
「仲島は、まだ 『ちりとてちん』 のこというてるんか」 と言われそうですが、
いいものはいいのです。朝ドラ史上最高傑作の 「ちりとてちん」 は不滅なのです。
2年ぶりに、今年の4月から、BSハイビジョンで再放送されているのです。
毎週日曜日の25時10分からです。(正確には月曜午前1時10分です)
1週間分(6回)まとめての再放送です。
ホームページも復活しています。  ↓
http://www9.nhk.or.jp/asadora/chiritotechin/index.html
 
何度見ても、笑いが、そして涙が出てしまいます。
今度の12日は、またまた感動の内容です。
「あのシーンや」 と思うと涙が出そうになります。
そして19日が最終回になります。
 
DVDも持っている私が、深夜にまた 「ちりとてちん」 見て涙する・・・・・
そんなアホな自分ですが・・・・・「ちりとてちん」 はやっぱり最高ですわ。
 
全国の 「ちりとてちん」 ファンのみなさん、
             さあ、いよいよラストですよ。
 
 

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Posted by naka602 at 08:05 | TrackBack (0)


2010年9月5日
今日も宿題の報告にほっこり
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今日は、東京で看護師さん介護福祉士さんの学会での講演でした。
そこでも、いつもの宿題(10秒の愛)を出したのですが、夜にすぐ返事がきました。
夜勤明けの看護師さんからです。
 
 
仲島先生
今日は2日ぶりに子供たちに会えました。
きっと今日、先生の講演を聞いてなかったら、
いつもみたいに、帰宅して

『ただいま〜!学校の宿題やった?』が、

第一声だったと思います。

でも、先生の宿題をやりました。

帰宅して、

『ただいまぁ〜!やっと会えたねー!ありがとう!』と言って、

ギューっと娘を抱きしめました。

娘は、黙って抱きしめられてくれていて、でもなんだか嬉しそう。

ママの匂いがする、と言ってくれました。

お風呂から丁度

出てきて、その光景を見た息子。

なんだか、照れてました。

お次は、息子!

『やっと会えたね〜!お留守番ありがとう!』とギューっとすると、

『ママ!あのね、あのね!』と、たくさん、話し出す息子。

 

いつもなら『あー、ちょっと待っててね、夕飯作るから!』と言って、

会話を一旦、さえぎってしまう私ですが、

先生の言うように、10秒、手にエプロンも持たず、キッチンに行かず、

息子の話を聞きました。

すると娘も、話し出しました。

話を全部聞きました。

話し切った子供たちって、いい顔するんですね!

10秒、手を止めよう!って、自分に思わせるだけで、

こんなに子供たちのいい表情が見られるなんて。

 

それからキッチンに行って夕飯の支度をしてくれていた夫の背中に、

ありがとう、と言いました。

 

普段、どんなに、子供たちの言葉に耳を傾けていないか。

転職して、子供たちとの時間は、確かに増えたし会話も増えました。

でも、今日は子供たちの「ママが話を全部聞いてくれた」と

いう満足感を得たような、良い表情!

普段の、『ただいまぁー、宿題したの?』

の声かけでは、子供たちが、ママと話したい!って、

気持ちは失せますよね、、、

忙しさ、早く寝かさなきゃ、に焦らされ、子供たちの話を

ちゃんと聞いてやれなかった私。

会議!業務!で、部下の気持ちを聞いてやれない私は、

今日から、180度変わると思います。

 

今日、先生に出会えて良かった!

『あ〜よかったな、あなたがいて』

今日の講演は、きっと忘れない。

本当に、ありがとうございました!

我が子の良い表情に出会わせてくれて

ありがとうございました!   

             (看護師 Yさん)

 

 

看護師さんの仕事は激務です。

そんな中での「10秒の愛」の報告に、今夜もほっこりしている私です。


 


 

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Posted by naka602 at 06:43 | TrackBack (0)


2010年9月2日
子育ては幸せ
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9月になってもこの暑さ・・・・いつまで続くんや、たまりまへんなあ。
  
でも、こんな温もりはいつあってもいいです。
私に最近届いたメールを紹介したいと思います。
  
 「先生、こんにちは。先日は講演会、ありがとうございました。
 今日から2学期が始まりました〜。 何よりも暑い!  汗ダラダラです。
 この前の講演会での宿題、家に帰ってからちゃんとしました、娘、息子にも・・・。
 そしたら2人ともすごくいい笑顔になっていました。2歳の息子は意味がわからな
 かったと思うのですが、一言 「ありがとう!」 って言われちゃいました。
 子どもだけじゃなく、私も貯金ができました。ホントありがとうございました。」
 
このお母さんは、新任時代からよく知っているがんばり屋の先生です。
ええお母ちゃんになりましたね。
※講演会の宿題とは、家に帰ったら 
 「あーよかったな あなたがいて」 って10秒間我が子を抱きしめることです。
 
 
次のメールは、私と同じ歳のお母さんからです。
息子さんは大阪の大学を卒業後、今、宮崎県で働いています。
親元を離れてがんばっている息子さんに、お母さんが誕生日メールを送りました。
 
 「慎太郎へ
 お誕生日おめでとう! 26歳になったのですね。
 あなたが生まれた26年前のこと、今でもはっきり覚えています。
 お姉ちゃんの時とは違って、陣痛が始まったお母さんを
 お父さんがちゃんと病院に連れていってくれました(笑)
 あなたは、間違いなく、望まれて誕生し、愛されて育ったのです。
 これからも、健康で幸せな人生を送って欲しい・・・お母さんの願いは
 ただそれだけです。
 ではまた大阪で。  母 」
 
 「お母さんへ
 ありがとう! 昨年にも増して温かいメールありがとう。
 自分も自分の子どもには、大切に思っていることを
 ちゃんと伝えようと思う。お母さんのように。
 今日は彼女に宮崎に来てもらっています。
 なので幸福です!
 健康面もちゃんとします!
 では!  慎太郎 」
 
 
こんなメールにほっこりしながら、休日を過ごしている私です。
(ハードな夏休みも終わり、ささやかながら3日間の夏休みをいただいています)
 

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Posted by naka602 at 12:27 | TrackBack (0)