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2013年10月22日 |
学級目標はクレッシェンド |
昨夜、指導案を見ながら 「この展開は難しいなあ。中学生はたぶんうまくいかないだろうなあ」 と思っていました。 この展開ではなく、こんな展開ならどうかという代案まで私は用意していました。 そんな思いで小野南中学校に着いたのですが・・・・ 着いてみて、考えが変わりました。 着いたときは清掃時間だったのですが、生徒たちはそれはもう一生懸命に掃除をしているのです。そして元気にあいさつをしてくれます。授業前、教室に行く途中、隣のクラスの合唱練習が聞こえてきました。生徒だけで練習をしていましたが、あまりにいい声なので、私はその教室に入り込んでしまいました。 掃除を一生懸命にする、あいさつができる、合唱がうまい。 これはいい授業が見られるかもしれない、そんな予感がしました。 そして授業公開の2年3組に入ると、もう温かい雰囲気が伝わってきました。若い山内先生と生徒たち34人の笑顔が飛び込んできたのです。 これはいい授業になる、確信しました。 授業はその通り、いい雰囲気のまま難しい展開がいとも簡単に進んでいきました。 スゴイ! 不登校気味のA君も今日は久しぶりの出席でしたので注目していましたが、周りの友達は彼のことを気にしつつ、ごくごく普通に接していましたので、彼も普段通りの姿でがんばっていました。ホントいい感じの仲間たちでした。 担任の山内啓右先生から、授業後にこんな話を聞きました。 「実は私は数年前に仲島先生の講演を聞いて『優しい』という意味を知り、ずっと意識していました。でもまだまだ失敗ばかりでうまくいきません」 そんな謙虚な山内先生ですが『優しい』の学級づくりがしっかり出来ていました。 すばらしいです。 山内学級の学級目標は「クレッシェンド(だんだん大きく)」 これからまだまだ大きくなっていくことでしょう。楽しみです。 (※山内先生は音楽の先生で、吹奏楽部の顧問) いい授業を見た後は、なんだか気持ちがいいです。 ホンマいいものを見させてもらいました。 ありがとうございました、山内先生。 これからも応援しています。 今日は、小野南中学校2年生の特別活動「学級活動」の授業研究会でした。中学校での特活の研究授業はなかなか見ることはありません。続きを読む... |
Posted by naka602 at 21:58
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2013年10月21日 |
マー君の凄いところ |
★中学時代の「宝塚ボーイズ」の奥村浩治監督。 当時、マー君よりレベルの高い選手はいっぱいいました。でもマー君は、今、自分は何をすればいいのか、そんな「気づく力」が、他の選手より抜きん出ていました ★楽天の星野仙一監督。 マー君はが凄いのは、向上心。 疑問に思うことがあれば、相手がダルビッシュでも聞きに行く。 「自分で行く」それが出来る選手や。 気づく⇒自分で行く⇒気づく⇒自分で行く⇒気づく⇒自分で行く⇒ 気づく⇒自分で行く⇒気づく ⇒そしてシーズン24連勝の自分を「築く」のです。 マー君は凄い! 楽天の田中将大投手「マー君の凄いところ」について、2人の監督が述べてました。続きを読む... |
Posted by naka602 at 08:18
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2013年10月13日 |
猛練習あるのみタイガース |
桧山が最後に、ファンのみんなに 「今日で本当にお別れ、さようなら〜ホームラン」 を打ってくれたのが、せめてもの救いです。 さあ、明日から練習です。休んでいる暇はありません。そして安芸での秋季キャンプは「地獄の安芸キャンプ」でタイガースの再生です。 とにかくタイガースの練習量は少ないし甘い。沖縄キャンプでも落合ドラゴンズの練習量とタイガースと練習量は全然違うのです。厳しさが違います。私は3度沖縄キャンプを見ましたが、なんか気楽に見えるのです。とても地獄の練習には見えませんでした。 1979年の巨人の「地獄の伊東キャンプ」は伝説にもなっていますが、当時の若手の参加18人のメンバーには、江川、角、西本、鹿取、山倉、河埜、山本功児、中畑、篠塚、淡口、松本が入っていました。今見れば、みんな有名な選手ですが、当時は若手の駆け出しだったのです。その若手が大きく成長していったのです。 「多摩川と伊東が育てた『純正巨人軍』」なのです。 今のタイガースは、他球団からの補強ばかりで、若手を育てていません。純正タイガースが何人いるのでしょうか。 そろそろ、他球団からの補強は止めて、生え抜き選手育成をじっくりとやってほしいものです。そのためにも安芸の秋季キャンプは、必死でやってほしいですね。 伝説にもなった巨人の伊東キャンプの際に長嶋監督はこう言いました。 「今のままでは、巨人は没落する。明日からの1か月間は、地面を這いつくばるような猛練習を重ねて、新しい巨人をつくる以外に道はないんだ。この秋季キャンプは、技術を磨くのではなく、心を鍛えるキャンプだと肝に銘じてほしい。猛練習の中から「俺がレギュラーをとってやる!」という意識を自分自身に見出してほしい。どんな艱難辛苦にも耐えて、生き抜く心身をつくるんだ。その意識革命のために、我々はここ伊東に馳せ参じたのだ!」 和田監督、鬼にならなあきませんよ。 クライマックスシリーズ、またもや敗退、何をしてるねんタイガース。続きを読む... |
Posted by naka602 at 00:21
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2013年10月9日 |
ちゅらさん |
境小でも「10秒の愛」のいろいろな取り組みをされており、私の講演を楽しみに待って下さっていたようですし、私もすごく楽しみでしたので本当に残念です。 でも台風なら、しかたないですね。 NHK朝ドラのことです。 前回「ちりとてちん」の復活のことを書きましたが、 実は同時に「ちゅらさん」の再放送も始まりました。 「ちゅらさん」の放映時、私は学校現場でしたから、見る時間もなく、 このドラマのことは、私はまったく知りません。 でも沖縄の話です。 大好きな沖縄の話です。 主題歌は読谷高校出身のキロロの「ベストフレンド」 見ないわけにはいきません(笑) 「ちゅらさん」には、沖縄の風景と沖縄の言葉がたくさん出てきます。 特に沖縄弁は聞いていて、「嬉しくて心地よくて懐かしい」のです。 なんか故郷のドラマのような錯覚におちいります(笑) もうすっかり沖縄人の私です(笑) 今、テレビを見るのに忙しいです。 特に朝は忙しい時間帯に45分間も時間をとられるのは痛いです(笑) 朝7:15〜30「ちりとてちん」 7:30〜45「ごちそうさん」 7:45〜00「火野正平 こころ旅」 そして夜は、7:00〜「ちゅらさん」です。 なかなかたいへんですが、・・・・・「まあ いいさあ〜」 今日は、鳥取県境港市の境小学校での「10秒の愛」講演会でした。でも台風の影響で学校は臨時休校ということで、講演会もキャンセルになりました。続きを読む... |
Posted by naka602 at 11:12
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2013年10月6日 |
「ちりとてちん」 復活! |
私は学校現場を辞めてから、朝ドラを見るようになったのですが、最初にめちゃめちゃハマったのが「ちりとてちん」です。 あまりにハマり過ぎて、ドラマのロケ地(福井県小浜市)を巡ったり、グッズを買ったり、脚本から本、DVDも揃えました。こんなにテレビドラマにハマったのは初めてで、自分でも信じられないぐらいでした。 その「ちりとてちん」の復活です。 明日7日(月)BSプレミアム7時15分から再放送されます。 「ちりとてちん」のホームページも復活しています。制作の遠藤さんの復活メッセージも載っています。昔の掲示板も復活です。(私も書いていました) 「ちりとてちん」の視聴率は、たいしたことはなかったのですが、「ちりとてちん」ファンは今も根強く応援しているのです。 「ちりとてちん」は不滅です。 めちゃめちゃうれしいニュースです。 NHK朝ドラ「ちりとてちん」の復活です。続きを読む... |
Posted by naka602 at 12:12
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2013年10月4日 |
母の経歴 その4 |
私の賞状も出てきたのですが、それ以上に姉の賞状がザクザク出てきたのです。私の枚数の5倍以上はあったでしょうね(笑)それも大きさや厚さが違います。姉の賞状は太くて大きいのです。賞状の格が違うのです(笑) 姉は優秀だったのです。 そういえば、私が中学校に入学した時に、多くの先生方から言われました。 「きみが、仲島さんの弟か」って。 大学に入った時もそうでした。 「君が、サトコの弟か」って。 そうなんです、常に姉と比べられていたんです。 私は姉ほど優秀ではなかったので、みなさんは心の中では「弟はたいしたことないな」と思われていたかもしれませんね。 もしかしたら、母の心の中でもそうだったかもしれません。 でも、母は一度も 「お姉ちゃんはあんなにできるのに、あなたは出来ないの!」 って怒られたり、比べられたりした記憶はまったくないのです。 そうなんです、まったくないのです。だから 姉弟の比較を他人から言われても私にはピンとこなかったのです。 そのせいか、私はそんなことがまったく気にならなかったので、本当にノビノビと育ってきたのだと思います。これは母のおかげなのです。 私は今でも「人との比較」ということに関しては無頓着で、なぜそんなに比べるの?って思うのです。人に対して、嫉妬心やライバル心もほとんどない私です。平和な私ですわ(笑) ※ただしこんなライバル心はあります。例えば、巨人に負けるか!東京に負けるか!(笑)むしろ人より強いかも(笑)でもこれは、ライバル心ではなく反骨心ですね。 私は子育て講演の中で、兄弟の育て方の話を時々するのですが、 姉と弟を比べなかった母の子育てが、その原点になっているのだと思います。 改めて母の子育ては素晴らしかったんだなあと思います。 今の講演活動ができているのも、母のおかげですね(笑) とにかく母には長生きしてほしいです。 今回は母の経歴というか、私の経歴にもなるのですが、実は先日見つけた母の教員免許状のほかにも、私と姉(4歳上)の子ども時代の賞状が出てきたのです。続きを読む... |
Posted by naka602 at 11:00
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2013年10月1日 |
母の経歴 その3 |
母は、戦前から小学校の教師(国民学校訓導)をしていたのですが、戦後は小学校に勤めているときに「特殊教育」(現在は特別支援教育)に関わり、昭和33年4月より兵庫県で2番目に開校した尼崎養護学校に勤めることになりました。 当時はまだ「養護学校教諭」という免許はありませんでした。 その後、兵庫県教育委員会が昭和35年(1960年)2月15日に、県下で初めての「養護学校教諭」の免許を発行しました。 その記念すべき第1号がナント「仲島武子」だったのです。目の前にある母の免許状に、ホンマに「第1号」と書いてありました。 そして実はそれは全国で初めてだったので、母は日本で一番目に「養護学校教諭」の免許をもらったということになるのです。 全国で1番です、全国で1番です。凄すぎます。 ほかにも、東京教育大学での3か月の内地留学の「特殊教育」修了証書も出てきました。母はその後、大阪教育大学や神戸大学の内地留学にも行っていますが、東京教育大学に行っていた時期は、私がまだ4歳の時です(姉は8歳)。そんな小さな子どもがいる中、東京に行って勉強していたのです。行く母も母ですが、それを認める父も凄いなあと感心してしまいました。父は「どんどん行け!」と言っていたようです。 母は全国養護学校研究大会で発表もしているのですが、その時に作った模造紙3枚の資料もきれいに保存されていました。手作りで丁寧に書かれています。今見ても通じる素晴らしい資料に驚くばかりでした。 でも当時は、そんな活躍に「女のくせに」と陰口も随分たたかれていたようです。でも母は負けないし、父もそれを応援していたようです。(この頃から我が家はもう男女共同参画社会だったようです) 母の家に行くと、宝物がザクザク出てきます。 ホンマ知らなかったことばかりです。情けない息子です(笑) それから今日は私と姉の資料?も出てきました。 それは次回に紹介します(笑) 今日、探し物があって、母(89歳)の家に行ってきました。いろんな資料が出てきましたが、また母の凄いものを発見しました。続きを読む... |
Posted by naka602 at 19:44
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