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2020年10月23日
今度は典子から
「仲島先生はいつも楽しそうですね」と言われることがよくありますが、私も同じ人間ですので、辛いこともあるのです、落ちこむ時もあるのです。「え〜ホント〜?」って言われそうですがホンマです(笑) 昨夜も心が重くなる出来事がありました。

でも、今日はまた嬉しいメールが届き、元気いっぱいになりました。
ホンマ単純です(笑)
太郎、舞、ナウミ、有紀に続き、典子からもメールがきたのです。
もう嬉しくてたまりません。


仲島先生へ
ご無沙汰しております。
38年前、1年2組でお世話になった典子です。

数えきれないほどの子供達をうけもってこられて、何十年も前の
一年生なんて覚えておられないだろうと思っていたのですが、
翠先生から「優しい風」を教えてもらい見てみると覚えてくださって
いた事に凄く驚き、凄く嬉しかったです。
システムブレーンのホームページで動画も見させていただきましたが、
昔の優しい面影を残した先生を見て「仲島先生だ〜!!」と感激しました。

5、6年生をうけもっていただいた翠先生は小学校生活の最後を親身に
見ていただいたのでもちろんとても心に残っているのですが、
入学したての一年生の時をうけもっていただいた仲島先生も
小学校生活でとても心に残っています。
みんな言いますがやはり朝礼台からのスーパーマンジャンプは
凄く印象に残っています。一年生だった私にとって仲島先生は
優しくてかっこいいスーパーマンでした。先生が大好きで結婚してると
聞いて残念に思っていた事も記憶してます(笑)
大好きな仲島先生が阪神ファンだったので全く野球を見ないくせに
家では阪神ファンを名乗ってました。

優しい風のトップ画面に「優」とゆう漢字の事が書いてあるのを見ました。
私はいま5歳(年中)と9歳(3年生)の母です。
下の子は先生のお孫さんと同い年ですね。
子供の名前を考える時に、賢くなってほしい、男前(可愛く)なってほしい、
スポーツができるようになってほしいetc…たくさん思いましたが、
全部を名前につける事もできないので、一つ絶対にこうなってほしい❗️と
思ったのは「優しい子」でした。
私の子供達は二人とも「優」とゆう漢字が入っています。
仲島先生の思いが知らず知らずのうちに私の心の中に残っていたのかな?
なんて思ってしまいました。

下の子は気づかいのできるしっかり者女子なのですが、対称的に長男は
私が保護者の方に謝らないといけない事が多々あるような学年の有名人です。
ついつい怒ってばかりになってしまうのですが、あんな言い方してしまって
良かったのかな…? 私みたいな接し方されてちゃんとした子に育って
くれるのかな…?などと、日々悩んだり反省したりしています。
親になってみて見えてくる事もいろいろあり、自分の親の事も
昔どんな思いだったかなど考えるようになりました。
いくつになってもなかなか一人前にはなれないものですね。

先生は西宮北口にお住まいなのですね。私は西宮北口にもよく行くので
すれ違う事もあったかもしれないですね。
今回思いがけず仲島先生と繋がれて嬉しかったです。
ありがとうございました。  典子



典子、本当にありがとう!
そして典子ママ、子育てってそんなもんです。
なかなかうまくいかなくて当たり前です。
でも典子ママの「優しさ」は必ず伝わります。
長男くんも大丈夫ですよ、信じてあげて。



そうそうそれから
有紀からのメールは、ここには載せていないのですが、
唯一、有紀とは人権研修で出会っているのです。
有紀は幼稚園の先生ですが、園で元気体操を教えてみたいって
言ってくれたので、今度、会ってホンマに教えたいです(笑)
私ももう振付を忘れているので、音楽を鳴らして思い出そうと
思っています。
それとナウミと同じように謝らないといけません。
有紀を「ゆき」と思っていました。本当は「あき」でした。
ずっと間違っていてごめんなさい。
担任じゃなかったということで許してね。



Posted by naka602 at 22:30 | TrackBack (0)


2020年10月21日
35年ぶりの再会
舞と連絡が取れ、舞の仕事帰りに会うことになりました。 私は29歳、舞は8歳。舞のクラスを最後に私は転勤しましたので、それ以後まったく会わずの35年ぶりの再会です。8歳の子どもが42歳のお母さんになっているのです。顔、わかるかなぁ?

そして待ち合わせ場所に、少し早く着いて待っていました。
すると向こうから自転車の女性がこっちにやってきました。
「あの人か」
でも近くに来ても、なんだか知らん顔、
「違うのか」
するとこっちを見て、ニコッと会釈をして立ち去りました。
「誰や〜?」

そして3分後、またまた自転車がやってきて、すぐに
「センセー、すみません〜」
「舞や〜」
確信(笑)
35年ぶりの再会でした。


そのあと、30分ほどをコメダでコーヒータイムをしました。
いろんな思い出を話してくれました。
ホント舞はよく覚えていました、何でも。
2年の担任として本当に嬉しい限りです。
高学年のことは覚えていても、低学年のことは忘れていることが多いのに、
舞はよく覚えていてホント嬉しいです。
舞、本当にありがとう!
あーよかったな、舞に会えて。

楽しかったお母さんのことも話してくれました。
コロナ禍の中、亡くなられたのですが、最期までしっかりされていたのは
さすがです。写真を見せてもらうと、痩せておられましたが昔の面影もあり、
本当に懐かしかったです。
兄の太郎と舞の2人を最後まで心配されていたようですが、2人ともこんなに
素敵な大人になっているのですから心配いりませんよ。
お母さんって、いつまでもお母さんなのですね(笑)
私の母もそうでした(笑)


兄の太郎は、今、佐賀に住んでいるそうです。
私、今年の2月に鳥栖に行ったのですが、すぐ近くでした。
今度は太郎に会いに行きます。

舞と別れたあと、私と舞のツーショットを太郎に送ると、
すぐに返信がありました。

「先生〜〜〜〜〜〜! ありがとうございました!
 写真見て、泣きました。
 今後とも舞をよろしくお願いしますね!」

ホンマ妹想いのええ兄ちゃんや、太郎は。




Posted by naka602 at 21:22 | TrackBack (0)


2020年10月17日
フランスからも
兵庫県で 「多文化共生教育」がしっかり始まったのは、2000年「外国人児童生徒にかかわる教育指針」 2003年「子ども多文化共生センター開設」 の頃だと思います。その時、私は西宮市教育委員会指導主事でその担当をしていましたが、全く違和感なく仕事をしていました。

それはきっとナウミとの出会いがあったからでしょう。
その出会いは
「子ども多文化共生センター開設」より20年も前のことです。
今からだと40年も前のことです。当時の世の中には
「多文化共生」や「多様性」という言葉もない時代です。


ナウミは、
肌の色は黒いし、髪も顔も日本人とは違う。
そして子どもなのに耳にはピアス。
周りの子どもたちも最初は違和感もあったでしょう。
でもすぐに打ち解けました。
子どもたちはあっという間に慣れていきました。
そして「ごく普通」になりました。
私たち教師も知らないうちに「ごく普通」になりました。
ナウミは、段西小では「ごく普通」だったのです。

でも私たちが思う以上にナウミ自身は、いろいろ悩みも多かっただろうし、
辛い経験もたくさんしたと思います。よく頑張っていたなと思います。
でもそのおかげで私たち教師も、周りの子どもたちも
「同じ地球人」としての「生き方」を学んだのです。

今、アメリカNBAでは「八村塁」が活躍していますが、
その先輩が「ナウミ」です。
「八村塁」があるのも「ナウミ」のおかげです(笑)


そのナウミからメールが届きました。
本当に嬉しくて涙がこぼれました。
その一部を紹介させてください。


仲島先生へ
大変ご無沙汰致しております。
今朝、先生のブログを拝読させて頂き、先生が私のことを覚えて
下さっていたことに、時空を越えた感動を覚えました!

段西初代(?)の 「フランス籍のナオミ」 です。
先日、翠先生含めた6ー1のクラスLINEで先生のお名前が出た瞬間、
笑顔になると、水面に出来る輪の様に、顔中に笑顔が広がる仲島先生の
お顔がパッと思い出されました。

やけに寒かった冬の朝の「元気体操」も、仲島先生のパワフルな
振り付けと笑顔で、甲山を横目に、最後は全力で(やけくそで?!)
踊っていたのが懐かしいです。

当時はまだ昭和の時代、ハーフの存在は珍しく、道行く人の好奇の目も
ありましたが、迪人校長先生を始め、段西の先生方が一丸となって
受け入れ、そして守って下さったこと、今でも大変感謝しております。
仲島先生のクラスになったことはなかったのに、廊下で会うと立ち止まり、
私の目を見て元気かと聞いて下さった仲島先生は、周囲と違うことに
不安を抱いていた子供心に、力強い「ほんまもんのスーパーマン」でした!

こうして再び繋がることが出来、あのときのお礼が言えるのが嬉しいです。
仲島先生、小さくて不安だったあの時、見守ってくれて
ほんまにありがとうございました。どうぞいつまでもお元気で、
優しい風を届けるスーパーマンでいらしてください!

ナウミ



ナウミに謝らないといけません。
今の今まで、ずっと「ナオミ」だと思っていました。
私にはそう聞こえていました。
本当は「ナウミ」だったのですね。

さっき、昔の名簿を探したら「ナウミ」でした。
40年間、間違っていました。
ホンマごめんなさい。

日本語も英語もフランス語もペラペラのナウミ。
世界中を駆け回るナウミ。
今、フランスでは、またコロナ感染が広がっているようです。
どうかどうかお大事に。

元気でねナウミ。




Posted by naka602 at 18:14 | TrackBack (0)


2020年10月16日
太郎と舞
先日の7人LINEの太郎からメールがきました。そしてそのあと、太郎の妹の舞からもメールがきました。少し関係を整理しておくと、
太郎・・私が1年生を担任した時の隣の学級の子で、3年後に担任する舞の
    お兄ちゃんです。私が25歳でスーパーマンのTシャツを着てた時期。
舞・・・太郎の妹で、私が28歳で「太陽」のTシャツを着てた時期です。

その舞からのメールの一部を紹介しますね。

仲島先生
大変ご無沙汰しております。
先日、兄から翠先生経由で先生のブログのURLを教えて貰いました。
兄から「連絡してみたら?」と言われたのですが、
「さすがに何人もの教え子がいはるやろし、覚えてはらへんのちゃう?」と返しました。
そうしたら、その翌日、先生が私たちの事をブログに書いて下さっていて、驚きました!
驚きと共に、担任した児童はもちろん、その他の児童まで覚えていて下さって、とても嬉しかったです。
ここまで書いて、私が誰か分かりますでしょうか?
そうです、太郎の妹の舞です。
本当にご無沙汰しております。
先生が私たち兄妹の事だけでなく、母の事まで覚えていて下さって本当に嬉しかったです。
その母ですが、今年の5月に亡くなりました。だから余計に嬉しかったんです。
先生のブログのあの一文を読んで自然と涙が出ました。
と、ここまで書いてる途中で兄から先生とコンタクトが取れたと連絡が!!!

まさか、お会いするチャンスが!?
(兄が先生とのメールを送ってくれました)
ビックリしています。
私は市尼の食堂にパートに出て、まだ3年程です。
もしかしてその間にも先生はいらしてたのかしら。
それと、先生は今西宮北口にお住まいなんですね!
私は結婚してからは武庫之荘在住ですが、独身時代は10年強西宮北口に住んでいました!
もしかしたら何処かですれ違っていたかもしれませんね。

ちなみに今、息子は小学校二年生です。
私が先生に受け持って貰っていた年なんです!
なんだか勝手に運命を感じています(笑)


「太陽の子」学級の思い出は、本当に沢山ありすぎて、、、
「太陽の子」の歌もありましたよね、今でも何となくですが歌えますよ。
先生の授業はどれも熱心で面白かったですが、中でも体育の時間は凄かったです。
体育館中に体育館倉庫のありったけの備品を出して、まるで巨大テーマパークの遊び場のようなものを作ったり!
しかもその準備と後片付けのタイムを毎回競って、いかに時間短縮をするか皆で考えたり。確か研究授業で他の学校の先生も観に来られてましたよね?
あと、クモの巣ランド!!
体育館中にゴムを張り巡らせるなんて、ものすごい発想だと思います!
確か寒い時期だったので、外れたゴムが痛かったのも覚えています(笑)

授業以外で強烈に覚えているのが、ある日先生が小躍りして教室に入ってきたこと。
物凄くテンションが高く、にっこにこで、一体何が!?と思っていたら、その前日に阪神タイガースが優勝したんですよね!
先生から 「六甲おろし」や、その他の授業に使った曲等、太陽の子 をダビングしてもらったカセットテープは、多分今でも実家のどこかにあると思います。

あと覚えているのは給食の時間に、先生のトマトシチュー?にハエが入ったこと!
見ていた子は悲鳴をあげました。
先生は、それを残さず食べたんです!!
あれは今でも衝撃です。
食べ物を残したらいけないのは分かります、でもハエ、、、。
先生、今でも同じ状況なら食べます、、、?
私はやっぱり躊躇ってしまいます(^^;)))

長々と、すみません。
本当に色々と思い出が溢れてきます。
お会い出来たら嬉しく思います。
それでは、また。
先生とこうして繋がれて、翠先生には感謝です!




昨日は、大阪府豊能地区の初任者研修会だったのですが、
ついついこのことを喋ってしまいました。
「36年前に教えた子からメールがきたんだよ。教師冥利に尽きます。
 教師の仕事って、しんどいけど本当に幸せな仕事ですよ」 と。

それにしても舞はたくさんのことを覚えていて本当にびっくりしま
したし、こんなに嬉しいことはありません。
このクラスのテーマは「太陽の子」(灰谷健次郎「太陽の子」がモデル)
教室には大きな太陽を上げて、私はサンタクララの太陽Tシャツを着て
学級通信も「太陽の子」そして学級の歌「太陽の子」も作りました。
作詞・仲島 作曲・淡井恵美子(音楽の先生)です。

舞が書いていましたが、そうなんですタイガースが21年ぶりの優勝の時です。
あのバース掛布岡田の伝説のバックスクリーン3連発の時です。
関西が大フィーバーだったときですね(笑)懐かしいです。
それにしても給食でハエのシチューを残さず食べたとか・・
これは覚えていませんが、今なら絶対に食べません(笑)

楽しいことばっかりの中、お母さんが亡くなったのはショックです。
あの元気なお母さんが亡くなるなんで信じられません。
ガンだったそうです。
お母さん、天国から舞と太郎を見守ってあげてくださいね。


市尼にいる舞に会いに行ってきます。



Posted by naka602 at 08:34 | TrackBack (0)


2020年10月13日
1年生の子どもたちが
私が20代の時にいた段上西小学校で、めちゃお世話になっていた素敵な先輩・翠先生からメールが届きました。翠先生が6年生で担任した子どもたち(今は44歳)がLINEグループ(7人)でやりとりしている中で「仲島先生の話題も出ていたよ」と教えてくれたのです。

実はこの6年生の子どもたちを、私は1年生で担任(25歳)していました。
そういうこともあり、よく覚えていてくれたようです。
「仲島先生ったら、いきなり朝礼台の上で思い切りジャンプ、
 そして飛び降りるんだから」
それだけではありません。入学式の時も体育館でジャンプしました。
 担任の自己紹介で
「仲島先生は本当はスーパーマンです。今日は飛んで学校に来ました」と言って
 1年生と保護者の前で開脚ジャンプです。どよめきましたね(笑)

それから「元気体操」のこともよく覚えていてくれたようです。
「元気体操」とは毎年冬になると全校生で走る「耐寒かけ足」の準備体操の
ことです。「がんばれ元気」というアニメの主題歌に合わせて踊る体操です。
徒手体操ではつまらないので、私がアニメの曲に合わせて体操を作りました。
「♪げ〜んき〜げ〜んき〜風にな〜れ〜げ〜んき〜♪」のメロディと動きは
印象的だったみたいですね。本当に嬉しいこれを覚えていてくれたのは。


LINEの7人の子どもたちのうち、私が担任した子は2人だけです。
知佳と典子です。担任ですから2人ともよ〜く覚えています。
あとの5人は違うクラスですが、覚えていました。
フランス籍のナオミは、小学生からピアスをしていた子です。
哲平は、学年一の有名人。探求心のある子でした。
美穂と有紀は、2人ともお姉ちゃんがいたので覚えています。
美穂のお姉ちゃんとは5年前に公民館の講座で会いました。
太郎は、妹を担任したのでお母さん共々覚えています。


実は以前にも6年生の先生から、卒業文集にこんなことを書いていた子がいたと
教えてもらったことがありました。
「1年生の最後の日に、仲島先生が一人一人を抱っこして高く上げて
 『がんばれ〜』 と言ってもらったことが心に残っている」と。


今64歳の私が、40年前の私を思い出し、
「なんかいいなあ。とにかく元気で一生懸命だったんだなあ」
と自分の過去に感動しています(笑)
そして7人の子どもたちが今も話題にしてくれていることにも
感動と感謝の気持ちでいっぱいになっています。

ありがとう、本当にありがとう。
私は幸せ者です。




Posted by naka602 at 22:28 | TrackBack (0)


2020年10月11日
尼崎市立下坂部小学校
新型コロナの影響で運動会を中止にした市町村もあったようですが、尼崎市の小学校41校は全ての学校で実施です。今日はその中の尼崎市立下坂部(しもさかべ)小学校の運動会(体育大会)を見てきました。

朝、6時半に校長先生が学校に来ると、校門前に1人のおじいちゃんが・・。
「校長先生、おはようございます。いい天気になってよかったですね」
と挨拶してくれました。続けて
「ホントは孫の活躍を見たかったのですが、今年は仕方ないですね。
家からしっかり応援しておきます」 と。

今年はコロナのせいで、入場制限があるのです。一家族2人までと・・。
楽しみにしていた孫の活躍が見られなくて残念に思ったおじいちゃんが、
朝、校門まで来て、まだ誰もいない運動場のトラックを見ておられたのです。
なんだか切ない・・・・・・でもいいおじいちゃんですね。

開会10分前、子どもたちは座席でマスクをつけながら待機しています。
そしてさあ開会式です。子どもたちがマスクを外すと、そこには満面の笑みが
こぼれています。いつもの入場行進はありませんが、朝礼台前に整列する
子どもたちはみんないい顔でした。
校長先生の挨拶に思わず返事をしてしまう子どもたちは本当にかわいいです。
(声は出さなくていいと事前指導がありましたが・・・)
応援合戦も応援団員だけの声のはずが、座席からは小さな声が漏れています。
みんな我慢していますが、ついつい出てしまいます。

演技は、各学年とも「走」と「ダンス」の2種目です。
1年と2年の「走」はかけっこ。
3年〜6年生の「走」は全員リレーです。
ここはさすがに声が出ます。我慢が出来ません(笑)
「頑張れ〜〜」「赤〜〜」「しろ〜〜」って。
一生懸命に走る子どもたちの姿は美しいし、終わったあとの表情は
晴れ晴れとスカッとした感じでした。
やっぱり思い切り走らなアカン、これで発散しないとアカン。
子どもは動いてナンボです。

1、2年のダンスは色旗を、3、4年は縄跳びを使った動きで運動場
いっぱいにきれいな模様が出来たようなダンスでした。
3年4年の子どもたちは、この縄跳びをこれからの季節に使いながら
遊び、体を鍛えるのでしょう。きっとそんなことを先生方も考えての
縄跳び演技だったのだと思います。
5、6年のダンスは、今どきのダンスで私などは出来ません。
あの速くてややこしい動きは私には到底無理です(笑)
でも子どもたちはそれを見事にこなすのです。凄いなあと思います。
校長先生の話によると、このダンスをすることによって「自分を開いた」
子も多くいたようです。これがまさに表現運動の真骨頂です。
この中から、将来のジャニーズが出てくるかもわかりません。
それにしても、そんなダンスを指導した先生も凄いです。

運動会は午前中だけの短縮バージョンでしたが、子どもたちの表情は
「やりきった」感が見えて本当によかったです。
全国の学校の中には「ゼロリスク」を追うあまり、運動会などの行事を
中止にした学校もあったようですが、私には「ゼロリスク」の「リスク」の
方が高い気がしてなりません。

中止にすれば何もしないで済むし、感染の心配もありません。
責任もありません。それは簡単なことです。
でもどうしたらやれるかを考えて、出来る限りのことした下坂部小学校は、
運動会も修学旅行も自然学校(5年)も全て実施しました。
そんな先生たちの苦労と努力に大きな拍手を送りたいです。
また校長先生はずっと「ヒヤヒヤドキドキ」だったでしょう。
もし感染が広がったら、どう責任を取ろうかとも考えたことでしょう。
その心労は本当に大きかったことでしょう。本当にお疲れ様でした。
子どもたちのために、先生たちのために、判断し決断を下した校長先生にも
大きな拍手です。

素敵な下小教職員集団です。



追伸です。
この下坂部小学校では5年生が自然学校から帰ってきた時、
辺りはもう真っ暗でしたが、学校の運動場に入ると突然、校舎に大きな
映像と文字が浮かび上がりました。
「おかえり 満月のように 輝く5年生」
とプロジェクションマッピングです。
わぁ〜と大きな歓声が上がりました。
こんなお迎えは初めてのことです。
運動場には満月のように輝く5年生が・・、
そして夜空には本物の満月が・・。

これを作ったのは教頭先生です。凄い技術をもった教頭先生です。
子どもたちのため、先生たちのために、時間をいっぱいかけて
作った教頭先生にも大きな拍手です。





※ちなみにこの教頭先生は、私の大学バスケ部の後輩です。
 そんな後輩に脱帽です。やるなあいつ。



Posted by naka602 at 14:55 | TrackBack (0)