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2021年4月26日
R子に会いたいなあ
元中学校の校長先生で現教育センター所長のH先生の娘さんのA子先生は、新任時に私の息子が勤務していた学校に赴任します。2人は同僚になりました。
その後、息子は異動したのですが、数年後A子先生が異動した学校は、ナントまた息子の学校でした。2人はまた同僚になりました。市内には小学校が40校ほどあるので、なかなかこんなことはありません。
ちなみにもう一つ言えば、この2つの小学校は、かつて私が勤務していた学校でもあります。


その二人のやりとりからです。

先日、参観授業と学級懇談があったようですが、翌日に
(A子学級の)保護者が連絡帳にこんなことを書いてきた、と
A子先生が息子に見せたようです。
それを息子が写メして送ってくれました。

「A子先生へ。 連絡事項ではないのですが、
 昨日の懇談で紹介されていた『10秒の愛』を書いたのが、私が
 この学校に通っていた2年生の時の担任の先生、仲島正教先生で、
 大好きだったので、嬉しくてここに書かせていただきました。R」


わぁ〜R子が2年生の時のことを覚えていてくれたんや。
わぁ〜R子がお母さんになって母校に子どもを通わせているんや。


R子の学年が、私の教え子の最年少にあたります。
あの時、私が40歳であれから25年。R子は8歳で25年だから33歳や。
大きくなったなぁ(笑)

私が息子にR子のことをいっぱい喋ると「そんだけよく覚えているな」
と感心してくれました。
実は、このR子の学級は、学級通信を1年間一日も休まず発行した時
なのです。担任21年間で、唯一毎日発行した1年だったので印象深か
ったのです。学級通信にもR子はよく出てきていました。


コロナが収まったら、R子に会いに行きたいなあ。





Posted by naka602 at 12:18 | TrackBack (0)


2021年4月18日
月夜の森の梟(ふくろう)
JALの機内誌に載っている浅田次郎さんのエッセイ「空の翼」をいつも楽しみに読んでいます。(ここ1年以上コロナのため飛行機には乗っていません(涙))
またJR東日本の特急の車内誌に載っていた伊集院静さんのエッセイもとても楽しみでした。(今は違う人になりました(涙))

今、好きなエッセイは、朝日新聞土曜版に載っている
小池真理子さんの「月夜の森の梟(ふくろう)」です。
毎週楽しみに読んでいるのですが、
ほぼ同年代の小池さんが書く文章が心にしみるのです。

こんな文がありました。(抜粋)

 若いころ私は、人は老いるにしたがって、いろいろなことが楽になっていくに違いない、と思っていた。のどかな春の日の午後、公園のベンチに座り、ぼんやりと遠くを眺めている老人は、皆、人生を超越し、達観しているのだろう、と信じていた。ささくれ立ってやまなかった感情は和らぎ、物静かな諦めが心身を解放し、人生は総じて、優しい夕暮れの光のようなヴェールに包まれているのだろう、と。
 だが、それはとんでもない誤解であった。老年期と思春期の、いったいどこに違いがあろうか。生命の輝きも哀しみも不安も、希望も絶望も、研ぎ澄まされてやまない感覚をもてあましながら生きる人々にとっては同じである。老年期の落ち着きは、たぶん、ほとんどの場合、見せかけのものに過ぎず、たいていの人は心の中で、思春期だった時と変わらぬ、どうにもしがたい感受性と日々、闘って生きている。



コロナのワクチン接種は
これから65歳以上の高齢者に始まりますが、
私はその最年少に該当します。
まだ思春期の私にも・・・




Posted by naka602 at 20:11 | TrackBack (0)


2021年4月13日
教え子のカフェがオープン
「教え子のカフェがオープン」 正確にいえば「教え子の『妹』のカフェがオープン」です(笑) 妹は、私が担任したお姉ちゃんが6年の時の2年生です。だから小学校ではあんまり知らなかったのですが、彼女が短大に入った時に、なんと私の特別授業を受けてくれたのです。「あっお姉ちゃんの先生だ」と気づいて声をかけてくれました。それ以来のつながりです。だからもう教え子なのです(笑)

彼女はそのころから、自分のカフェを持ちたいという夢を持っていました。
美味しいコーヒーの作り方もいっぱい勉強したようです。
コーヒー有名店でも修業を積んだようです。
そしてその夢を10年かかって、とうとう実現したのです。
本当に凄い子です。

彼女は言います。
「昔から私にとってカフェは
 ぼーっとしたり考え事したり
 心がしんどくなった時には
 また頑張ろうと思えるような
 癒しの場所でした。
 そんな空間を次は
 提供する側に立ちたいと思い
 お店を開きました。
 lokki(ロッキ)とはフィンランド語で
 「かもめ」のことです。
 海の上を風にのって
 気持ちよさそうに飛ぶ姿は
 私の癒しのひとつです。
 心地よい風が吹く空間となるように
 おなかだけでなく心も満たせる
 そんなお店が出来たらと思っています。」

「lokki」(ロッキ)
662-0855西宮市江上町2-17
☎0798-56-9933
open11:00〜18:00  木曜休み

西宮市役所の北で、税務署の南側です。
兵庫県西宮庁舎の前の通りを西に歩いて1分10秒。
お店の駐車場はありませんが、付近には
コインパーキングが数か所あります。


カフェには、
とっても素敵な絵画が飾ってありますが、
これはお母さんである井上よう子画伯の作品です。
「青の井上よう子」として有名で、全国各地で展覧会も
催し、世界にも作品は出ています。
「静かな抒情性を湛えたブルー」と評されています。


「私が作るコーヒーとお母さんの絵で、
 皆さんの心と体を癒すことが出来たら、
 こんなに幸せなことはありません。ito」


このカフェは、ワイワイ喋る場所というより、静かに語り合ったり
1人で本を読む、そんな心休まる場所です。

彼女が作るコーヒーはもちろん美味しいですが、
手作りのロールケーキやプリンも絶品です。
また定食とスパイスカレーもありますので、
ゆっくりと過ごせる空間になっています。

そんな素敵なカフェlokkiに
一度足を運んでみてくださいね。





Posted by naka602 at 14:42 | TrackBack (0)


2021年4月1日
少しは役に立ったかな
今日は尼崎市役所で稲村市長から教育委員の退任にあたり、感謝状をいただきました。市長室には市幹部職員が並び 「えっこんなに大げさなの?」と驚いてしまいました。もしまだ教育委員なら「こんな大げさなことはやめたらいいのに」と意見を言ってたかもしれません(笑)

この前のブログでは自虐的なことも書きましたが、ここ数日は退任にあたり、
嬉しい言葉もたくさん頂き、本当に幸せな気持ちで終えることができました。

「本当に長い間、尼崎の教育を引っ張って下さって、ありがとうございました。
これまでで一番うるさ型の、そして行動する委員会だったと思います。
現場に足を運び、悩む教員と一緒に考えて下さる最強のメンバーでしたが、
仲島先生はその中心でした。これからも教育委員の経験者として、尼崎の教育を
見守ってください!」

まさに「これまでで一番うるさ型」だったと思います。
かつて大阪府教育委員会を橋下知事が「ただの承認機関でしかない」と酷評して
いましたが、尼崎市教育委員会は「ただでは承認しないぞ」という姿勢で
毎回毎回、白熱し、会議はいつも長時間でした。これは阪神間では断トツでしたが、
多分全国でもこんなに議論をする教育委員会はないと思います。
他市の教育委員はいろいろ肩書きがあり、立派な人?が就任していることが
多いのですが、尼崎は違います。私をはじめ、肩書きよりも実践派が集められて
いましたからね。有名な人はいませんが、地域をよく知っているしよく動きます。
「動く教育委員会」がキャッチフレーズでした。


「教育委員会議での仲島先生の発言は、いつもフェアーで自分自身も気合いの
入るお話でした。時には厳しく厳しく、でも思いやりのあるお話で、事務局も
一番頼りにしていたと思います」

事務局の議案や受け答えで「役所的」なことに対しては、ホンマ厳しく追及
していました。
「検討させていただきます」ってあやふやな回答があれば
「検討とは動くことですよ。何もしないのは検討ではありませんよ」
とツッコミを入れるし、どう変わったかを何度もきいていると、物事が早く
進むようになりました。そしてその時には「本当に大変な状況なのに
ありがとうございました。さすがです」って惜しみない拍手を送りました。
国会とはえらい違いでしょ(笑)


「仲島先生の指摘は痛い所をつかれて大変ですが、そのためによく頑張れる
ようになりました。また学校現場の大変さをよく知ってもらえているので、
市や社会教育から学校への多くの要望には「それは無理」と防波堤になって
助けてもらえました」

学校現場のアカン所は指摘するのですが、原点は「学校の応援団」の私なの
で、いろいろ言わせてもらいました。いじめの件でも教師に対して「いじめ
に対しての感度が低い」とか「生活ノートをしっかり見ていなかった」とか
「子どもの話をもっと聞いてやってほしい」とマスコミ等からも厳しい指摘が
ありましたが、そこだけを追及しても解決にはなりません。
教師に余裕がなければ、子どもをしっかり見れないし、感度も低くなるのは
当たり前です。過度な仕事量を減らしたり、教員をもっと増やすことが大事だ
といつも言ってきました。ついでに給料も増やしてほしいと。
また総合教育会議に入っていたテレビや新聞の関係者にも、クレームをつけた
こともありました。役所の幹部が驚いていました(笑)


「教科書採択の会議では、とても助けてもらえ、ありがたかったです」

これは私の強みであり、ここで言わなければどこで言うって感じです(笑)
教科書会社も多数傍聴に来る採択会議です。最長7時間にも及んだ時も
ありましたが、現場サイドの意向をしっかり分かった上での発言で
「助けた」という表現はおこがましいですが、学校現場が一番やり
やすい方向になったと自負しています。


ここ10年は耐震化の件で、校舎の建て替えが多くありました。
このように耐震化をするんだと工事現場にもヘルメットをかぶり、入らせて
もらったり、設計段階から一緒に考えさせてもらいました。
校舎の改築や新築の設計も教育委員会に諮られ議決によって決定します。
たぶん他市の教育委員会では、施設課からの決定済みの設計を承認する
だけだと思いますが、それでは途中で変更ができません。
なので尼崎では案の状態で教育委員会に出してもらい、検討をします。
その時点で、私は「子どもの動線」のことや「図書室の配置や広さ」など
にも意見を言いますし、広い窓や広いスペースを自慢げに提案してきた時
には、この広い窓を誰が掃除をするのですか?とか、ここに埃がたまりや
すいとか、階段がこれでは狭いとか、細かいことを言うのです(笑)

ある時、改築でややこしい作りになったので施設課が校長に意見を聞くと
「これでいいです」と言ったそうです。私は猛然と反論しました。
「現校長は、使い慣れているので『いいです』と言ったのでしょう。でも
それではダメなのです。10年後に赴任した校長が『なんやこれ!』ではなく
『いい改築をしてくれてましたね』と感心する改築でないといけないのです」

この11年間、一緒に仕事をした施設係長はやがて課長になり、今は部長に
なりました。
「仲島委員のご指摘は学校を建築する上で本当に勉強になりました。
 退任は残念ですが、コロナが収まれば一杯やりましょう」



私も少しは役に立ったのでしょう。


さあ、今日から新年度です。




Posted by naka602 at 14:13 | TrackBack (0)