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2007年1月30日
1mmでも意味があればいい
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 今頃書くのは遅いのかもしれませんが、元気塾のことが新聞に載りました。2007年1月1日そう元旦の日に、神戸新聞でけっこう大きく取り上げられていたのです。元旦に蔵王スキー場にいた私に北野校長先生(現鳴尾東公民館)から電話が入り「大きく載ってるぞ」って。
12月の元気塾の時に取材が入っていたのですが、まさか元旦に載るとは思っていませんでした。ホントびっくりしてしまいました。
 
 ところで、12月の元気塾では、「3学期にしておきたいこと」をテーマに学習したのですが、西宮・鳴尾小の福田先生にも実践発表してもらいました。するとその成果が今月の元気塾でいっぱい報告されました。「私は3学期の始業式でこんなことをしてスタートを切りました」 と目を輝かせて報告してくれる若い先生がいっぱいいました。 うれしいなあ〜、ホントうれしかったです。いい先生がいっぱいです!
 福田先生が話す中で、とても心に残る言葉がありました。
「大して意味がないことでも、1mmでも意味があればいい。何もしないより何倍もいい」
きっと、そのたった1mmが子どもたちを感動させるのですね。すばらしい青年教師です。
 今月(2月17日)の元気塾は、橋本裕史先生(明石・二見小)の体育の授業実践報告があります。5分間家庭訪問を実践している橋本先生です。よろしくお願いします。
 
※神戸新聞の記事です。
www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/200701hanshin/01.html
 
 

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2007年1月28日
恩師の後ろ姿
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 「ナカジマ、今度三田に来るんやろ。そのあと飲みに行こう。だから電車で来い!」
そんな電話が中学時代の恩師である里則男先生からかかってきました。そして26日、三田・あかしあ台小学校の帰りに、恩師との久しぶりの“一杯”になりました。
 もうすぐ63歳になるというのに、昔と変わらず元気いっぱいの里先生に思いっきり笑ってしまいました。全然変わらないのです。ホンマアホですよあの先生はアハハハ。
 
 中学校3年の担任であった里則男先生は、私の拙著「教師力を磨く」の「終わりに(p329)」の部分に登場していますが、私に 「教育は足でかせぐもの」 を徹底して教えて下さった恩師なのです。私の26年間の教師生活を振り返ってみると、いっぱい里先生の真似をしているのです。5分間家庭訪問はもちろん、学級通信の書き方も一緒だし、一番しんどい子を大切にすることも里先生そのものなのです。
 「里先生は、直樹(仮名)をよく社会科教官室に呼んで勉強教えてはったでしょ。小学校のドリルをさせてたのを僕らも知ってましたよ」 「おまえらも生徒同士で直樹にいろいろ教えてくれてたな。あれはホント助かったぞ」 一杯飲みながらそんな話が飛び出してきました。
「里が、またムラを歩いてたぞ」 そんな噂もよく耳にしました。当時中3の私にはその意味はよくわからなかったのですが、後々になってこれが 「教育は足でかせぐ」 ということだと理解できるようになりました。
 
 里先生は、私たち3年4組の生徒が起こした事件のこともはっきりと覚えていました。
「アホ!忘れるはずないやろ。大変やってんぞ、職員室で。 俺、○○先生(学年主任)に怒られたわ。おまえらむちゃくちゃするんやからな。でもなあ、おまえら偉かったぞ」
 その事件とは、夏休み明けに起こりました。3年4組全員が、課題であった読書感想文の提出を拒否したのです。「先生たちは、全員に読書感想文を提出させるが、それはコンクールに出る作品を選ぶためのもので、ほとんどの作品は感想の一つも言ってくれないまま終わる。そんな意味のない感想文は提出しない」 と3年生9クラスの中で私たち4組だけが提出を拒否しました。こんな時、担任は 「気持ちはわかるが提出しろ」 が普通なのに里先生は 「わかった」 と一言でした。里先生は職員室では“針のむしろ”だったようです。27歳の青年教師が、15歳のわがまま生徒たちの味方になってくれたのです。
 それから私たちの取り組みが始まりました。41人全員が読書感想文を書きました。そしてそれを全員に回し、全員が感想を書きました。自分の読書感想文に40人の感想が書かれました。それはそれは大変な作業でした。「もうやめようや」「めんどくさい」そんな声も何度も聞かれましたが、なんとかやり通したのです。そして3ヶ月後の2学期末に、3年4組読書感想文集を作り上げたのです。つたない文、きたない文字だったかもしれませんが 「則男と41人の仲間たち」の最高の作品が出来上がったのです。私たち3年4組の誇りでした。
 そんな事件を振り返りながら、「生ビールもう一杯!」 の注文が続きました。
 
 里先生は、生徒をよく呼び出していました。放送で呼び出すこともあるのです。「3年4組ナカジマ君、職員室に来なさい」 って。 何を怒られるんやろ と緊張して行くと 「さっきのおまえの行動はよかったぞ」 と言うだけなのです。たった10秒で終わることをわざわざ呼び出して伝えるのです。でもこれがうれしいんですね。帰りの階段はおもわず2段ぬかしで上がっていってしまうのです。これが里流のほめ方だったのかもしれませんね。
 この夜は、帰る間際に
 「ナカジマ、おまえのいい所は “誠実で一生懸命なところや”」
ってほめて下さいました。 27歳の里先生と15歳の仲島が、62歳の里先生と50歳の仲島になっても、関係は今も同じなのです。 
 里先生、今夜はごちそうさまでした。
これからも“誠実で一生懸命” にがんばっていきます。  

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Posted by naka602 at 09:49 | TrackBack (0)


2007年1月22日
パソコンが故障!
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 先週の金曜日の午後3時にパソコンを動かしたときは何ともなかったのに、午後5時に起動させたら何やら変な音がして動きません。そしてヘルプデスクに電話していろいろ試しましたが、結局最後の一言は 「これは致命的です」 ガーン!なんでや!急にこんなんなったら困る!
 
 ということで、この3日間、私のHP、メールは不通でした。ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。ほとんどのファイルはバックアップしていて助かったのですが、メールボックスはまったくダメで、大事なメールも消えてしまいました。皆さんのアドレスもわからなくなってしまいました。もしよろしければ、用件なしのメールを送信してください。
 
 今日の夕方復旧しましたが、この3日間パソコンと向き合わない時間が多いとなんだか少しホッとしている自分がいました。パソコンに頼り、パソコンに振り回される日々から解放されるのもたまにはいいものですね。パソコンが故障して困りましたが、この3日間、きっといい時間を過ごせたのでしょう。
 ある本にこんなことが書いてありました。 「嫌なことがあったら 『ありがとう』 と言おう」 って。    「パソコンさん、故障してくれて 『ありがとう』 」 

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Posted by naka602 at 22:45 | TrackBack (0)


2007年1月17日
1.17
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 1.17・・・・・この数字を見ると、やはり重たい気持ちになります。あれから12年が経つというのになかなか変わらないのです。今朝も、5時46分に黙祷しましたが、未だに涙が溢れてしまいます。震災直後は、なぜか涙はあまり出ませんでした。大きな被害、たくさんの遺体を目の当たりにしながら、なぜか涙はあまり出なかったのです。人間は悲しみが大きすぎると涙は出ないのかもしれません。震災から2ヶ月ぐらい経ったころでしたか、市の合同慰霊祭が行われました。その時です、突然肩が震えだし、涙がとまらなくなってしまったのです。自分でもびっくりするぐらい泣いてしまいました。それまでの緊張の糸が切れたのかもわかりません。
 
 あれから12年が経ちました。当時、避難所でボランティアの人と一緒に働きながら、こんなことを話していたことを思い出します。
「中島みゆきの♪時代に出てくるように、いつかは笑って話せる日が来るよなあ、きっと来るよなあ」 って。 
  ♪今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
   もう二度と笑顔には なれそうもないけれど
      そんな時代もあったねと いつかは話せる日がくるわ
      あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
      だから今日はくよくよしないで
      今日の風に吹かれましょう・・・・・ ♪
 
この歌を聞く度に震災を思い出す私です。 1月17日午前5時46分、黙祷。
 

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Posted by naka602 at 17:08 | TrackBack (0)


2007年1月13日
富士は日本一の山
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 今日は茨城県潮来市での講演のために、新大阪6時59分発の新幹線で東京に向かいました。寝不足だし、のども痛くて少し体調もよくない状態でした。静岡を過ぎてもウトウトしていた私ですが、しばらくして窓の外を見ると、富士川の向こうに、すっご〜い大きな富士山が窓いっぱいに広がっていたのです。「ウォー!」思わず声が出てしまいました。今まで見た富士山の中で今日が一番大きくて、綺麗で、立派で・・・ホンマ感動してしまいました。あまりに美しかったので、その興奮状態は小田原をこえるまでずっと続いていました。 すると、あーなんと体調がよくなっているではありませんか。元気元気です。富士山に私は元気をもらったのです。おかげで潮来市での講演も絶好調でした。富士山アリガトウ!でした。
 
 実はこの仕事を始めてから、東京方面に行くことも多くなりましたが、静岡〜新富士〜三島あたりは、私は必ず寝ないで起きています。なぜかというと、富士山を見るためです。でもでも富士山はめったに見えないのです。ほとんど雲や靄がかかっていて、見えないのです。見える確率ははっきりわかりませんが、私の感じでは5回に1回ぐらい、それも少し見える程度なのです。富士山全体が見えることはホント少ないのです。それがそれが、今日はもうむちゃくちゃ見えたんです。すっごく大きくはっきりと見えました。頂上から右側のくぼみもそして登山道もはっきり見えたんです。こんなに大きくはっきり見えるなんて・・・本当に本当に感動でした! ホンマむっちゃきれいかったで〜
まさに ♪ふ〜じは にっ〜ぽんいちの やま〜♪ です。

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Posted by naka602 at 23:31 | TrackBack (0)


2007年1月12日
思い出の1冊
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 今週の9日から仕事が始まりました。すると、会う方が 「蔵王はどうでしたか」 「いいですね昔の友人と会えて」 などと言って下さいます。 みなさん、私のホームページやブログをよく見て下さっているんですね。毎日たくさんのアスセスがあり、びっくりしています。本当にありがとうございます。
 今日は10日ぶりの更新です。ずいぶん日があいてしまいました。実は「私の思い出の1冊」という原稿を書いていました。そのためにいろいな本を読み直したりしたのですが、改めて読み直すと、また違った感動が湧いてくるものですね。たった1冊を紹介するとなると、けっこう迷ってしまい最後までなかなか決まりませんでした。
 
 高校時代に「人生論」として、はまっていた加藤諦三にしようか、大学時代の高田典衛か大村はまにしようか、新任当時の伊東博。そして上田薫、土谷正規、岩井邦夫、小林篤、斎藤喜博、長岡文雄、林竹二、築地久子、戸田唯巳、山本紹之介、堀井隆水、いや違った分野からの本田宗一郎にしようか・・・・といろいろ迷ったあげく、私が「思い出の1冊」にあげたのは、東井義雄(とういよしお)でした。 
 教育関係者なら誰でも知っている、いえもしかしたら若い世代はもう知らないかもしれない、だからこそ今東井義雄を紹介したいと思ったのです。昭和30年代から40年代のことが書いてある古い本(絶版)です。でも内容は全く古くないのです。というより今一番大事なことが書いてある気がするぐらいです。教育関係者だけでなく、一般の人も、親も地域の人も、会社の人も、そして政治家も今読んでほしい本ですね。今回東井義雄を読み直して、やっぱりすばらしい!ってまたまた感動してしまいました。本当はその本を紹介している私の拙文を載せたいのですが、それは「体育科教育5月号(大修館書店)」のお楽しみということにしておきたいと思います。
 
 私のパソコンの前には、今年も竹野町の福丸先生からわざわざ送っていただいた「2007東井義雄ほのぼのカレンダー」が吊ってあります。
 1月の東井先生の言葉は 「光いっぱいの年にしよう」 です。
 
※本、カレンダー等は、東井義雄記念館のHPに
 http://www3.city.toyooka.lg.jp/toui-kinenkan/index.html
 
 

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Posted by naka602 at 07:55 | TrackBack (0)


2007年1月2日
大阪市西淀川区出来島町
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 年末に小学校時代の友人オオクボから電話がありました。「お正月に会おう」って。
彼は大阪市立出来島小学校6年2組の教室で最後に席を共にした奴です。(※大阪市の小学校の机は2人用になっており、男女で座らされると緊張したり喧嘩したりしたものですが、最後は好きな者同士で座っていいということでオオクボと一緒に座りました。それは卒業文集に「最後に席を共にした仲間」ということで記されていました)
 
 今日、阪神電車西大阪線出来島駅に28年ぶりに降り立ちました。(大学4年の時に母校に教育実習に来たとき以来です) そこでオオクボと待ち合わせ、一緒に出来島の町を歩き回りました。私が1歳から13歳までを過ごした所です。あー懐かしい、本当に懐かしい!駅前にはよく診てもらった若杉診療所がまだありました。おしりによく注射をされました。今は息子さんが診ているそうです。その向こうにある散髪屋(関東では床屋と言うそうですね)の「南国」は未だ健在、オオクボのお父さんは今もここで散髪しているそうです。この散髪屋は当時では珍しい冷房の入っている店でした。真夏に散髪をしに「南国」に行くと「天国」だったのです。あの時の涼しさは今もはっきりと覚えています。そして私が住んでいた場所にも行きました。もうすっかり様子は変わっていましたが、完全に40年前にタイムスリップです。あの辺りに公園があって、あそこに給水塔があって、ここに私の家があった。この坂を登って神崎川の水門を渡ったなあ、あの水門は今も渡れるのかなあとオオクボと行ってみるとナント当時のままで渡れるではありませんか。当時怖々渡った水門は今も「これ危ないなあ」と思う橋でした。出来島小学校にも淀中学校にも行きました。校舎はほぼ昔と同じでした。3年4年の時にオオクボと一緒に通ったそろばん学校にも行きました。歩いていると 「この路地入った所や」 と思い出すんですね。歩く毎に思い出が湧いてくるのです。一つ一つの場所に思い出が残っているのです。もう懐かしくて懐かしくて・・・・。「あーなんていい子ども時代だったんだ」って思います。とってもいい気持ちになりました。
 
 別れ際に、オオクボが 「この本にナカジマのサインをくれよ」 とおもむろに私の本を取り出しました。 「おまえの本を読んだぞ、ええ本やなあ」 って。 
いつまでも本当にいい奴です。 「オオクボ、ありがとう!」 また会おうな。

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Posted by naka602 at 22:36 | TrackBack (0)


2007年1月1日
2007年のスタートです。
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 あけましておめでとうございます。
 2007年1月1日は、山形県蔵王温泉スキー場で迎えました。元旦の蔵王は快晴で、こんなに景色がよかったのかとびっくりするくらい周りの山々がスカッと見えました。本当に感動の景色でした。景色はすばらしいし、雪質も抜群、もう最高のスキー日和でした。
 
 我が家の恒例の冬休みスキーは、もうかれこれ22年程になります。娘が3歳の頃から始まり、息子が生まれてからもずっと続いていました。でもここ4年ほどは、娘と息子が大学生、高校生そして大学受験と、家族4人がなかなか揃わなかったのですが、今年は4年ぶりに4人が揃いました。
 娘が小5、息子が小1の時に、白馬八方尾根スキー場で、初めて家族4人のトレイン(列車のように並んで滑っていくこと)を成功させてから14年後、今度は蔵王温泉スキー場で、娘24歳、息子20歳、そして私たち50歳の夫婦の4人のトレインが復活しました。 14年前はプルークボーゲンのトレインが、今はウェーデルンのトレインです。本当に気持ちよく滑ることが出来ました。
 
 そんな幸せなお正月のひとときでした。今年もどうぞよろしくお願いします。

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Posted by naka602 at 23:55 | TrackBack (0)