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2007年2月25日
これで本当に最後の忍者体育
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 今日は奈良女子大附属小学校で「日本体育教育技術学会」が行われ、あの岩井邦夫先生の最後の忍者体育が公開されました。私も忙しい最中だったのですが、なんとか参加することが出来ました。元気塾からは、鈴木先生(西宮)古川先生(西宮)小川先生(三田)大川先生(川西)光田先生(川西)山田先生(大阪)足立先生(神戸)が参加されていました。岩井先生の忍者体育を含め公開授業2本、模擬授業4本、シンポジウム等、朝9時から5時まで一日中でしたが、なかなかおもしろい会でした。
 
 岩井先生以外の他の授業者は、みなさんTOSS(法則化体育)の方なのですが、「それでいいのか」と毎度のことながら批判的な意見を言わせてもらいました。その意見の中で、私が引用した二人の教育者(いずれも故人)の言葉を書いておきます。
 
体育の授業は、ある運動教材を消化すること、あるいはそれが要求している運動能力を獲得させることを究極の目的にすべきではない。それは仮の目標であり、当面の目標である。 跳び箱を跳ばすことは仮の目標であり、それが達成できなくても、自分の身体で感じ、確かめ、つなぎ、悟り、覚え、自分を知り、友達を知り、生き続けていく意欲、生活を切りひらいていく構えを確かにすることができればいいのである。それが体育の授業の究極のねらいだからである。(重松鷹泰)
 
「楽しさ」ということですが、授業への積極的な参加、さらに教師から与えられたというよりも、自分で自分に課した容易でない課題を解く努力、その努力の中に友達も先生も一緒に参加してそれをやった。そしてついに糸を解いたという経験。 これが子どもにとっての「楽しい」ということの最も本質的な内容ではないかと思うのです。(林 竹二)
 
TOSS(法則化体育)がこれまでやってきた功績は認めますが、このお二人の言葉にTOSSの先生たちが、何も感じないようなら、それはただの教師の自己満足だと私は思います。TOSSの先生たちが仮の目標で満足せずに、究極の目標に向かっていってくれることを願っています。なぜなら私たち教師は 「子どもの未来」 のために教育をやっているからです。
 

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2007年2月17日
一生懸命な若者
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 今月の元気塾は「青年教師、橋本裕史の授業を斬る」というテーマでしましたが、今回も34名の先生たちの熱心な姿に感動していた自分でした。自分が主宰して自分が感動なんておかしな事ですが、とにかくいいんですね、あの若い先生の姿が・・・・。本当に心の底から応援したいって思うのです。
 
 橋本裕史先生(明石・二見小、6年目)は、大学を卒業後すぐに現場に出ずに、西宮市の校外学級(いわゆる解放学級)の専任指導員として、同和地区の子どもたちに勉強や運動等を教えてくれていました。ちょうどその時私は市教委人権教育室にいて、彼を指導する立場でした。橋本先生はとにかく前向きで一生懸命でした。あまりにまっすぐで子どもとぶつかったり、親に怒られたりもしました。でもその一生懸命さに心は通じていきました。(実は私のHPをみたムラのお母ちゃんが「橋本先生が来るんだ」と、この日の朝、息子と一緒にわざわざ元気塾まで橋本先生に会いに駆けつけてくれました。橋本先生、よかったなあ)
 今回の橋本先生の授業は、がんばった授業でした。でもいっぱいいっぱい言わせてもらいました。授業報告、指導案、授業ビデオを見ながら、徹底的に指摘しました。たぶん、校内ではあんなには言われないでしょうね。少しキツかったと思いますが、それをバネにするのが彼の良さです。彼の本気に私も本気で応えたかったのです。
 
 小林大輔先生(朝来・枚田小)は新任時代、私と同じ学校でした。彼は新任ホヤホヤで失敗も多くしましたが、とにかく一生懸命な先生でした。「悩んだら遊べ」の私の助言をきいて、しんどい子と遊びまくりました。その子と銭湯にも出かけていました。ある時は小林先生を「研究会に行くぞ」って無理に連れていったこともありましたし、「なにしとるんや!」って彼を一喝したこともありました。
 小林先生は現在37歳、学校の中心となって活躍しています。その小林先生が今日、元気塾に若手教師2人を連れて朝来市からわざわざ2時間かけてやってきたのです。 「仲島先生、うちの学校の若手です。教えてやってください」 と。 彼の一生懸命さは今も変わりません。
 
西宮北口のラーメン屋に飾ってあった言葉です。
 「本気ですれば、たいていのことはできる。
  本気ですれば、なんでもおもしろい。
  本気ですれば、誰かが助けてくれる。」
 
本気な若者を本気で応援したいものです。

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Posted by naka602 at 07:49 | TrackBack (0)


2007年2月15日
岩井邦夫の「忍者体育」 最後の授業
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 今日は奈良女子大附属小学校の学習研究発表会に行ってきました。岩井邦夫先生の最後の「忍者体育」を見てきました。これで見納めです。
 今日の忍者体育を一言で表すなら、やはり「感動の授業」でした。すごくよかったです。58歳の岩井先生が孫のような子どもたちを相手に真剣勝負の授業をされていました。体育館中をコマネズミのように動き回る岩井先生の姿は昔とまったく変わりません。そして子どもたちの信じられないぐらいの運動量とその動きのすばらしさに目を奪われました。24年前、岩井先生の忍者体育を初めて見た時の衝撃と、今日も同じような気持ちになりました。 あーよかったな、授業を見られて・・。
 
 でも今悔やんでいます、今日の授業の事をもっと宣伝しておけばよかったと。
元気塾の先生にも 「年休をとってでも見に来い!」 って強く言えばよかったと後悔しています。この授業の感動は、実際に目の前で見た者しか味わえません。ビデオや本ではうまく伝わらないのです。そんなすばらしい授業が、今日で最後だったのです。 ホンマみんなに見せたかった!
 
 24年前、「奈良の学習法」に出会ってから、私は何度この学校に来たでしょうか、何度忍者体育を見たことでしょう。私の教師としての考え方は、ここから生まれてきたのです。ここが私の原点です。今日はなんだかそんなことが思い出され、感慨深くこの小学校の中を歩いていました。

 20年前の私のノートには、岩井先生の授業の事が次のように記されていました。
 
 岩井先生の授業をみて、まず驚くのは子どもが一人ひとり違うことをしていることである。先生が子どもを集め 「この技はこういうふうにやりなさい」 という光景はまったくないのである。授業中岩井先生はコマネズミのように動き回り、一人ひとりと接触し、その子の心を探っているのである。既成の教材を一斉に一律に与えて教え込むのではなく、一人ひとりの子どもが自分の学習としてどう取り組み、どのように学び、どう生きていくかを見届けながら指導しているのである。
 今、学校教育の中で、知識や技能・技術を早く正しく教えることにばかり重点がかかってしまい、子ども自ら学ぼうとする気持ちを育てることが忘れられている。岩井先生は、子どもが 「何をした」「何が出来たか」「何をうまくやったか」 ということよりも、まず子どもが、今何を感じ、何を考えて、仲間と共にどんな気持ちでやろうとしているか、という子どもの心がどう動いているかという視点から、子どもが生きる授業をつくろうとしている。
 
 子どもは自ら学ぶ力を持っている。学習というものは、教師が力ずくで教授するものではない。あくまで子ども自らが進んで自分の学習に取り組み、学習の仕方を工夫し、学習する力を身につけ、自分の力で自分の道を力強く歩んでいくことができるようにすることである。(岩井邦夫)
 
※岩井先生の忍者体育は今日で見納めでしたが、実はあと一回だけ見る機会があります。2月25日(日)日本体育教育技術学会(会場・奈良女子大附属小学校)で、授業公開があります。この日本体育教育技術学会とは、いわゆる法則化体育(現TOSS)の集まりで、岩井先生の体育の考え方とはまったく違うのです。この日は、 「TOSS対忍者体育」 という違う考え方の体育授業の対決が行われるのです。簡単にいえば、TOSSは「教え込み体育」であり、岩井は「教えない体育」なのです。同じ子どもを使って、岩井先生と根津先生(TOSS)がそれぞれ授業をします。なかなかおもしろいですよ。詳しくは明治図書の雑誌に案内が載っています。

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Posted by naka602 at 01:10 | TrackBack (0)


2007年2月12日
私を待つ人
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 10日は石川県加賀市、11日は鳥取県倉吉市に行ってきました。
加賀からの依頼は半年以上前のことです。担当の橋本昌子さんからはそれ以後何度もお手紙をいただきました。2月に入ってからは 「もうすぐですね。いよいよです」 とはがきが届きました。そして当日加賀市民会館でお会いし、「とうとうこの日がやってきました。ずっとお待ちしておりました」 と笑顔で迎えて下さった橋本さん。感激の出会いでした。
 翌11日は鳥取県倉吉市。なぜ倉吉が決まったのか、それは12月にあった鳥取県PTA連合会の講演の担当者だった大津昌克さんが倉吉市に推薦してくださったおかげなのです。カリスマ美容師(ご自身は「刈りすぎ美容師だよ」と冗談を言われます)の大津さんが12月の講演がよかったので、ぜひ倉吉でもと強く推薦してくださったようです。倉吉未来中心ホールに着くと玄関先で一番に迎えて下さいました。2ヶ月ぶりの再会に心が躍りました。
 ところで、この日倉吉駅に迎えにきてくださった福光さん、何気なく付いていったのですが、物腰も柔らかくとっても感じのいい方でした。そして会場に着いてからの名刺交換で私はびっくりしてしまいました。なんと福光さんは、教育長さんだったのです。でもびっくりしたと同時に感激してしまいました。 (感じは大路亨先生とそっくりでした)
 
 私はかつてこんな文を書いたことがあります。
 
            私を待つ人がいる
「私を待つ人がいる」これは、95年12月にあった「人権を考える市民の集い」での
高石ともや氏の講演の題です。それ以来「私を待つ人」ということにこだわりを持ち
続けています。
 彼は「人間が生きていけるのは、待っている人がいるからだ」と言い、待っている
人がいないと、人間は生きる意欲を失うというのです。
 家には、私を待つ母がいる。教室には、私を待つ友達がいる。学校には、私を待つ
先生がいる。あの角の向こうには、私を待つ恋人がいる。電話の向こうには、私の声
を待つ大切な人がいる。遠くの田舎には、私の成長を喜ぶおばあちゃんがいる。こん
なふうに、自分を待ってくれる人がいれば「人間は大丈夫だ」というのです。
 彼は、こんなことも言いました。「人間は、友達が二人いれば幸せに生きられる」
とってもつらくて死にたいと思った時、それを聞いてくれ「たいへんだったね」と一
声かけてくれる友達がいれば、その重荷がスーと消えていくのです。また、うれしい
時に「うれしい」と話せ、「よかったな」と一声かけてくれる友達がいれば、心が和み
希望に胸がふくらむのです。こんなふうに、一緒に悲しみ、一緒に喜び、自分を待っ
てくれる人がいれば、大丈夫なのです。幸せに生きていけるのです。と、彼は言うの
です。
 平木の子どもたちは、どうでしょう。あの子には、待つ人がいるのでしょうか。こ
の子を待つ人は誰なのでしょうか。あの子は今何に喜び、何に悲しんでいるのでしょ
うか。あの子の輝く目が見たい。この子の躍動する姿を見たい。
 私たちは、あの子たちに、できるだけ多くの友達をつくってほしいし、そういう仲
間と喜び合える学級づくり、人間づくりをしなければと思っています。平木の子ども
たちの幸せを心から願っているのです。
 高石ともや氏は、最後に笑顔で次のことを話され、去って行かれました。
「幸せになるために、私たちは生まれてきたんですよ」
                                                               
       (仲島正教  1995.12 平木小学校 職員通信「伝書鳩」より)

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Posted by naka602 at 08:14 | TrackBack (0)


2007年2月3日
体育会系人間が集まりました。
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 「お父さん、今日はどこに行くの?」 息子にそう聞かれ、「今日は徳島県東みよし町や。巨人の水野が卒業した池田高校の近くや」 「ふ〜ん・・・・?」 最近の若者は池田高校と言ってもピンとこないでしょうね。あの「さわやかイレブン」や「山びこ打線」、畠山、水野、江上そして蔦監督で全国に名をとどろかせた池田高校です。
 
 その池田高校の近くにある東みよし町での講演だったのですが、講演前に教育長とお話をしていて、びっくり。 ナント教育長は、あの池田高校の蔦監督の下でコーチをされていた方だったのです。あの頃のお話をいくつか聞きました。優勝した夜、畠山や水野が補欠選手と共に涙を流し、一緒に風呂に入ったこと(普段はレギュラーと補欠は別々に入っていたそうです)。また試合前には西宮東高校でよく練習した思い出(私の娘は西宮東高校卒業)。蔦監督とのコーチの二人三脚のお話・・・・とずいぶん盛り上がってしまいました。 そして最後には、教育はやっぱり頭だけではなく、体を通して育てるものだと二人は意気投合したのです。 私の講演中、教育長は何度もうなずいて聞いてくださっていました。うれしかったですね。
 そして講演が終わったあと、今度は教育委員長(女性)とお話をしていたら、委員長は元高校の校長先生で、専門は体育と聞き、またびっくり。実は講演前の挨拶をされたのですが、はっきりとしたとても気持ちのいいお話で、いいなって思っていたのです。今日は私を含め、体育会系人間が3人集まりました。 「体育はやっぱりええでぇ」
 
 なにかと話題の教育再生会議では、体育の重要性は出てこなかったようですが、私は体育こそ今大事にしなければならない教科だと思っています。奇しくも今私が依頼されている原稿は 「体育は『いじめ』に何ができるか」 というテーマです。
 
最後に教育長とこんな会話がありました。 
教育長 「私は全部で10回甲子園の土を踏みました」
仲島 「私は全部で20回甲子園の土を踏みました」
教育長 「・・・・・・?」
 
※西宮市では毎年10月末に、市内小学校42校の6年生全員が甲子園球場に集まって行う「小学校連合体育大会」があります。その引率に私は行っていました。 中学校も20校の1年から3年全員が集まって「中学校連合体育大会」を甲子園球場で行います。つまり西宮の子どもたちは、小中学校時代に4回甲子園の土を踏むのです。
 

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Posted by naka602 at 22:14 | TrackBack (0)