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2010年6月28日
うれしくてうれしくて・・・・
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今日は、仁川学院マリアの園幼稚園の父母の会の講演会でした。
控室で待っていると、幼稚園の先生が一人入ってこられました。
 
「仲島先生、お久しぶりです。私、段上西小学校の卒業生の宮本です。
 仲島先生の学年ではなかったのですが、よく遊んでもらっていました。
 妹と 『今度は仲島先生のクラスになりたいね』 ってよく話していたんです。
 今日は、お会いできることを楽しみにしていました。
 これ、気に入っていただけるかわかりませんが、私からのプレゼントです。
 私と妹の仲島先生のイメージはこれなんです」
 
と白い包みをいただきました。
開けてみると、それは
スーパーマンのTシャツ  でした。
 
なんか涙が出そうでした。
ちょっと興奮してしまいました。
 
当時、20代だった私はスーパーマンのSマークが胸に入っているTシャツをよく着て
走りまわっていたんです。低学年の子どもたちからは、「スーパーマン先生!」 って
呼ばれていたんです。
そんなTシャツのことを、他学年の宮本さんが覚えていてくれて、30年後にプレゼ
ントしてくれたのです。いったいどこでこんなスーパーマンのTシャツを探してきたの
でしょうか。スーパーマンのブームなんかとっくに過ぎ去っているのに、わざわざ時間
をかけて私のために買ってきてくれたのです。
その気持ちがうれしくてうれしくて・・・・・・。本当にうれしいです!ホンマ感激です!
 
宮本さんは、私が2年生を担任している時の3年生であり、5年性を担任している時
の6年生だった子です。その宮本さんが今、段上西小学校の近くにあるマリアの園
幼稚園の中心的な先生として活躍しているのです。
30年前の小学校の先生のために、こんな素敵なプレゼントをしてくれる宮本先生は、
きっと幼稚園の子どもたちにも毎日素敵な保育をしているに違いありません。
 
「宮本昌樹子先生、本当にありがとう!」
 
 
講演前に、こんなうれしいことがあり、そのままハイテンションで講演に入って
いきました。もちろん初めは、このうれしいTシャツの話からでした。
そして講演終了後に、一人のお母さんがやってきました。
 
「私、段上西小学校で1年生の時に担任していただいた阪根正行の姉です。
 昨日、弟に連絡すると 『僕のこと、覚えているかな?』 って言ってました」
 
「阪根君の姉さんかあ。ウン、阪根正行君のことはめちゃ覚えていますよ。
 だって阪根君は一年中ずっと半ズボンにランニングシャツで過ごしていた子
 なんだから・・・・。どんなに寒い日でもランニングシャツ1枚だったもん」
 
阪根正行君・・・、信じられないでしょうが、本当に1年中ずっと半ズボンにランニング
シャツだった子です。よく遊ぶし、よく仕事もするし、よく勉強もできました。そして
とっても優しい子でした。そんな忘れようにも忘れられない子でした。
「阪根君、姉さんにアドレス教えたからメールくださいね。そして東京で会おうな」
 
 
前回のブログで今津小学校のことを書きました。
今回は今津小学校のあとの段上西小学校のことです。
なんかこの流れに驚いています。
 
それにしても
今日は、うれしくてうれしくて・・・・・・。  
 

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2010年6月25日
三十路会(みそじ会)
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今夜は、今津小学校の三十路会(みそじ会)でした。
 
三十路会とは・・・・。
私は大学出てすぐ22歳で今津小学校に赴任しましたが、
その今津小学校の30代の先生たちの集まりの飲み会が「三十路会」でした。
でも、私のような20代の先生にも声がかかり、いつも三十路会に参加させて
もらっていました。
 
あれから32年が経っていますが、今も三十路会は行われているのです(笑)
そうです延々と続いているのです。もちろん30代なんかいません。でも名称は
今も三十路会です。飲み屋の看板にも三十路会と書いてあります(笑)
でも本当は六十路会です(笑) そりゃ一番若かった私がもう54歳ですからね。
あれ以来30年間ずっと仲よしの先輩たちです。
私の教師の1年目はこんな先輩方と一緒に過ごさせてもらったのです。
だからこそ、今の自分があるのだと思っています。
教師の力が伸びるのに不可欠なのは、どんな教師集団の中にいるかということです。
 
その時、私は正規採用ではなく臨時講師の身でした。
(「教諭」という職名ではなく、「臨時助教諭」という職名でした)
でも今津の先輩方は、そんなことは一切気にせず、正規採用の先生とまったく同じよう
に関わって下さいました。泊をともなう広島への出張へも「行ってこい!」と快く送り出し
てもらっていました。授業の方法や通知表の所見の書き方等の基本的なことを教えて
もらいつつ、時には 「これは仲島くんに任せるよ」 と新米の私を信頼して下さるのです。
翌年、試験に合格し今津小学校を1年で去り、段上西小学校で正規採用になるの
ですが、私にとって今津での1年間は本当にすばらしい充実した時間でした。
 
最近読んだ本で、秋葉英則著 「人に惚れて 人になる」 というのがあります。
秋葉氏の言葉です。
  「プロというのは、職業ではなく人間につく」
  「人は人とのかかわりの中でしか変われない」
  「人は人に惚れて人になる」
 
私はまさに今津小学校で出会った先生方に惚れて、先生になったのです。
 
 

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2010年6月20日
6月の元気塾
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今日6月20日は、本当なら宮崎県にいたのですが、
あの口蹄疫で講演会が中止になりました。
口蹄疫は、私たちが考えている以上に深刻で大変な状況なのです。
宮崎県の農家の方が早く元気になれる状況になってほしいと祈るばかりです。
 
さて、
昨日19日の元気塾ですが、
毎年6月の元気塾は、父の日の土曜参観等に重なり、例年参加者が少ないのです。
なのに・・・・・今回は53名参加という大盛況でした。ホントびっくりでした。
今回のテーマは 「歌声あふれる学級に!」 ということで、
歌の指導の仕方、特にピアノが弾けない先生が、どうやって歌の指導をしたらいいか
ということを話させてもらいました。
 
私は音楽が大の苦手、もちろんピアノは弾けないし、楽譜も読めない、歌は下手と
どうしようもない教師でした。そんな私が独自の方法で「歌声あふれる学級」をつくり
出していったという「仲島流」の音楽指導法を伝えていきました。
音楽の専門家が聞くと、それはおかしい!と言われるかもしれませんが、とにかく
子どもは歌が大好きで、歌が上手になっていったのですからどうしようもありません(笑)
音楽の先生が 「なんでこんなにうまくなったんや」 と驚かれたのです。
 
その方法は、一言で言うと 「ピアノを弾かずにCDで歌わせる」 ということなのですが、
そこにいろいろ工夫を凝らします。その「ワザワザ」で子どもが飛躍的にうまくなってい
きました。そんな邪道な方法を先生たちにお伝えしました(笑)
実は、この邪道な方法を公的?に教えていいのか、ずっと迷っていましたが、2年前
に元気塾で初めてやってみると好評だったので、今回再び登場となったわけです。
 
私は専門的なことはわかりませんでした。でも子どもが一生懸命にしているのは
わかりますから、それはめちゃめちゃ褒めていました。とにかく褒める褒めるの指導
だったのです。技術的な指導より、「心を合わせるといい歌になるよ」的な精神指導
だったのかもわかりません。
その証拠に、当時の2年生の子どもがこんな文を書くのですから・・・・・・
「2年生で歌を歌うようになってから、1年生の時とは差がつきました。やっぱり
 歌う心が大事だなぁと思います。ぼくは、いつも歌う心は優しい心の奥にしまって
 おきます。そして音楽の時間になるとそっと出します。(谷岡茂樹)」
「歌を歌う時、私は最初に心をしずませて、ほかのことは忘れます。 それから歌いま
 す。 (東節子)」
 
私は音楽に詳しくなかったからこそ、よかったのかもしれません。
その証拠に、私はベテランになり、音楽に詳しくなってからの歌唱指導はだんだん
下手になっていきました。(よけいなことをいろいろ言うようになったからでしょう)
 
 
あの林竹二さん(元宮城教育大学学長)は言いました。
「教師の教えよう教えようとする意志が、教師を盲目にし、教育を破壊し、子どもたち
を殺している。教師は教えることに気をとられて、目の前にいる子どもたちの内にうご
めいているものが見えなくなっているのだ。教えるべきことがあって、子どもがない。
そんなところに教育はありえない」
 
 
 

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2010年6月17日
山梨県の甘々娘(かんかんむすめ)
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今日は山梨県甲府市に行ってきました。
講演会が終わり、会場のアピオ甲府から甲府駅までタクシーに乗ったのですが、
タクシーの運転手さんは、とってもいい感じの方でした。
それで・・・ついつい私も自分の事などいろいろおしゃべりさせてもらいました。
 
「先生は山梨の名産物をご存知ですか?」 (途中から先生と呼ばれていました(笑))
「ブドウとかサクランボとかモモかな・・・・・」
「先生、実は隠れた名産物があるんですよ。それは甘々娘(かんかんむすめ)という
 トウモロコシです。すごく甘くておいしいのです。以前に北海道の方も調査に来られ
 たんですよ。ただ、生産が少ないので、すぐになくなってしまいます」
「私、トウモロコシは大好きです。屋台で焼いていたら、すぐに買ってしまいます。
 甘々娘も一度食べてみたいですわ」
「じゃあ先生、食べてみますか?」
と運転手さんは言うなり、おもむろに助手席の袋からトウモロコシを出して
私に下さったのです。
「これが甘々娘ですよ。さあ、むいて食べてごらんなさい」
「えっ!」
と驚いている私を横目に、信号で止まると、サッと皮をむき、
「さあここに、かぶりついて食べてごらんなさい。生でもおいしいから」
私は運転手さんに言われるままに、生の「甘々娘」にかぶりつきました。
 
いやぁーーーびっくりです! 生なのに、甘くてみずみずしくて本当においしいのです。
あまりにおいしいので、ふた口目をかぶりつくと、
「先生、おいしいからと言って、生で食べすぎるとおなかをこわしますよ。
 家に帰ってから、チンして食べてください。今朝収穫したばかりだからおいしいよ」
と、獲れたての「甘々娘」3つを私に下さったのです。
「これは運転手さんの大事な甘々娘なのに、いいんですか?」
「いいよいいよ、持って帰ってよ。先生食べてよ。その方がうれしいから」
「本当にいいんですか?今朝わざわざ農家まで行って買われたのに・・・」
「いいよいいよ、食べて食べて・・・」
 
ほどなくタクシーは、甲府駅に着きました。
料金1700円・・・・・2千円を出し、もちろん 「おつりは要りません」 です。
そしてタクシーが見えなくなるまで、その場でずっと見送りました。
(まるで恋人とお別れするみたいに(笑))
運転手さん、おいしい甘々娘と温かい心遣いを
本当にありがとうございました!
 
 
※でも不覚にも、運転手さんの名前もタクシーの会社名も何もメモせずに
降りてしまいました。 あーーお礼が出来ないです。シマッタ!
(これは 「探偵ナイトスクープ」 に依頼するしかありませんわ(笑))
 
 

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Posted by naka602 at 00:34 | TrackBack (0)


2010年6月15日
感動体験が心に火をつける
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朝日新聞の土曜版(be)は、けっこう面白くていつも読んでいます。
今回の「フロントランナー」は、沖縄の詩人・脚本・演出家の平田大一さん(41歳)
 
沖縄の勝連城(世界遺産)跡下で、中高生が演じる演劇「キムタカ」が11年間の
ロングランを続けているのですが、その脚本・演出をしているのが平田さんです。
自分に自信がない、自分の地域に誇りが持てない、そんな中高生が大きく変わって
いったのです。最初はたった7人しか集まらなかった中学生が徐々に集まり始めます。
平田さんは言います。
「大人の真剣さを子どもは読み取ります。一生懸命は恥ずかしくない。カッコイイと
 気づけば、子どもは自分をさらけ出します」
城跡の公演はまさかの大成功を収めます。4千人を超す観客を前に、子どもたちは
キムタカの魂が乗り移ったかのような演技を見せ、興奮する観客から指笛が鳴り、
幕が下りると親子が抱き合って泣くのです。
「これが教育です。感動体験が人をつくる。これですよ!」
と町教育長も声をつまらせたのです。
 
平田さんの言葉が心に響きます。
「この旅の終わりは新しき道の始まり」
この公演は2年後、財政難から町からの補助が打ち切られるも、親が動き、商店や企業
も協力し、やがて舞台は地域の誇りとなっていくのです。本土から飛行機に乗って観に
くる観客も少なくないのです。
「地域の物語を演ずることで、子どもたちは自分の足元に宝物を見つけました。ここには
 何もない、自分たちは田舎者、と劣等感を抱いていた子が誇りを取り戻したのです。
 せりふや振付を 『こうしたらいいね』 と自分たちで考え、工夫するようになります。
 観客と一体になった感動体験がまた新たなエネルギーを呼び起したのです」
 
平田さんは自分の役目をこう言います。
「子どもたちを注意深く見て、声をかけ、褒めることです。いつも来るのに壁際で見ている
 子どもがいる。でも無理強いはしない。声をかけ続け、手伝いなどを頼んだりしていると、
 『やってみる?』 『ウン』 の瞬間が生まれる。子どもは居場所を探しに来ています。
 そして出番が見つかると、自分から動きだすのです」
 
続けて平田さんは言いました。
「子どもの笑顔は、親を元気にします。地域を活気づけます。
 人の心に火をつける。これほど楽しい仕事はありません」
 
 

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2010年6月8日
熊本私学夢プラン
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「Above The Expectation」 とは 「期待値を超えて」という意味です。
・・・(略)・・・夢をかなえるために大切なことが、この「期待値を超える」ということです。自分が今いる舞台、環境の中で、自分にかけられている期待を少しでも超えていく、超えようと努力する。そうすることによって、夢につながる次の舞台が用意されることになります。・・・(略)・・・
 かつて熊本藩には一人ひとりの能力、個性に応じた教育方針により、有為な人材を育てる「時習館」という藩の学校があり、熊本の若者達はそこで学び、切磋琢磨していました。
 県は、この時習館にならい、「熊本時習館」を開校し、様々な事業や支援策を通じて熊本の私学学校に通う皆さんが夢を見つけ、挑戦し、実現させるための学びの場を提供していきます。生徒の皆さんが平成の「時習館」に集い、学ぶことに誇りを持ち、大きな夢を持って未来の熊本を築いていくことを心から期待しています。
  (平成22年3月 熊本県知事 蒲原郁夫)
 
これは「熊本時習館構想」といって、熊本県知事の肝いりで始まった事業です。
熊本県は、公立高校優位で、私学はそのあと、という感じが否めないそうです。
だからこそ、今私学高校が頑張ることによって、熊本県全体のレベルアップを
図ろうと、知事が先頭にたって私学を支援しようとしているのです。
県が、公立ではなく私学を応援するのです。  なんかびっくりしますよね。
 
そんな 「熊本私学夢プラン」 に私もちょっぴり参加させてもらっているのです。
先週末、熊本マリスト学園の全生徒に 「夢について」 の講演をしてきました。
そして、今日また熊本に行って、熊本国府高校の先生方に「夢」の講演をして
きました。7月には、再び熊本に行き、3つの高校で「夢」講演です。10月には
もう1校の講演があるので、全部で6つの高校に行かせてもらいます。
私の講演が、ホントに役に立つのか少々不安な面もあるのですが、
「がんばっている人」を応援したい、という気持ちで協力させてもらっています。
 
 
高校生向けの講演レジュメには、こんな文を載せました。
 
       〜本気ですれば〜
   本気ですれば、たいていのことはできる
   本気ですれば、何でもおもしろい
   本気ですれば、誰かが助けてくれる 
   本気ですれば、未来が変わる
 
 
 
知事の本気、役所の本気、学校の本気、先生の本気、
そして、子どもの本気・・・・・
          きっと熊本の未来は変わるでしょう。
 
 
※そうそう・・・・熊本に行っておもしろいことを発見しました。
 熊本空港からのリムジンバスの案内放送は、
 なんとスザンヌです。いつもの軽いトークで話されるので
 思わず笑顔になってしまいます(笑) 得意な?四字熟語も
 使います(笑) スザンヌは、熊本県観光大使なのです。

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Posted by naka602 at 23:45 | TrackBack (0)


2010年6月2日
うれしいなあ、このプレゼント
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今日6月2日は、
何を隠そう私の54歳の誕生日です(笑)
あの偉大な大村はま先生も6月2日生まれです(エヘン)
 
実は、教え子のノブコ(27歳)からこんなメールが送られてきました。
ノブコは、愛知県の高校教師です。
それも、やんちゃな子どもたちがいる高校で苦労がたえません。
そんな高校で3年生を担任し、初めての卒業生を送り出しました。
その卒業式の様子が、3か月遅れで私の元に届いたのです。
うれしい、うれしいメールでした。
教え子が頑張っている姿・・・・・・・・・教師冥利に尽きます。
 
ノブコのメールを読みながら泣いてしまいました。
ノブコは、すごい奴です。
ノブコは、本当にすばらしい教師になりました。
まるで、テレビ「ごくせん」のヤンクミみたいです。
 
そんな私の自慢の教え子 「カミフナツ ノブコ奮闘記」 をどうか見てやってください。
そのメールがこれです
    ↓ ↓

 

仲島正教先生へ

 

3月1日  26名を送り出しました。
 *************************************************
その日はびっくりするほどの 晴天でした。
日ごろの行いがいいのかな。 なんて
夜中2時まで 子供たちに渡す最後の学級通信を作ったりしてたけど
5
時には目が覚めてしまいました。 

行きの車のBGMはさくら(独唱) 

恒例の背面黒板への贈る言葉を書いてきました。
全員の名前が入っているんですが・・・・
平木小学校の時にチュの名前について先生方がお話になったことが

きっとどこかにあるんです。
子供たちにも自分の名前を大切にしてほしい。そんな気持ちを込めて。
 
朝から身だしなみ指導でひっかかるやつの指導に追われ
そして最後のSTへ向かいました。
子供たちはいつもと違う私のよそおいに驚きを隠せず
いつもは近くに寄ってきては 私にボケやら突っ込みをいれる彼らも
今日は遠慮がち。


26
人そろった教室を夢見ていた私には やはりそんな感動的な

シチュエーションが用意されているはずもなく
6
人もいない…
おいおい! 結局遅刻で5人は来たものの  一人来ません。
家の電話回線も繋がらず携帯も不通。
最後の最後まで祈るしかできませんでした。
髪の毛まっちゃっちゃのやつを職員室へ連行したり
制服をきちんと直させたり 結局いつもどおりなんです。

卒業式本番です。
3
1組からの入場  25人での入場
それでもやっぱり ざわざわするやつがいます。
人生初めての呼名。 26名の名前を呼んでいきます。
やっぱり待っても来なかった彼の番
全員が声をそろえて  大きく返事をしてくれました。

式中、ずっと ざわつくクラスのやつらに教員席から
睨みをきかせ続けました。 結局こんなもんか。


退場です。
彼らの前に立つと
「のぶこ、泣いとる?」
いや、全く泣けませんよ。 泣く要素がない!
教室に帰り
卒業証書とともに  卒業アルバム(全員の好きな曲をまとめたCD
クラスの卒業文集  10年後への手紙発行証明などなどを配りました。

やっぱり出てくる言葉は
「こら〜」「だまれ」「自分の席にもどれ」「いつまで言わすねん!」
とか  なんですよね。 最後の最後まで。

DVD
を流す準備をしてると
鬼の担任 上舩津とは対照的
おじいちゃんの愛称の58歳  仏の副担 林先生が声をかけます
1組はこれからだぞ〜  席に座れ〜」 
子供たちへDVDを見せ 私は後ろの方から見ていました。
自然と話し声はなくなって
「涙ちょちょぎれるはずやったんやけどな〜」
と教室の前方へ行くと  すでに何人かの子供たちが泣いていました。

林先生から一言お願いします。
いつもテンションの高いおじいちゃんの
林先生が涙で言葉を詰まらせていました。
「35年教員をしてきて  卒業式でこんなに泣くとは思ってもみなかった。何にも出来なかったけど このクラスの副担任になれて幸せでした。ありがとう。」

その涙に完全にノックアウトでした。 涙で前は見えず声も出ませんでした。
子供たちもつられて あんなやつやこんなやつまで。 泣いています。

「明日もあさってもしあさっても  

ずっと こら〜とか だまれ〜とか  叱って追っかけて
 そんな毎日が続くものだと思ってました。 
 単純に  さびしいな。」
なんて言葉が出てきてしまいました。
子供たちが嗚咽をもらしながら 泣いている姿に 耐えきれませんでした。
どんな気持ちで担任を持ったのか  そして今どんな気持ちでいるのか
子供たちにきちんと伝えられたのか わかりませんが

素直に 

担任ってええなぁ。と思いました。

生徒たちからのサプライズが待っていました。
クラスの文集とは別に 担任と副担任に
世界で一個の文集をプレゼントしてくれました。
クラスでもおなじみのにぎやかな女子達が
「先生たちが担任でよかったで」
を一年間で鍛え上げた関西弁で 言葉を添えてくれました。

そんな彼女たちに握手をし、ハグをしていると
あいつらが声を出し始めます。
「おれらも、今しかないって  言いに行こう。な行こうぜ」
散々お手間をかけられたやつらから
「先生、ありがとうございました。」  と。

許してやるか。 そう堅く握手を交わし、
「頑張れよ」
とメッセージを込めて。
みんな泣いたもんだから やっぱりなんだか目が赤いです。

そうして職員室に戻ると 一本の電話です。
今日まさかの欠席の彼です。
「日にちを間違えました」
ち〜〜〜〜ん。 

翌日  31日と同じように 教室に機材をセットして
さすがに袴はきれなかったけれど 正装をして 彼を待ちました。
校長室でBGMを流し そして卒業証書をもらい
授業料のことで非常に事務室にもお世話になった彼
せっかくだからと事務長とも写真を一枚
彼くらいでしょうね。 事務長と写真をとったのは。
そして教室に林先生も呼んで DVDをみせました。

4
月注意をするために呼び出すと 2m以上も離れたところから
「何?」
と問いかけます。 もうちょいこっちこい! というと
「だって先生、怖いもん」 と。
それ以外にも いろんなエピソードを残してくれた彼。
びっくりするほど 泣いていました。

「お前の呼名の時  全員が返事しとってんぞ。」
「入場直前まで お前が来ないのかって みんな気にしとったんやぞ」
さらに号泣させてしまいました。
一言彼が発しました  

「悔しいな」と。

 

波乱万丈なその一年は 本当に子供たちとともに
奮闘の中で 成長できた一年だった  そう思います。
壁があっただけ  達成感て半端なかったな  

子供たちに贈ったその言葉は
きっと自分に言い聞かせる言葉だったのだと 思います。

何度も何度もくじけそうになりながら
そんな時、仲島先生の顔を見て やっぱり頑張らねばな
と自分に喝を入れて
小屋敷先生には いつでも私の都合は大丈夫、会いましょう
と言ってもらい

突然電話のある宮井先生の声に やっぱり元気をもらって。
 
子供たちに何か問題が起こるたびに
これでよかったのだろうかと自問自答のくり返し。
いつも子供たちの問題が主観的に入ってきてしまう
教員として客観的な判断ができる力が足りない
なんて思うことなんてしばしば・・・
平木だから学べたこと
転校してからこそ学べたこと
西宮を出ることになったから学べたこと
母校に帰れたから学べたこと
新たな土地愛知へ来たから学べたこと
  
そんな愛知での 初めての担任は
それはそれはびっくりするほど 山あり谷ありでしたが
それだけ成長させてもらいました。
  
先生、担任て
なんとも言えませんね。 
 
子供たちの貴重な一年間を共に過ごさせてもらえたことに
感謝をして・・・・
また、会いに行かせてください。毎度のごとく突然に・・・()
 

2010.3.1   上舩津 暢子


 

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