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2011年2月27日
教え子にほめてもらいました
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ここ3日間、教え子に連続で出会いました。
今日はケーキ屋さんで、昨日はマンションの前で、そして一昨日は講演会場で・・・。
 
一昨日は、神奈川県相模原市(杜のホール橋本)でPTA講演会だったのですが、
会場の一番前で、私の話をしっかり聞いてくれました。
阪根正行君35歳、彼が1年生の時に担任した子です。
私の講演で必ず出てくる 「うんこの話」 の1年生のクラスに一緒にいた子です。
 
昨年6月に阪根君のお姉ちゃんと偶然に出会い、そして10月に東京に行ったときに、
阪根君とも28年ぶりに再会したのです。
そんなこともあり、今回わざわざ講演会にかけつけてくれたのです。
講演が始まると阪根君が一番前に座っているのにすぐ気がつきました。
「教え子が聞いている」・・・・これはええとこ見せて頑張らないといけません。
少し緊張しながらも、いつもよりテンション高めで頑張りました(笑)
講演終了後には、舞台から降りて会場のみなさんに
「今日は教え子が見に来てくれていました。教師としてこんなにうれしいことは
 ありません。私の自慢の教え子の阪根くんです」
と言って紹介させてもらいました。こんなことができるのは本当にうれしい瞬間です。
教師冥利に尽きます。
 
自宅に帰ると、その阪根くんからメールが届いていました。
 

仲島先生

こんばんは。

今日は、すばらしい講演会ありがとうございました。

仲島先生の講演(授業)を受けたのは、小学校1年生以来だから、

28年ぶり? 約30年ぶりですね。

もう本当にびっくりしました!

先生の著書『教師力を磨く』を読んだ時もびっくりしましたが、それよ

りももっともっとびっくりしました!

先生のことはよく覚えていますよ。

とにかく明るくて元気な先生でした。そして走るのが速い自慢の先生で

した。

でもこんなに偉い先生だったっけ???

まず驚いたのは、先生が何を考えて、何を目指して教育の現場に向き

合っているかをこの歳になって知ったことでした。

今日の講演の話で言えば、子どもたちに呼びかけて、一番先に来る子で

はなく、いつも最後に来る子にどのように語りかけ、その子をどのよう

に導いてゆくのか。

そして、山本総子さんのこと。ハンデキャップがあるのは分かってい

る。その山本さんにまず手を差し伸べること。そして、次が大切です

ね。助けるだけでなく、山本さんが自分の力で生きてゆけるように導く

こと。

この問題は、教育の場の問題のみならず、いまの社会全体が抱えている

問題ですね。この重大な問題の解決にずっと励んでいる仲島先生は偉い

先生なんだと改めて感じました。

ただ、このことは『教師力を磨く』を読んでも理解できました。ちゃん

と理解できました。

でもでも、

今日の講演はもっともっと大きな力で、そのことを僕らに伝えてくださ

いました。

ありがとうございます。

また『教師力を磨く』で、仲島先生が奈良や静岡の学校まで行って、授

業のやり方を勉強していたことを知って驚きました。

「仲島先生は元気なだけじゃないんだ。勉強熱心なんだ。そして先生た

ちで、ちゃんと勉強し合えるネットワークがあるんだ」

と知って新鮮な気持ちになりました。

そして、そして、

今日!

ブラボー!

今日の講演は本当にすばらしかった!

仲島先生のオリジナルだ!

仲島先生が尊敬しているというどんな先生もできない、仲島先生にしか

できない名講演でした。

ずっと関西弁でしたけど、相模原の皆様にもちゃんと伝わってましたね。

ああ、こうやって伝えるんだ。

ああ、こうやったら伝わるんだ。

すごい!

僕が成長した姿を見せたくて行ったのに、

なんと先生が僕以上に成長していたとは!!!!!

何かものすごく大切なメッセージを受け取ったように思います。

明日すぐ先生の真似ができるか?

それは無理です。

でも、

確かに受け取りました。

僕も先生に負けないよう頑張ります。

これからもずっとみんなを見守っていてください。

ありがとうございました。

 

段上西小学校1年2組出身 阪根正行

 

 

 

うれしいです。

教え子にほめてもらいました。

こんなにうれしいことはありません。

 

 

 

彼は今、書店員をしながらライターとしても活躍しています。

「建築としてのブックガイド」(明月堂書店1890円)が発売された

ところですが、ここにも執筆しています。

この本の中にある執筆者の紹介欄にはこう書いてあります。

 

阪根正行・・・書店員・芸術評論。1975年生まれ。渡辺明設計事務所勤務

       を経て、現在ジュンク堂書店新宿店勤務(人文書担当)。

       個人ブログ・阪根タイガースにて書店のこと、本のこと、

       演劇のことなどを日々更新中。

 

彼はすごい奴です。

いろんな挫折も乗り越え、今

彼らしい彼しかできない仕事を生き生きとしています。

 

「頑張れ、阪根タイガース!」 

 

 

 

 
 

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2011年2月20日
うちのおばあちゃん
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うちのおばあちゃん・・・・・正確にいえば私の母親ですが(笑)・・・・
大正13年生まれの86歳です。
 
そのおばあちゃんが1月の終わりごろ、
夜中にトイレへ行こうとした時にこけてしまい、そのまま救急車で病院へ搬送されました。
大腿骨骨折という診断で手術が必要ということになりました。
老人にはよくおこる大腿骨骨折です。そして、そのまま寝たきりになったり、認知症に
すすんでいくケースが多いとよく聞く怪我です。
 
手術日は、ちょうど私の沖縄での仕事日とかさなってしまいました。
「心配しなくていいから」 という母の言葉に甘えて、私は那覇で講演をしていました。
講演が終了した直後に、病院で付き添っていた姉からメールが届きました。
「手術は無事成功しました。半身麻酔だったのでおばあちゃんは手術中、ずっとモニター
 を見てたということです」
そのメールを見て、私はホッとしたというかすごく安心しました。
おばあちゃんは、手術中も冷静にモニターを見ていたのですからね。
なんて気丈な母なんでしょう。
予定を早めて沖縄から早く帰らないといけないかなと思っていましたが、帰らなくても
大丈夫!と確信しましたわ(笑)
普通は手術のモニターは怖くて見ないでしょう。モニターは医者が見るものです。それを
横から覗き見して、「なかなかうまい手術だった」 という母は本当に凄いです。
実は、母は出される薬のこともほとんど知っています。母は元薬剤師でもなんでもない
のですが、自分でそれも勉強しているのです。
また、手術後には「看護師さんが認知症の検査に来たんよ」 と怒っていた母です。
まだまだ認知症にはならないしっかりした母です(笑)
 
そんな母も今はリハビリに励んでいますが、
3日ほど前、病院に行った時にこんな光景に出会いました。
病室に入ろうとしたら、母が看護学校から実習に来たかわいい女子学生となにやら
しゃべっていました。 今日が実習の最終日で、お礼の挨拶に来ていたようです。
母がその女子学生の手を握って何か話すと、学生はポロポロ涙を落しているのです。
そして母に手紙を渡してから、深々とおじぎをして退室していきました。
看護師長さんが私に 「あの子はおばあちゃんにずいぶんお世話になったようですよ」
と教えてくださいました。なかなかうまくできない時も母は根気強く待って
「大丈夫、ゆっくりしたらいいよ」 と励ましていたようです。 実習生に対して文句を言う
患者さんもいる中で、母からはいつも優しい言葉をかけてもらっていたというのです。
 
 
この日は、ちょうど千葉県成田市に行った時のお土産を持ってきました。
成田山の健康長寿お守りです。
 
母には、本当に元気で長生きしてほしいです。
 
 
 
 
  

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2011年2月17日
今度の元気塾は、特別支援教育
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今度の元気塾(19日)は、特別支援教育です。
2007年(平成19年)、学校教育法に位置付けられてから、さかんにこの教育が叫ばれ
るようになりました。また養護学校が特別支援学校に、障害児学級が特別支援学級と
名称も変更されてきました。
 
特別支援教育とは、新しい教育なのか?
いえ、これはこれまでもずっとされてきた教育のことなのです。
特別支援とは、「必要な人に、必要な時に、必要な特別扱いをすること」 です。
「特別扱い」というと、なんだか「ひいき」みたいなニュアンスがありますが、
特別とは 「ていねいに向き合う」 ということであり、
特別扱いとは 「その子に合ったていねいな手立てをする」 ということだと思います。
 
学級の子どもには、すべて支援が必要です。
でもその支援の仕方は、少しで十分な子と、もう少し必要な子やもっと必要な子が
いるわけです。その「もっと必要な子」や「困り感を持っている子」に
「ていねいな手立て」をしようとするのが、特別支援教育なのです。
でもこれは、今までもずっとやってきました。私たちは授業づくりや学級づくりの中でも
やってきましたし、生徒指導も同様だし、人権教育とはまさにこのことです。
特別支援教育=授業づくり=学級づくり=生徒指導=人権教育
といえるのだと思います。
 
ただ、最近は「発達障がい」等の子どもが増えてきたこともあり、この教育が
クローズアップされてきました。もしかしたら過去には「発達障がい」の子の理解が
不十分だったために、その子が生き生き出来ずに暮らしていたかもわかりません。
「この子はしつけができていない」とか「落ち着きがなくて困る」「変わっている子」・・・・・
そんなことでそのままにされていたかもわかりません。
周りに迷惑をかける子ではなく、本当は本人が困っていたのです。そんな「困り感」に
しっかり向き合うことで、その子も生きるし、周りの子どもたちも生きるのです。
 
 
今回の元気塾では、そんな「発達障がい」の子どもへの関わり方や指導の仕方に
ついて学習します。
特別講師として、神戸市から前垣佳子先生に来ていただきます。前垣先生は特別支援
教育の第一人者である関西国際大学の中尾繁樹先生から教えを受けている現役の
小学校教師です。日常の教室で起こる様々な出来事から、子どもたちへの具体的な
支援の仕方を教えていただきます。
 
なかなかこんな機会はありませんので、どうぞ楽しみにきてください。
 
 
 

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2011年2月13日
10秒の愛
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2月11日(金)  鳥取県琴浦町カウベホール
       第4回 「10秒の愛」講演会・シンポジウム
 
    10秒の愛
 
子どもって、忙しい時に限って寄ってきます。
子どもって、なかなかさっさとできません。
子どもって、なかなかはっきり言えません。
  でもたった10秒でいいのです。 まず子どもを抱きしめてあげてください。
    たった10秒でいいのです。 「早く!」って言う前に待ってあげてください。
    たった10秒でいいのです。せかさずにじっと聞いてあげてください。
すると、そこに 「笑顔」 が生まれます。そこに 「つながり」 が生まれます。
    たかが10秒、されど10秒。
        「10秒の愛」 は子どもを幸せにするのです。
 
 
鳥取県琴浦町では、この「10秒の愛」をテーマにした講演会・シンポジウムが
4年連続で行われています。
町教委やPTAが中心となり、「10秒の愛」キャンペーンとして、町内の保育園や幼稚
園から小・中学校、そして健全育成協議会など町全体を巻き込んで広がっています。
 
「10秒の愛」とは、忙しい毎日の中で忘れがちな子どもとのふれあいについて、
10秒だけでも、子どもと真剣に向き合おうという子育ての合言葉です。
「抱きしめる10秒」 「聞いてあげる10秒」 「待つ10秒」・・・・・・・
そんな呼びかけに、「10秒の愛」の川柳(1行詩)ができ、「10秒の愛」の創作劇を
つくったPTAもありと、琴浦町では町全体に浸透し始めているそうです。昨年の町民の
認知度は62%というのですからスゴイことです。
 
  「10秒で たくさんあるよ できること 」
  「10秒待って 子の笑顔  私も笑って 皆笑顔 」
  「今夜から 『あとで』の前に 我が子抱き 」
  「朝のおはよう 夜のおやすみ  あいさつ聞けてうれしいな 」
 
そんな川柳や1行詩の中におもしろいものも見つけました。
たった10秒が待てないお父さんが一生懸命に待つ様子を、妻が書きます。
「そんな時、ホントに時計をながめるバカおやじ 」
そんな素直なお父さんがかわいいですね(笑)
 
 
琴浦町がなぜこんなふうに町全体として取り組むようになったのか?
それは5年前、私が鳥取県PTAの講演会で「10秒の愛」を話したことを、
琴浦町・以西小PTAの井上洋子さんが、自分の学校に持ち帰って動き出したのです。
その一歩がまず校長先生を動かし、そして教育委員会も動かし、町全体へと広がって
いったのです。 井上さんの「一歩」がここまで広がり、今では県外からの視察や
問合せも来るようになったそうです。今回も島根県から参加があったということです。
また全国PTAでの発表や県外の講演会にも招かれるようになっているそうです。
私は、その「10秒の愛」の提唱者として紹介されるのですが、それは恐縮しますし、
もうその立場ではありません。もう琴浦町が立派な提唱者なのですから・・・。
私も今年で4年連続で「10秒の愛」講演をしていますが・・・もうネタ切れです(笑)
これからは琴浦町がどんどんネタを増やしていってくれることでしょう。
 
 
鳥取県琴浦町・・・・・ お正月のテレビで何度も全国放映されました。
年末からの大寒波で、国道9号線は雪のために、約1000台の車が立ち往生。
大晦日から元旦にかけてまったく動けず一夜を明かした車の列に、
「トイレを使ってください」と立て看板を出したり、おにぎりをつくって見ず知らずの人に
差し入れをする琴浦町の人たち。
雪の中、動けずに不安な気持ちでいる人たちの心と体を元気にしてくれたのです。
そんな優しくて温かい琴浦町です。
 
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 16:54 | TrackBack (0)


2011年2月8日
4泊5日沖縄報告 その3
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沖縄報告 その3 です。 
今回は、仕事、野球以外のことです(笑)
 
私は、そんなに「お酒好き」ではありません。晩酌もしません。
そんな私が4泊した沖縄では毎晩飲んでいました(笑)
毎晩、オリオンビールと泡盛です。これがまたおいしいのです。
泡盛のことを「シマー」とも言いますが、沖縄で飲むシマーは本当においしいのです。
 
1日目の夜は、いつも沖縄に来るとお世話になっている元沖縄キャリアセンターの
神谷さんの嘉手納町のご実家に招かれました。
そこに25人が集まり、大宴会の始まりです。「おばあ」のしきりによって料理がどんどん
運ばれてきます。おでん、お寿司、沖縄そば、そしておじいが釣ってきた「グルクン」と
いう魚、豚足(てぃびち)と次から次へと沖縄の家庭料理が登場です。
「豚足は食べれますか?」 内地(沖縄の人は沖縄以外の都道府県を内地と呼びます)
の人間は豚足は苦手と思われたようですが、私は豚足が大好きです。奈良で豚足を
よく食べましたから・・・・(豚足は奈良の方がグロテスクです)
そうそう沖縄の魚はおいしくないという内地の人もいますが「グルクン」はホンマおいしい
です。特におじいの釣ってきたばかりの「グルクン」は最高の味でした。
オリオンビールにシマー、みんなが酔ってきたころに、子どもからおじいまで全員でビンゴ
ゲームが始まりました。私もなんとかビンゴになり、商品をゲット!それは「おこめ券」でし
た。沖縄ではごくごく普通に流通している「おこめ券」、時にはスーパーで「おこめ券」で
商品が買えるそうですし、「おこめ券」でタクシーにも乗れる所もあるというのですから
驚きです。関西では「おこめ券」はほとんど流通していませんよね。
そして最後は「カチャーシー」 音楽がなると同時に、みんなが踊りだしました。
私はこれをずっと待っていたのです。やっとカチャーシーを踊れました(笑)
 
宴会も終わり、さあ帰ろうと支度をしていると、「おばあ」から「カメーカメー」と言って
そばをすすめられました。沖縄の「おばあ」は、「もっと食べなさい、これも食べなさい」と
どんどんすすめてくるそうなのです。その時に「カメーカメー」というそうで、沖縄出身の
芸人ガレッジセールは、これを「おばあのカメカメ攻撃」とテレビで話していました。
ガレッジセールが言ってたことは本当だったんだと感動してしまいました。
 
2日目は、宜野座で講演したあと、宜野座の人と宴会でしたし、
3日目は、名護で講演のあと、名護の人と宴会でした。名護ではイルカ(クジラ)の肉を
食べました。ここではイルカ漁が行われていたようです。
4日目は、神谷さんとともに、沖縄にくるといつもお世話になっている与那原町の岡さん
とその仲間と那覇市内で宴会です。さすがに4日目の宴会では、飲む量は少なくなりま
したが、岡さんがつくってくれる泡盛は、一番おいしいのです。彼のつくり方は最高です。
 
それにしても沖縄の人はみんな優しいし、温かいです。
沖縄の言葉に 「イチャリバチョーデー」(一度会ったら兄弟) という言葉がありますが、
本当にそう感じます。みんな本当にいい人です。 
 
でも沖縄の人はちょっとだけ変なところがあります。それが今回わかりました。
一つ目は、「傘をもたない、ささない」 ということです。
少々の雨では沖縄の人は傘をささないで歩いていました。4日目の宴会の時、空模様
があやしくて、私は傘を持っていこうかと思いましたが、岡さんたち沖縄の人は傘は誰も
持っていませんでした(笑)
二つ目は、「歩かない」 ということです。
沖縄の人は徒歩5分の所にも車で行く人が多いということを聞いていましたが、今回も
こんなことがありました。神谷さんの車がスーパーの駐車場に入っていったのですが、
駐車場を2周ほどぐるぐる回るのです。
「なぜ停めないのですか、いっぱい空いていますよ」 そう聞くと
「入口から遠いからさ〜。近くが空くまで待つさ〜」
遠くといっても30mくらいしか離れていないし、歩けば1分ほどなのに近くに停めようと
するのです(笑) 「そんなの当たり前よ〜」と笑いながら話す神谷さんでした(笑)
 
そのあとスーパーに入ってみましたが、秘密のケンミンショーで紹介していた光景が
ありました。沖縄のスーパーでは、シーチキンを箱詰めで売ってあるのです。
12個入り、24個入りのシーチキンの箱詰めがドーンと積み上げられていましたし、
それを平気でかごに入れる沖縄の買い物客でした。すごいですわ(笑)
それに洗剤の容器がデカイ!昔のままの大型の洗剤の箱もありました。びっくりです。
 
そうそう、もう一つおもしろいことを発見しました。
沖縄では、同窓会のお知らせは、往復はがきではなく、横断幕なのです。
町の中に、
「A中学校第○期生同窓会 ○月○日○時〜 場所は○○ 連絡先○○」
そんな横断幕があちこちに貼ってありました。これで連絡はOKだというのですから
これまたびっくりです。本当にこれで集まるそうです(笑)
 
 
まだ書き足りないこともあるのですが、今回の報告はこれで一応終わります。
これからも、もっともっと沖縄を勉強していこうと思っている私です(笑)
 
 
※2月15日発売の「体育科教育(大修館書店)」の巻末エッセイは、
 沖縄の県立高校の先生たちの「おもしろ駅伝」について書いています。
 
 
 

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Posted by naka602 at 00:32 | TrackBack (0)


2011年2月6日
4泊5日沖縄報告 その2
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沖縄報告その2は、プロ野球キャンプ報告です。
 
2月の沖縄は、なんと14球団がキャンプをしているのです(国内10球団、韓国4球団)
今回の私の仕事の道中でも、那覇市で巨人(2/20〜)、浦添市でヤクルト、宜野湾市で
横浜、北谷町で中日、そして沖縄市・コザ高校のすぐそばでは広島がキャンプをして
いました。
 
我が阪神タイガースのキャンプ地は、宜野座村。
仕事で行った松田小学校のそぐそばでした。
(わざとにこの日程にしたのではありません。これは本当に偶然です(笑))
 
宜野座球場、2月1日、2日、3日と・・・・・講演の合間に3回見に行きました。
3日間とも2時間程しか見ることができませんでしたが、タイガースの選手の様子を
視察してきました。
新人の榎田投手は、戸惑いながらもよく動いていましたし、ロッテからきた小林投手も
意欲的な表情がみてとれました。期待できる2投手です。
藤川投手には最接近です。「藤川さん、がんばって!」 と声をかけると笑顔で手を
振って応えてくれました。野手では、新井も鳥谷も平野もいい動きでした。内野手で
すが、外野ノックも練習します。平野はやっぱり一番うまいですね。外野手の俊介は
外野守備は上手ですが、内野でのクラブトスは、ちょっと下手でした(笑)
ブラゼルとマートンの特打ちは、見ていて気持ちがよかったです。マートンは、ライナー性
の当りを連発していましたし、ブラゼルはポンポンスタンドに運んでいました。それに2人
とも右、中、左とちゃんと打ち分けていました。
(一昨年のメンチは何も考えず好き放題に打つだけでした)
兄貴金本選手とベテラン桧山選手は、別メニューでやってましたが元気で安心しました。
 
矢野、赤星、掛布、中田良、川藤・・・・OBとも遭遇しました。
矢野さんのスーツ姿はホントかっこよかったです。赤星さんはホンマ小さいです。
この体格で、ようやってたなと感心しますわ。そして掛布さんとは一緒に写真を撮って
もらいました。タイガースで私が一番好きな選手が掛布です。感激のツーショットでした。
(でもホンマ太った掛布さんでした。昔の面影はもうありません(悲))
 
実はマル秘ですが、
宜野座村で講演したので、宜野座村役場から「特待パス」をいただきました。
そのパスを胸にかけ、ゲスト用のタイガースキャップをかぶり、一般の人よりも選手に
近づくことが出来ました。(ヤッター!) (新里さんありがとうございました)
 
 
そして今回は、テレビで何度も何度も放映されている日本ハムの名護キャンプにも
行ってきたのです。講演に行った名護市立大宮小学校のすぐ近くが名護市民球場です。
もちろん、お目当ては「斎藤佑樹」です。
見ましたよ、見ましたよ斎藤佑樹を! 
まずはメイングランドに行きました。日ハムの選手がたくさん練習しています。斎藤佑樹を
双眼鏡で探すのですがみつかりません。後ろをみると人がたくさん移動しています。
その流れでサブグランドに行くと、いましたいました斎藤佑樹が。
背中の18番が光っています。やはりカッコイイですわ。
私は日ハムのファンではないし、斎藤佑樹のおっかけでもないのですが・・・
斎藤佑樹18番のTシャツを思わず買ってしまいました(笑) 
 
今、沖縄では、キャンプめぐりの無料シャトルバスが走りまわっています。
宜野座と名護の移動に私も乗りましたが、これが本当に便利です。
時間があれば他の球団のキャンプも見てみたかったです。
 
タイガースの練習を見ているとき、後ろにいたおばちゃんがしゃべっていました。
「中日はもっと練習していたで。だから阪神は負けたんや」
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・阪神も、もっと練習せいよ!」
 
 
 

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Posted by naka602 at 18:28 | TrackBack (0)


2011年2月4日
4泊5日沖縄報告 その1
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1月30日〜2月3日 沖縄4泊5日から帰ってきました。
寒い関西から暖かい沖縄へ行ってきましたが、31日の沖縄は今年一番の寒さとなり、
沖縄の人はふるえておられました。そんな中でも私は講演中には夏物スーツを途中で
脱いで半袖でしていました(笑) 特に31日の夜の講演では終わったあと、会場の方は
「あー寒い!体が冷えたよ〜」 と体をすくめておられましたが、私の感覚は
「そこまで寒ないやろ」 でした(笑) 
10度を切ると沖縄では極寒の感覚のようです。まあ今回の沖縄は私が経験した中でも
一番寒かったのは確かです。でも最終日は、20度近くまで上がり、一日中半袖でした。
そんな沖縄報告を今日から少しずつしていきます(笑)
 
 
今日は仕事編です。(まずは仕事からです(笑))
そもそも今回の沖縄ツアーは、沖縄県主催の人権啓発講演に呼んでいただいたことから
始まります。沖縄県庁の担当者が講師を探していたときに、私を推薦してくださった方が
いたようです、関西におもしろい講師がいるって。 それが今回の5日間になりました(笑)
 
31日(月)14:00〜 沖縄県人権啓発講演会  
実はこの県主催の人権講演会は、2本立てで、もう1本の講師はあの腹話術の
「いっこく堂」さんなんです。開催日は違うのですが私なら、知らない仲島よりいっこく堂
さんの講演が聞きたいですわ(笑) そんな不利な(笑)状況の中、たくさんの方が
那覇市の「パレット市民劇場」に来てくださいました。
沖縄の「おばあ」の話などにも触れながら、テンポよく進んでいく大阪弁の講演に会場の
方はあっけにとられたようです。たくさん笑ってたくさん泣いていただきました。
 
31日(月)18:00〜 宜野座村立松田小学校 PTA・教員講演会
タイガースがキャンプをはる宜野座村です。宜野座球場まですぐそこの小学校での仕事
に私のテンションは上がります(笑) ここの講演は、以前に講演に行った与那原町の
役場の方と宜野座村の役場の方のネットワークで実現しました。松田小学校の校長先生
のお名前は「具志堅」 沖縄らしいでしょ(笑) 柔和で素敵な校長先生でした。講演には
地元の教育委員さんも参加されており、終了後 「またお呼びしたい」 と言っていただき、
即 「いつでも来ます!」と返事をしました(笑)
さらに、「先生は、2月のキャンプの時期がいいでしょ」 と言われたので
「いえいえ、1年中いつでもいいですよ。いつでも来ます!いつでも来ます!」
と何度も返事をしました(笑)
 
1日(火)13:50〜 沖縄県立コザ高校 全校生1400人 人権講演会
この講演会は、31日の県主催の人権講演とのセット(一般向け+高校生向け)で
企画されたものです。県内の高校に募集をかけたところ、8校の高校が申し込んで
下さり、抽選でコザ高校に決まったようです。県によると例年高校からの申込みは少ない
ので今回の8校の申込みは異例だったようです。
でもこれには伏線があります。1年前に沖縄キャリアセンターでの県立高校教頭研修で、
私が講演していたので、それを聞いていた教頭先生が「高校生にも聞かせたい」と思って
くださったようです。コザ高校もそういう事情でした。
コザ高校の生徒たちは、関西から来た変なおじさんの話を、本当に一生懸命に聞いて
くれました。家に帰ってから 「今日の講演、すごく感動したよ」 とお母さんに伝えた生徒が
いたと、翌日聞かされました。そんな感想に私の方が感動しますわ。
 
1日(火)19:00〜 名護市立大宮小学校 PTA・教員人権講演会
沖縄は今、桜の季節です。名護の「桜まつり」も見てきました。桜の種類は違うのですが
とってもきれいな桜に感動しました。
なぜ名護に呼んでいただいたのか、そのきっかけには本当に驚きました。
PTAの会議で講師を探していたときに、ある方が推薦して下さったのですが、この方は
3年前に兵庫県三木市の小学校で私の講演を聞かれたというのです。そしてその後、
名護市に家族全員移住してきたそうなのです。兵庫から沖縄に移住ですよ。そして講演
まで持ってきてくださったのです。そのつながりに本当にびっくりです。
会場は体育館だったのですが、入場には「六甲おろし」が流れるし、スクリーンには
タイガースのビデオが映し出され、私はその映像に見とれてしまいました(笑)
この大宮小には、熱烈なタイガースファンの先生がおられたのです。(ちなみにこの先生
は宮崎県出身です。周りはほとんどジャイアンツファンだったそうです)
講演会のあとの懇親会は夜中の1時まで続きましたが、ある若い先生から
「体育科教育のエッセイ、いつも楽しみに見ています」
と言ってもらい、さらに感激でした。
 
3日(木) 9:00〜 県立嘉手納高校3年生 夢講演
嘉手納高校には、2年前に講演に来て、講演の最後に
(実現は難しいと思いつつ)「今度は甲子園で会いましょう」 
と呼びかけたら、この前(2010年3月)のセンバツ高校野球に本当に甲子園にやって
きたのです。私もKADENAというシャツと帽子をかぶってアルプス席で一緒に応援しま
した。その生徒たちの卒業間際にもう一度と、いうことで再び嘉手納高校に来たのです。
またまた一生懸命に聞いてくれました。講演後にもたくさんの生徒とも話しました。
野球部のバッテリーもわざわざ挨拶に来てくれました。司会の女子生徒は、兵庫県の
大学に進学するというのでびっくりしました。
またヤンキーっぽい男子生徒に 「関西に来たら連絡しろよ」 と話しかけると
「お好み焼き食べに連れていってくれますか」 と聞いてくるので
「何枚でも好き放題食べさせてやるよ。いや、もっとオモロイとこ連れて行ってやるよ」
そう言うと 「絶対スよ!」 と目を輝かせていました。かわいい奴らです(笑)
相変わらず米軍の爆音が何度も聞こえる嘉手納高校ですが、心は温かくなりました。
 
 
まだまだ書けそうですが、「報告その1」 はこのへんにしておきます。
明日は「報告その2」です(笑)

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Posted by naka602 at 07:17 | TrackBack (0)