遺訓全文の翻刻(後半)
外ニ親之(の)きやうくん被レ申候ヲ書付候
一 御法を不レ可レ背候。法ヲ背候ものハ不レ及二利悲之(の)沙汰ニ一
悪心也。主親おや可多(かた)へ弓矢を引可(か)ことし。天道尓(に)も津(つ)くるものなり。就レ夫、利ヲ満(ま)くる法ハあれとも、法ヲまくる不レ可レ有レ利と申事有、三十三ヶ条之(の)御法の巻ニも有レ之事。
一 苦労するハ年よりて楽の種とおもへ。
一 田畠無レ之てハ何事も不レ成候間、田畠もとめて是をゆつ連(れ)。金銀ハうせものよ。
一 諸木物種ふせ植置候も年寄て楽のもとて、并子孫へ木数ヲゆつ連(れ)。
一 家来ニ慈悲をせよ。
一 少之事ニ人と云分して工事ヲするな、并筋もなき事ニよくをさりてよし。
一 筋もなき事ニハ眼前ニ利を得るといへとも必神明の者(は)ちをかうむると有。
一 物事我可(か)利と斗心得、ちやうしきするな。人の異見ニも付てよし。
一 知音してよきハ出家、いしや、知しや、福人并分別有レ之人と志(し)たし三(み)てよし。然上ハ知恵ヲかりてよし。仏道ニ入てよし。彼是よき事多し。
一 むさと志多(した)るものニ志多(した)しむな。数年心をみつくし、其上ハねんころしてよし。
一 我等子孫の者とも、たとへ分別なく、哥学の道も志(し)らすとも、手前尓(に)有レ之田畠を家職と心得、朝暮諸木植置是を守候ハゝ、末々宜クなりて花も身もある人尓(に)ハおとるへからす。然上ハ慈悲を専尓(に)すへし。つ三(み)とかあらされハ仏道に入なり。
【遺訓】には当時の文書の特徴でもあるが仮名が多用されている。あまりにも仮名が多く解釈に迷わされることも多い。漢字を知らなかったからか、口述筆記であったせいか、それとも単なる当時の流行りであったのかはわからない。以下に、読み方の解釈や謂れに関する解釈(多くは筆者の解釈)等を本文に出現する順に列挙しておく。
都合三十三ヶ條之(の)趣、雨中ニ取出しくり返しゝゝゝゝ於レ令二拝見一ハ、仏前尓(に)何を飾候、千部万部きゃう屋(や)うよりハまし、可レ為二親かうゝゝ印一也。右之(の)趣、常々親のきやうくん被レ申候ヲ書付、又子孫へ申傳候者也。
覚
一 松三万本ハ 三浦新田新堤之(の)足植置候
一 同六千本ハ 野毛新田新堤之(の)足植置候
一 同三万本ハ 宝六嶋新畠新堤之(の)足植置候
三ヶ所松合六万六千本也
右之(の)松植立置候間、為二冥賀之(の)一御 公儀様江(え)指上ケ申松也。御代官様へ預リ手形指上ケ置候。則、御代官様よりも御手形請取置有レ之候間、おろそ可尓(かに)不レ可レ仕候。何時も、御用木之(の)時指上ケ御勘定可レ仕者也。
寛文六年午ノ三月吉日
砂村新左衛門入道真悦 志(花押)
子孫江(え)
右書印砂村新左衛門尉胸意書被三訣送二後代子孫一、致二一見一候処、不レ違二古語一候事神妙存候。愚老不レ加二筆墨一候。
南無阿弥陀佛 霊巌寺 大譽(花押)
くつろき:寛ぎ、手かゝみ:手鑑、風しのき:(風凌ぎ)、熊谷とんせい:熊谷遁世すなわち熊谷直実、さねもり:実盛すなわち平実盛、うるほかし:潤おかし、草ほう?:草茫々、遊山おこり:遊山奢り、いたりかほ:至り顔すなわち知ったかぶり、いつてつ:一徹、あいきやう:愛敬、れんみん:憐憫、めい〜鳥:命々鳥、けいしけいほ:継子継母、はこくみ:育み、ふく:仏供、ゆつり田:譲り田、そりやく:粗略、きやうやう(けうやう):供養、かけひなたなくかけの奉公:陰日なたなく陰の奉公、ついへ:費え、身躰:身代すなわち財産、きやうくん:教訓、天道にもつくる:天道にも尽くる、利(法)をまくる:利(法)を曲ぐる、工事:公事、ちやうしき:情識すなわち強情を張ること、いしや:医者、知しや:知者、つみとか:罪咎、ねんころ:懇ろ
なお、繰り返し記号については漢字の場合は「々」、かなの場合は単数または複数の「ゝ」で示したが、単数の「ゝ」以外は原文と異なる用法になっている。