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2009年1月30日
元気が一番
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 今日は、淡路島の野島小学校に行ってきました。
校庭から海の見える児童数30名足らずの小さな学校です。
あの大震災(1995年)から14年、ここは震源地、あの野島断層がある所です。
 
当時の新聞に、こんな記事が載っていました。
(1995年3月6日 朝日新聞テレビ欄の番組解説)
ニュースステーション ★ABC夜10:00
阪神大震災の震源地のすぐ近くに位置する、淡路島・北淡町の野島小学校。同校の保健室は震災後、被災者のための診療所となった。同校に着任して2年目の養護教諭、出口かおりさんは、子どもたちが気軽に入ってくることができる保健室を再開したいと願っている。出口さんも西宮市の自宅で被災したが、毎日船で淡路島に通っている。保健室の窓から見た島の子どもたちの様子をリポートする。
 
 震災から1ヶ月半経った3月6日の夜、テレビの画面に私は釘づけになりました。
「あっ、出口さんだ! 出口かおりが映っている!」
出口かおりさん、21歳、私の教え子です。 先生第1号の教え子です。
 
新任2年目の養護教諭の奮闘ぶりが、あの久米宏のニュースステーションで特集されていたのです。野島小学校では、校長先生と子ども一人が犠牲になりました。そんな状況で弱冠21歳の養護教諭がどうしたら子どもたちが元気を取り戻せるか、必死になって取り組んでいる様子がテレビから流れてきます。驚きと感動で声が出ません。
そして診療所となって使えなかった保健室が2週間後、ようやくもどってきます。医薬品などを片付け、子どもたちが使えるように整理する出口先生。そして最後に画用紙を切って文字を作っています。それを運動場が一望できる保健室の上の窓に貼り付けました。
「大きな5つの文字」が運動場で遊ぶ子どもたちに呼びかけます。
      元 気 が 一 番
その映像に涙が出てしまいました。
 
 
 今日はその出口さんが勤務していた野島小学校に行ってきたのです。
当時80数名だった児童数は今30名足らずになり、来年は統合のため廃校になるそうです。14年前、テレビで見た野島小学校を実際に訪れ、感慨深いものがありました。出口さんが赴任して1年目、学校のビワを私に送ってきてくれたのですが、そのビワの木も立派に成長していました。
 そして、あの保健室にも入れてもらいました。保健室からは運動場、そして海がよく見えます。ここに 「元気が一番」 を貼ったのだなと、感動しながら眺めていました。
 
 若手教師パワーアップセミナー「元気が一番」塾
 
そうなんです「元気が一番」塾、その名前の由来は、この保健室の窓だったのです。
あの5文字に感動し、10年後、私は自分のセミナーにつけさせてもらったのです。
 
出口かおり先生は、その後尼崎の学校に転勤し、結婚して今は横浜で養護教諭を続けています。7歳と2歳の子をもつお母さん先生です。かわいい写真の年賀状が毎年届きます。
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 16:48 | TrackBack (0)


2009年1月27日
KBS京都のラジオ収録
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 夜の7時、KBS京都のラジオ収録に行ってきました。
月曜20:00〜20:30 「和泉修のワッツフレンズ」という番組の収録です。
「ワッツフレンズ」は、いろんな分野でがんばっている人を毎回招いて、和泉修さんが話を聞くという番組で、そこに今回私が呼ばれたのです。
 
 あの吉本興業の和泉修さんがメインで、アシスタントには花田千映子さんという綺麗な方と3人で収録スタジオに入りました。スタジオのガラスの向こうにはディレクターさんがいてキューサインを出し、アシスタントの花田さんが音声レバーをおろすと収録開始です。(「テレビで見たことのある収録風景だ」と少しの感動と少しの緊張です)
 
 事前打合せはまったく無し、いきなり本番です。でもさすがですね、和泉さんも花田さんもうまく話を引き出して下さるのです。和泉さんは、私の拙著「教師力を磨く」をよく読んで下さっていたようで、その内容から進めて下さるのです。最初は緊張していた私もそのペースにのせられ、いつものようにペラペラしゃべりまくってしまいました。(あー恥ずかしい!) そんな感じで、30分の収録はあっという間に終了しました。
 
 ところで、なぜ私が和泉修さんに・・・・・。
実は昨年11月、奈良市のある小学校のPTA講演に行った時、保護者として和泉修さんがおられたのです。事前に校長先生から少し聞いていたので、講演が始まってすぐに和泉修さんの姿を確認することができました。すると私も意識してしまい、笑いのネタの時は、つい和泉修さんの方を見て、ウケたかどうか確認してしまうのです。
「あっ笑ってる、吉本の芸人さんにウケた、よし!」
ちょっと泣ける話の時は、和泉さんも泣いているではありませんか・・・・。
そんなエエ感じで講演会は終了しました。
 
そして、その日の夜、校長先生から電話です。
「和泉修さんから、自分のラジオ番組に出てほしいと問い合わせがありました」 って。
 
 
さて、その放送日ですが、
2月9日(月)20:00〜20:30 だそうです。 
でもKBS京都のラジオは、西宮では受信できません。
多分私の近くの知りあいは、誰も聞くことができないでしょう(笑) 
 
 
収録の帰り、和泉修さんが阪急烏丸駅まで、愛車で送ってくださいました。
「今度私の家にぜひ来てください。一緒に飲みましょう。日程を調整しましょう」
そんな信じられない光栄な言葉をいただきながらお別れしました。
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:20 | TrackBack (0)


2009年1月23日
太郎が恋をする頃までには・・・
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「太郎が恋をする頃までには・・・」 作・栗原美和子 幻冬舎 1575円
 
とにかく凄い小説でした。 あっという間に読んでしまいました。
 
私の脳裏にかつて読んだ島崎藤村の「破戒」がよぎる。主人公の姿が今、目の前で床の1点を見つめている太郎の姿と重なる。小説の世界に涙した私が、今現実の世界に涙している。(文中より)
生まれて初めて出逢った人生を賭けて愛せる人。しかし、日本にこびりついた長く暗い歴史が二人の前に立ちはだかる。男の壮絶な人生を、女は受け止められるのか。衝撃の長編恋愛小説。  ・・・・・そんな帯がついている本です。
 
 この小説は、元フジテレビキャスターの栗原美和子さんが「本当の自分を描きたい」と自分の生き様を書いた「私小説」です。内容は、被差別部落出身の猿回し芸人村崎太郎氏との結婚に至る真実をもとに書かれたものです。フィクションですが、ノンフィクションともいえる小説なのです。
 この本を評価する人、しない人、さまざまです。でもここに書かれている話は紛れもない事実なのです。これが部落差別の現実なのです。まだまだこんな差別が残されているのです。
 実際、栗原さんは村崎さんとの結婚で母親の猛反対を受けます。今どきナンセンスと思っていたのに、部落差別なんてもうないと思っていたのに・・・藤村の「破戒」の世界に直面するのです。それは今から、つい2年ほど前のことなのです。
 
 昨年12月に人権フォーラムでご一緒した川口泰司さん(山口県人権センター)の友人も結婚に関して、大好きだったおじいちゃんの猛反対を受けます。そのおじいちゃんが亡くなった時、友人は 「これで差別をする人が一人減ったんだ」 と大好きなおじいちゃんの死を複雑な想いで送るのです。なんて悲しくつらい出来事なのでしょう。
この事実も、ほんの数年前のことです。
 
部落差別はまだ解決していないのです。
 
寝た子を起こすな、逆差別、同和利権、えせ同和・・・・・いろんな噂や事件が人を混乱させます。
川口泰司さん曰く 「偏見は圧倒的な情報不足だ」
しっかり勉強して、しっかり事実をみつめていきたいものです。
 
あの同対審(1965年)の頃、村崎太郎氏が生まれます。
太郎氏の両親は、そんな赤子を抱いて、差別反対のデモに参加します。
その時、この言葉が生まれました。
 
太郎が恋をする頃までには・・・・・差別のない世の中が訪れますように
太郎が恋をする頃までには・・・・・すべての人間が平等に扱われますように
太郎が恋をする頃までには・・・・・様々な問題が解決されますように
 
部落差別はまだ解消していないのです。
 
 
(※この小説では、猛反対に遭い、結局離婚するのですが、実際には栗原さんと村崎さんは別れていません。そして反対していたお母さんの心も和らいできています)
 
 
 
 

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2009年1月17日
1.17後からの授業日程
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 今年も1.17がやってきました。5時46分黙祷。
あれから14年も経ったのに、まだ涙が出てしまいます。
 
 今日は、悲しい話は抜きにして、震災後の私の小学校の授業日程について記しておきたいと思います。震災から2週間後、学校は再開しますが、運動場や体育館や理科室等の部屋は避難所として使用していために、子どもたちは教室だけで学習していました。
 
・1月17日   阪神大震災 (西宮の小学生の犠牲者は35名。本校は2名が犠牲)
・1月30日〜 学校再開 (7割弱の子が登校。親戚の家等、遠くからの通学者多数) 
         10時始業   10:15〜11:15授業 60分授業×1
                                11時45分下校
・2月13日〜 9時30分始業 9:40〜10:20授業@ 40分授業×3
                   10:25〜11:05授業A
                                      11:10〜11:50授業B  12時10分下校
・2月18日〜 9時30分始業 9:40〜10:25授業@ 45分授業×4
                   10:35〜11:20授業A
                   11:30〜12:15授業B
                                         簡易給食開始(exチーズケーキと牛乳だけ)
                   13:15〜14:00授業C   14時15分下校
・3月18日 図書室にて卒業式  
 
当時私は6年生の担当でした(あの井村君がいた学年です)。
1月30日の学校再開時は65名中48名しか集まりませんでした(他は遠くへ疎開)。6年生は2クラスでしたが、48人が一つの教室に入り授業を始めていきました。2ヶ月後の卒業式にやっと65名全員が集まりました。卒業式は体育館が避難所になっていたので、図書室で6年生と保護者のみで行いました。(5年生は廊下で待機) 
(4月より通常の授業に戻るが、体育館は避難所のため使用不可) 
 
今、思い出してみると、こんな感じでようやってたなと思いますね。
この3ヶ月間の授業時数はもちろん不足していましたが、なんとかやれました し、それで中学校で困ったということはありませんでした。教師の会議もほとんどなしで、3ヶ月間乗り切れました。普段あれだけ多くある会議がなくても、やっていけるのですね(笑) 
私たち教師は、昼過ぎまで授業をしたあとは、避難所の仕事をしていました。男性教員は交代で寝泊まりをするのが5月まで続きました。  避難所は8月末まで約220日続いたのです。
 
 
※今日は元気塾でした。50名の先生方と指導案について研修しましたが、いつか震災の事もしっかりと伝えないといけませんね。                          
 
 
 

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2009年1月11日
「イケクミ」改め「イムクミ」初練習
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 「ヤンクミ」は、あのTV「ごくせん」の山口久美子先生のことですが、
「イケクミ」とは、陸上女子走り幅跳びの日本記録保持者の池田久美子選手のことです。
彼女は陸上の記録もスゴイだけでなく、TV情熱大陸でも紹介されたりと、全国のファンから「イケクミ」と呼ばれ、女子陸上フィールド界ではナンバー1の人気選手です。
 
 そのイケクミの記事が今日の朝刊に載っていました。
「イケクミ」改め「イムクミ」初練習、という見出しでしたが、
結婚して井村久美子になったので「イムクミ」になったということです。
そうかぁー井村になったんか、と読みながら、教え子の井村君のことを思い出していました。彼も陸上をやってたけど、今は元気にしているのかなあ、と考えながら記事を読み進んで、びっくり仰天! なんとイケクミの結婚相手は、井村俊雄さんと書いてあるではありませんか。あーーーあの井村君です。あの井村君とイケクミが結婚したんや!思わず大声を出してしまいました。
 
 でも冷静に考えれば、二人の接点はいろいろあっただろうと考えられます。実は井村君も陸上フィールド界のエースだったのです。高校では、棒高跳びで兵庫県3連覇、そして全国高校総体2連覇です。そう日本一の選手だったのです。そして高校陸上界の棒高跳びのエースとして世界ユースにも出場したり、陸上競技マガジンにも大きく取り上げられていた選手です。そんな期待の若者として筑波大学進学後も大学選手権で優勝するなど将来を嘱望されていたのですが、度重なる故障で大学の後半は思うように記録も伸びず、大学卒業と同時に競技から離れていました。
 井村君とは長い間会っていませんが、お母さんとはよく出会うことがあり、いつも様子を聞いていました。でもここ半年ほどはまったく出会っていなかったので、結婚のことを知らずにいました。遅くなりましたが、
「井村君イケクミさん、結婚おめでとう!」
 
 井村君は、私の担任ではありませんでしたが同じ学年の教師として、いろいろつながりがありました。甲子園球場で行われる西宮市小学校連合体育大会のリレーでも、アンカーをつとめ優勝もしました。(彼の陸上の最初の指導は私です(笑)) あの頃からすごかったのですがまさか日本一になるとは想像も出来ませんでしたね。
 彼はリーダーシップもあり運動会では応援団長として下学年から慕われる子でしたし、組体操などでは、うまく出来ない子を一生懸命に教えてくれる優しい子でした。そんな彼が甲子園のリレーチームに選ばれると、選ばれなかった友だちも一緒に朝練に顔を出し、「イムラがんばれ!」と声を出してくれるのです。リレー代表は、男女8名ずつの16名でしたが、最終的に朝練には6年生全員(65名)が出てきて応援してくれているという状態でした。甲子園での1位はみんなで勝ち取った勝利だと井村君も言ってくれていました。
 
 井村君の担任だった小屋敷先生、同級生だった上船津さんも
きっとこのブログを読んで、喜んでくれていると思います。
 井村君は、今、三重県鈴鹿の潟crリティランドという会社のモータースポーツ部で、あの鈴鹿サーキットのレース運営の仕事をしています。ネットの就職案内に彼が載っていました。
https://job.mynavi.jp/10/pc/search/corp39220/premium.html 
 
 おめでとうイムラ!がんばれイムクミ!
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:55 | TrackBack (0)


2009年1月10日
工業高校・定時制高校の研修会
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 今日は県の工業高校・定時制高校の工業部会での研修会に参加してきました。
土曜日の午後、約60名の先生方それも野郎どもばっかりのエエ?雰囲気の中での研修会そして懇親会でした。
 研修会では、私が出会ってきた子どもたちや保護者との関わりについての話をしたのですが、高校の先生方が涙を流しながら聞いてくださいました。ごつい顔した先生が涙を流している姿に私も泣きそうになってしまいました。
 
 懇親会は楽しかったです。とってもいい雰囲気でした。
工業高校や定時制高校の先生方は普段苦労が多い分、つながりも深く、みんなの心が一つになっている気がしました。(「拍手を1回!」もばっちり合いました)
 
 普通科や進学コースの高校とは、まったく違う世界がそこにはあります。もちろん工業高校として「ものづくりコンテスト」で力を発揮したり、部活動でいい成績を残している工業高校もありますが、自尊感情の低い子や家庭状況や経済状況がいいとは言えない子どもたちもたくさんいます。そんな子どもたちを毎日抱きしめてやっている教師がいます。毎日家庭訪問に行く教師がいます。教科書には載っていない人生を語る教師がいます。すると、授業中ずっと寝ていた生徒や、平気で携帯をしていた生徒、ジュースを机の上に出していた生徒が、だんだんと前を向くようになっていく。ここには俺の居場所がある、あのセンコウは俺の味方や、仲間っていいもんや・・・そんな「優しさの貯金」がたまっていく。そして自分で自分の道を力強く歩んでいくのです。
 懇親会ではそんな話が飛び交いました。大声で笑ったりお互いに涙したりするのです。
「仲島先生の話ようわかりました。教師の仕事は足でかせぐんですわ。教育は今日行く。ホンマその通りです。私ら毎日しんどいけど楽しいですよ。エエ生徒ばっかりですわ」
この懇親会で、何人の先生と握手したことか・・・・。なんか心がつながりましたわ。
 
 最近は、学力テストをはじめとして有名大学にどれだけ合格者を出すか躍起になっている公立高校のことや、高校の英語の授業は全て英語でするという文部科学省の考え等、何かと目先の学力について話題にあがっています。もちろんこの学力もすごく大事です。でもなにかおかしい・・・・そう感じているのは私だけでしょうか。
 
 今日の先生方の中には、担任と教え子の関係の先生が3人ほどいました。自分が卒業した工業高校に、教師となって帰ってきているのです。そして恩師とともにしんどい子どもたちと向き合っているのです。 なんかそんな姿に感動してしまった私です。
 
 

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Posted by naka602 at 17:26 | TrackBack (0)


2009年1月7日
8日が仕事始め
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 みなさんより少し遅れて、明日が私の仕事始めです。
8日は、和歌山県田辺市で人権講演会です。新年早々の人権講演会って、人が集まるのかなって心配しますが、どうなんでしょうね。新年のこんな時期にするんだなとびっくりしましたが、その心意気はなんかうれしいですね。人権を大事にするところから2009年が始まるのですから・・・。
 
 ところで、私のホームページのことですが、冬休み中に10万回に達しましたが、10万ピッタリの方は、どうかご連絡下さいね。豪華?記念品がありますから(笑)
 
 そのホームページですが、日記(ブログ)の箇所はけっこう読んでいただいていますが、そのほかのページは、あまり見られないと思いますが・・・時々更新しているのですよ(笑)
それを今日、更新しました。(と言っても、私が更新したのですなく、私のPCホームドクターのSUZUKIさんです。教えてもらってもなかなか出来ない私です。あー情けない)
 
「こんなこと書いています」・・・のページでは、昨年に書いた2つの拙文を載せました。
★「あーよかったな あなたがいて〜支え合う仲間を育てる〜」 という題です。広島大学附属小の「学校教育2008年9月号」の原稿です。原稿行間で書いているので、少し読みにくいです。すみません。
★「よき日の為めに〜つながること、そして尊敬しあうこと〜」 兵庫教育2008年10月号です。かつて私が人権担当をしている時に実践したことや考えていたことをいくつか書きました。「よき日の為めに」の「為」に「め」は本当はいらないのですが、1922年の「水平社宣言趣意書」には、「為め」と書いてあります。原文通りです。知っている人は知っているというマニアック的ですね(笑) でもこの機会にぜひ「水平社宣言」をもう一度読んでくださいね。
 
「こんなこと話しています(講演)」・・・のページでは
★武庫川女子大の学生の感想
を付け加えています。関西そして地元西宮にも武庫川女子大出身の先生がたくさんおられます。そんな教師の卵の学生に話をしてきました。なかなかうれしい感想を書いてくれています。
 
「こんなことしています(元気塾)」・・・のページでは
★ここ半年の元気塾のレジュメ
★2007年夏季セミナーの感想
★2008年夏季セミナーの感想
★大平誠也氏の「走」の実技研修(2008.6)分析
 昨年6月に大阪城公園での「走」の実技研修の様子を尼崎市教委の大平誠也先生が分析してまとめてくれました。大平先生は私の後輩ですが、むちゃカシコイんです。
 今年2009年の夏季セミナーは、沖縄開催かも?とお知らせしましたが、むこうも財政難なので開催は危ういかもしれません。でもこの感想文を「沖縄キャリアセンター」の所長さんが読んで下されば、予算がつくかも?・・・・・・そうなればいいですね(笑)
 
では、今年の第1回目の仕事、元気にがんばってきます。
 

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Posted by naka602 at 17:32 | TrackBack (0)


2009年1月4日
座布団!の復活を
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 お正月は、すっかりテレビ人間になっている私です。
箱根駅伝は毎年見ていますが、不思議な魅力があります。まったく知らないのに、あっあの子報徳の子や、あの子は豊岡出身や、この子は西脇工業か、がんばれ市尼・無量くん!って兵庫県出身の選手を応援したり、この選手は昨年途中棄権で涙を流していた子や、あの大学は予選会でむちゃくちゃがんばっていたんやとか、そんなエピソードを思い浮かべながら見ているとあっという間に10時間が過ぎています。
 
 さて、「秘密のケンミンショー」という番組があります。これは全国の都道府県で、その県にしかない独特の料理や習わしなどを紹介する番組です。私はこれが大好きでよく見ていますが、正月特番で、またまた笑ってしまいました。
 お正月によくしていたトランプで、全国的には「ダウト!」と呼ばれるゲームが、大阪では、「座布団(ザブトン)!」って呼ぶのです。子どもの頃大阪で育った私ももちろん「ザブトン!」です。でも大阪以外の人は「ダウト!」なんですね。私の妻は広島で育ちましたが、やはり「ダウト」だったみたいです。番組の中では、大阪は変わっている、とみんなに思われていましたが、私たち大阪人から言えば、他の地域がおかしいのです、ハイ。
 
 この「座布団」というトランプは、数字を順番に出していく単純なゲームなので、小さな子どもからお年寄りまで、誰もが参加できるトランプで、これをお正月にみんなで楽しんでいたのです。
 そうなのです、思い出してみると、お正月ってたくさんの人が集まって、みんなで楽しくトランプをしたものです。そう思うと、トランプってよ〜く考えられた遊びですよね。この「座布団」をはじめ、「ババ抜き」とか「7ならべ」とか「神経衰弱」のように、どんな年齢層でも遊べるようになっているのですから・・・・・。
我が家も家族でスキーに行くと、夜はいつもトランプをしていました。我が家の定番は、「神経衰弱」「7ならべ」「ババ抜き」そして「大富豪」でしたね。(座布団はすっかり忘れていました)
 
 トランプっていいですよね。普段テレビゲームに明け暮れている子どもたちにトランプを教えてやりたいですね。子どもたちは最初は、きっとテレビゲームの方が楽しいって言うでしょう。でもやっていくうちにみんなでワイワイ言いながら遊ぶ楽しさもきっと味わってくれると思います。今こそ、トランプの復活を願いますわ。
 
 3学期のスタートは「座布団」ですよ。
「座布団」をしながらその勝ち負けで、新しい班を決めるのはどうですか。
きっとおもしろいと思うのですが・・・・・・。
 
 
 教員の新任研修で、
「遊びの実技研修」 があればいいなあと真剣に考えている私です。
喜んで講師をさせてもらいますけどね・・・・・。
 
 
 

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Posted by naka602 at 14:41 | TrackBack (0)


2009年1月1日
今年もよろしくお願い致します
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 2009年 
  あけましておめでとうございます。
    今年もどうぞよろしくお願い致します。
 
  
  教師として働き始めたのが1979年、22歳の時です。
  今年は、あれから30年、私も52歳になっています。
 
  22歳の頃には、50歳をこえた方をみて
  すごくしっかりした大人だなと思っていました。
  22歳の自分とは、遠くかけ離れた存在にしか見ていませんでした。
 
  でも自分が、その歳になってみると、
  あんまり変わっていない自分に気づくのです。
  これは成長していない証拠なのでしょう。

  でも私は、
  これは 「まだまだ若い証拠や!」と居直っています。
  そう、ポジティブに考えているのです。
 
  今年も、「元気で明るいナカジマくん」 で頑張りたいと思っています。
   みなさん、2009年も、どうぞよろしくご指導下さい。
 
                                       2009.1.1  仲島 正教
 
 

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