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2008年12月31日
よいお年をお迎え下さい
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 今日は12月31日、大晦日です。
でも大晦日の様子は、昔とすっかり変わりましたね。大晦日の日って、なんとなく街がざわざわそわそわ、お正月の買い物客でお店もいっぱい、大掃除も終わり、新年の準備万端で家族がコタツに入り、紅白歌合戦を見ながら年越しそばを食べ、蛍の光のあと、急にテレビの画面が雪の永平寺に切り替わり、「ゆく年くる年」の放送を見ながら新年を迎えていました。そして、お正月はお店も全部閉まっており、街が静かなのです。そうやって新年が始まっていったのです。
 
 時代は変わりましたね。
我が家も同様です。午前中に娘が美容院に行くと、なんと映画のタダ券をゲットしてきました。タダやったら行こう!とさっそく西宮ガーデンズの映画館へ直行です。(我が家から映画館まで、たったの5分です) 西宮ガーデンズの映画館には1ヶ月前あのキアヌ・リーブスが来たのですよ。その映画館に行ってきました、大晦日に映画鑑賞だなんて、ホント時代は変わりましたね。
 
 今年もあと数時間を残すのみとなりました。
 この1年間本当にありがとうございました。
      どうぞ、みなさんよいお年をお迎え下さい。
                   2008.12.31  仲島 正教
 
 
※今年最後の追伸。
新年を迎えると「あけましておめでとうございます」の挨拶ですが、
「喪中につき、新年のご挨拶は控えさせていただきます」
 
・・・と喪中ハガキも書きましたが、
ホームページでは、通常通り、新年の挨拶をさせていただきます。
もちろん、お会いしても、新年の挨拶はさせていただきます。
そしてみなさんも遠慮なく 「おめでとう」 とおっしゃってください。
それでOKです。というかそうしてほしいと思っています。
 
そもそも「喪中」とは何か?
これは死に対する穢れ(ケガレ)意識からのもので、元々以下のような意味。
「身内に死者が出て、あなたの家は穢れているから、周囲の人に
うつさないように、喪に服して、静かにしておきなさい」 
葬式における「清め塩」も同じ事です。葬式に行ったら、自分にケガレが
うつる、だから自分の家にケガレを持ち込まないために、玄関先で「清め塩」
をする。そんな慣習がずっと続いていました。(最近はなくなりつつあります)
 
遠い昔、弊牛馬の処理や死刑執行の役割を担った部落の人が「穢れ多い」とみなされ
「穢多(エタ)」と呼ばれ差別されてきました。(部落の人は自らのことを「皮多(カワタ)」
とは呼ぶが、けっして「穢多(エタ)」とは呼ばなかったのです)
このケガレ意識が、中世、近世、近代、現在といまだに続いて
「家がケガレる」「戸籍がケガレる」と結婚差別として悲劇を起こしているのです。
このケガレ意識が差別を正当化する思想として利用され温存されてきたのです。
そしてそれが、私は差別はしないという人の中にも、無意識に定着し「文化」となって
きたのです。でもこれは本当は「差別の文化」であり「人権の文化」ではないのです。
 
世間では、そんな意味も知らずに、また深く考えることもなく
「身内に不幸があったから、おめでとう、は控えておこう」
という意識になっているのでしょう。
そしてその世間の流れにそわないと常識がないように思われてしまうのです。
事実、私もその流れにのって「喪中ハガキ」を書いたのですが・・・・・。
 
新年を迎えることは、亡くなった人があろうがなかろうが、おめでたいことなのです。
みんなで新年を迎え元気にがんばろうとする姿を、故人も天国から応援してくれていると
私は思うのです。だから、新年は、やはり「おめでとう!」なのです。
私の父も、きっと天国でうなずいてくれていると思います。
 

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2008年12月29日
キンキキッズのコンサート
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 キンキキッズのコンサートに行ってきました。そうです私が行ってきました。
京セラドーム大阪で、3時間のコンサートを楽しんできました。
「硝子の少年」「全部抱きしめて」「青の時代」「もう君以外愛せない」・・・知ってる曲もたくさん歌ってくれたので、よけいに楽しかったです。
 
 ジャニーズ系のコンサートはもちろん初めてでした。大阪駅辺りから若い女の子がいっぱいいます。最寄りの大正駅に着くと、もう辺りは女の子ばっかり。野球とは大違い、ずいぶん戸惑うというか・・・・むちゃカッコ悪く、恥ずかしかったです。会場に入ると、後ろの女の子がコソコソしゃべっています。「けっこう、おっちゃんも来てるね」 (悪かったな!)
※実際キンキのコンサートはけっこう年齢層が広いそうです。少しホッとしました。
 
 さてさて・・・・・なんでキンキのコンサートに行ったかというと・・・
実は招待されたのです。今回のキンキのコンサートでバックダンサーをつとめるのが私の教え子なのです。その教え子が招待券をくれたのです。
 
 shin.1(シンイチ)・・・・私が小学3年4年と担任した教え子です。ジャニーズ系のコンサートのダンスの振り付けや自らダンサーとしても踊っているプロなのです。キンキの他に、あのスマップや嵐やNEWS等の振り付けもしているのです。すごい奴です。今回のコンサートでもダンサーとしてだけではなく、振り付けもしていました。自分の振り付けをキンキが踊っているのですよ。スゴイですよね。 
 shin.1(シンイチ)自身の踊りもスゴイです。とってもカッコイイです。今、全国各地のスクールで多くの生徒達にも教えている先生でもあります。かつて我がクラスで一緒に踊っていた頃とは大違い、もうすっかり手の届かない所へ行っている彼です。
 
 7年前、彼がロサンゼルスにダンス留学にいく直前、私を訪ねて来てくれました。
「先生、行ってきます」
「シンイチ、思いっきりやってこい!チャレンジや!」
そう言って送り出しましたが、その3年後、私が教師を辞めると彼に伝えると
「先生、がんばってください。今度は先生のチャレンジの番ですね」
と励ましてくれました。
 
 彼も私も、フリーでがんばる自営業です(笑) 彼も私も全国を渡り歩いています。
私が宮古島に行った3ヶ月後、彼も宮古島で仕事がありました。先月11月には、彼と鹿児島でニアミスでした。全然関係のない仕事をしながら、こうやって近くを動いていることに彼との縁を感じています。
 
 がんばれshin.1(シンイチ) 応援しているぞ!
 

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2008年12月27日
5分間家庭訪問の感動
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 5分間家庭訪問。
これは教師向けセミナーで、先生方に薦めていることで、学校の帰りにたった5分でいいから、子どもの家に寄って、玄関先で話をしてから帰る。話す内容は、「その子のちょっとしたイイこと」 の報告がが一番いい。・・・でも何もなくても 「近くを通ったので、ちょっと寄りました」 もいい。 そんな「5分間家庭訪問」から、子どもも保護者も元気を出してくれる。そして自分も元気がもらえる。たかが5分されど5分、「5分間家庭訪問」は思わぬ感動を呼ぶのです。
 
 
 26日の午後、北海道スキーが中止になり、急に暇になりました。
「いい機会や、1年間お世話になった潟Vステムブレーンに、あいさつでも行こう」
そんな気楽な(失礼な)気持ちで、大阪に出かけていきました。
 
 この日は仕事納め、バタバタしてはるかなとソロリとオフィスに入った途端、近くにいた吉岡さんの 「あ、仲島先生、こんにちは!」 の一声で社員さん全員が立って私の方を向いて、「こんにちは!」の大合唱(いえ輪唱)。 あ〜恥ずかし〜い でもちょっとうれしい、そんな気持ちになりました。(こんなのは学校の職員室では考えられないことです)
 
 そして社長さんが直々来られ、私がお礼を言いに来たのに逆に社長さんからお礼の言葉をいただきました。そして 「これは感謝の気持ちです」 と冊子をいただきました。冊子の表紙には私の名前が入っており、日付は今日の日付。 「えっ、なんで?今日私が来るのがわかっていたの?」 そのタイミングの良さに本当にびっくりしてしまいました。
  実は社長さんもびっくりされていたのです。冊子は作ったけど、いつ仲島先生に渡そうか、どうやって渡そうか考えていたら、その仲島先生が急に目の前に現れたって・・・・・。
 
 この偶然って、すごいですね。なんかとっても感動してしまいました。
まさに「5分間家庭訪問」の感動ですわ。 やっぱり出会うことです、電話ではなく直接会って話をする、・・・すると何かが起こるんですね。何かが変わるんですよ。
 
 帰りの電車では、いただいた冊子を読みながらまた感激。
この1年間の講演の感想等のまとめがいっぱい詰まっていました。
そんな幸せな気持ちになった「5分間家庭訪問」でした。(実際には1時間居ました)
 

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2008年12月26日
北海道スキーに行ってきました
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 神戸空港に朝8時に到着しました。
新千歳空港行き9:00発JAL3301便に搭乗、午後2時北海道ルスツスキー場到着。
羊蹄山を正面に見、パウダースノーの雪煙を上げ、気持ちよく滑り降りていく。
ルスツタワーホテル20階メゾネットルームからの眺めも最高! スキーの疲れを留寿都温泉で癒し、カニ、鮭、イクラなどの新鮮な海鮮料理に舌鼓を打ち、家族団らんの楽しい会話に花が咲く。 あぁ、ええ家族旅行やなあ〜と感動しつつ、眠りにつく。
 
 そんなブログを書こうと思っていたのに
ナント・・・北海道は大荒れの天気。新千歳空港は閉鎖。もちろん飛行機は全便欠航! 
あああああ、ショック!ショック!ショック!
 
・・・・ということで午前10時、今年の北海道スキーは断念。 お昼前には自宅に帰っていました。結局、北海道スキーに行ったのは、4人分のスキーの板とバックだけ。昨日から現地で私たちを待っていたスキー板とバックは、明後日西宮に帰ってきます。
「スキー板とバックが、北海道スキーに行ってきました」
 
大笑いや!ハハハハハハ・・・・・・笑うしかありませんわ・・。
しゃあないですわ。 ホンマ自然にはかないません。
 
まあ、これも家族の忘れられない思い出となりますわ。
きっとおじいちゃんになっても、ずっとずっと言い続けることでしょう(笑)
 
 
今夜は、家族4人コタツに入って、
みかんを食べながら、テレビを見たり、おしゃべりしたり、楽しく過ごしています。
「これもなかなかエエわ」  
 
 

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Posted by naka602 at 20:31 | TrackBack (0)


2008年12月25日
今日で仕事納めです
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 今日が今年の仕事納めです。(京都府・福知山市民病院職員人権研修)
2008年もおかげさまでたくさんの仕事をいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今年の年間講演数は、255回。元気塾を加えると、年間265回にもなります。学校の年間授業日数が200日ほどですから、現役時代より多くなりましたし、週休2日の会社での勤務日数が260日ぐらいですから、ほぼそれと同じぐらい働いているということになります。
 辞めた1年目は、武庫川にサイクリングに行ったり、毎日ブラブラして、休みの合間に仕事があったという感じでしたから、この4年間の変化に自分でも驚いています。仕事をいただいた方やそれをサポートしてくださった潟Vステムブレーンのみなさんに本当に感謝致します。
 みなさん、本当にありがとうございました。
 
 そして、このホームページへのアクセス数もまもなく10万回に達します。
ホンマ信じられへん!です。 今年中に10万回に達しそうなので、ちょうど10万回になった方はご連絡下さいね。お礼の記念品を贈らせていただきますハイ。
 
 
 明日からは、仲島ファミリー恒例の年末スキーに行ってきます。(26日〜28日)
ずっと行っていた信州白馬八方尾根から、3年前に山形・蔵王になり、昨年はさらに北にある岩手・安比に行き、今年はまたまた北へ、北海道に行ってきます。今年は北海道のルスツスキー場で滑ってきます。1年間の疲れとアカをしっかり落として、新年を迎えたいと思っています。

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Posted by naka602 at 10:28 | TrackBack (0)


2008年12月20日
自分にできそうなことをちょっとやってみよう・・・今日の元気塾
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 今日の元気塾のテーマは、「3学期を『有終の美』で終わるためにしておきたいこと」
3学期は、たった50日ほどしかないし、大変忙しい。
でも、そんな時だからこそ、こんな「ちょっと」のことを「わざわざ」やっておきたい。
その「ちょっと」の「わざわざ」から、感動が生まれるんだ。
 
 学期末の大変忙しい中、36名の先生方が集まってくれました。中には、ナント東京からの参加があり、びっくり仰天です。東京・葛飾区からの参加の平田先生です。以前、夏のセミナーには参加していただきましたが、通常の会に、わざわざ西宮まで・・・・・。もう感動もんです。本当にありがとうございました。
 
 今日は、愉快な日めくりカレンダーから、感動の卒業証書や記念DVDの話まで、多種多様いろんな実践の話をさせてもらいました。そのついでに、40年前の私の「我が輩は机である」という作文も紹介しましたし、私の6年生の家庭科の作品や、あの「修学旅行物語」のモデルになった私の「原稿用紙50枚小説」も披露させてもらいました。
 
★今日も、い〜ぱいの元気が出る話をありがとうございました。3学期に向けて、やる気とともに待ちきれなくなりましした。(大阪・N)
★今日も感動しました。つい3日ほど前、久しぶりに落ち込んでいたのですが・・・・今日逆にクラスの頑張るべき所が見え、3学期の課題にしようと思いました。(川西・O)
★3学期の終業式のことを考えるだけで涙が出そうです。昨年の終業式で私も子どもたちもボロボロ泣いたことを昨日のように覚えています。今日うかがったお話を3学期に実践して、子どもたちにとって、一生の思い出に残る1年の締めくくりにします。(奈良・N)
★学級通信やビデオなどは、作りっぱなしになっているので、もう一歩踏み込みたいと思います。子どもの辛さや努力の跡を認めて、3月には笑って送り出したいと思いました。(東京・H)
★「わざわざ」や「ちょっと」・・・忙しく過ごしている日々の中で、ほんの少しの事かもしれないけど、先生が頑張った分だけ、子どもからも返ってくるものも大きいと思います。最後に先生が言われた「自分に出来る事」、「一歩踏み出してみる」 この言葉を大切に3学期も頑張っていきたいと思います。(西宮・M)
★最後に先生が話された、「今、自分にできそうなことをちょっとやってみよう」 という言葉が印象に残りました。(西宮・I)
 
 
 来月は、「指導案で授業は変わる。指導案をこう見る、指導案をこう書く」 です。
教師の原点は、やはり「授業」です。授業のうまい先生になることが一番です。
これは半年に一度はする元気塾の定番メニューです。前に聞いた人も、もう一度やってみましょう。こういうのは何回も何回も繰り返し勉強しながら力がついていくのです。
 
・・・・すぐに 「わかりました」 という人ほど、実は、「わかっていない」 ことが多いのです。
「わからない」 からこそ 「わかっていく」のです。 やはり 「続ける」 ことなのです。
 
 
 

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Posted by naka602 at 13:56 | TrackBack (0)


2008年12月19日
父のこと
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 今年の3月に79歳で亡くなった父は、元小学校教師で市教委同和教育部に入りました。私も元小学校教師で市教委人権教育室(同和教育部が改称)に入りました。父がそうしろとも言わないし、私がそうしたいとも思わなかったのに、そうなったのは運命のいたずらなのでしょうか。
 
 私が新任の頃、父はまだ現役で西宮で働いていました。これがまたやりにくいのです。家では教育のことや学校の事はほとんど話しませんでした。というか少し反抗的な態度もとっていました。
 父と教育のことを話したのは7.8年後、父が退職してからです。その時初めて、父がどんな教師だったのか、どんなことをしてきたのかを知るのです。びっくりしたことがいくつもありました。それは自分と同じような事を父も若い頃やっていたことや考えていることがほとんど同じだったのです。全然話をしたこともなかったのに、同じことがいくつもあったのです。親子の血は争えないというか・・・・本当に驚いてしまいました。
 
 前置きが長くなってしまいました。
昨日、ある方から喪中ハガキを頂きました。この方は私が市教委時代につながりのあったPTAの役員さんです。そのハガキにこう書いてありました。

「私たち姉妹が転校してきた春休みに、自宅まで担任の挨拶に来て下さった仲島先生(お父様)のお姿や笑顔は今でも鮮明に覚えています。母は今、天国でお礼を申しあげていると思います」
 
 そうやったんや、父はそんな家庭訪問をしていたんや・・・・・。
なんか感動していましました。
 
 
 実は、私も転校生には、「大丈夫ですよ」って事前に家庭訪問に行っていたのです。
そして今、元気塾でそんな家庭訪問を若い先生方に伝えているのです。

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Posted by naka602 at 07:14 | TrackBack (0)


2008年12月13日
「沖縄そば」が好きになっていく私
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 先ほど、沖縄から帰ってきました。
那覇空港を18:25に飛び立ち、西宮の自宅に帰ってきたのが21:15。所要時間2時間50分です。そう言えば1週間前に兵庫県北部の香美町に行った時は、香住駅を16:49に出て、自宅に帰ったのが20:15。所要時間3時間26分です。兵庫県内より、ナント沖縄の方が近いのです(笑) 
 
 今回の沖縄の講演スケジュール(12日)は、なかなか大変でした。
13:30嘉手納高校到着・・・・(高校生750名への進路講演会)
13:50講演スタート→→15:20講演終了。
15:20体育館からそのまますぐに車に乗り込み、読谷村の喜名小学校へ移動。
15:40読谷村立喜名小学校到着・・・・(文科省指定人権教育研究発表会)
15:50体育館に入り、
16:10講演スタート→→17:10講演終了。
17:20喜名小学校から一旦、残波岬のホテルに寄り、荷物を置いてすぐ
     読谷文化センターへ移動。
18:20読谷文化センター到着・・・・(一般向け子育て講演会)
18:30講演スタート→→20:00講演終了
 
 13:30〜20:00まで、ほぼぶっ通しの3連続講演でした。元気者の私もさすがに疲れました。でもそのあと、読谷のスタッフの方との飲み会があり、元気を取り戻しました(笑)
翌13日は読谷村から約1時間半の車移動で、与那原町の子育て講演会に行きました。
今回はけっこうハードな沖縄講演でした。
(※ ねっ、遊びに行っているのではなく、ちゃんと仕事をしに行っていたのです(笑))
 
 
(追伸) 
11日のお昼過ぎに那覇空港に着きましたが、気温はナント25度!すぐに冬用ジャケットとセーターを脱ぎました。講演の前日入りということで、担当者と会うのは明日なので、一人でダラダラと空港から出ると、ナントナントそこには沖縄キャリアセンターの神谷さんが立っていたのです。
「仲島先生、ようこそ沖縄へ・・・」
「えっ、なんで?会うのは明日なのに・・・・」
「多分この時間ぐらいに来られると思って、待っていました。会えてよかったです」
 
神谷さんは、会えるか会えないかわからないのに、わざわざ空港まで迎えに来て下さっていたのです。もうびっくり仰天です。そしてすっごく感動してしまいました。もうむちゃくちゃ嬉しかったですね。
「先生、お昼は食べましたか?」
「いえ、まだです・・・」
「では、おいしい沖縄そばを食べに行きましょう」
そして連れていってもらったのが、那覇市国場にある「すーまぬめぇ」という「沖縄そば屋」です。そこは沖縄らしい民家です。民家の中が「そば屋」になっているのです。雰囲気も味も最高!すごくおいしかったです。
 
 実は、3年前沖縄に講演に来て、一人で初めて「沖縄そば」を食べた時、
「なんじゃこれ?そばじゃないし、ラーメンでもない。変な麺類や。おいしくないわ」
と思ったのです。でも、その後沖縄の方に、何度かおいしい店に連れて行ってもらううちに、だんだん「沖縄そば」がおいしく感じるようになっていきました。
 与那原町の岡さんに連れて行ってもらった店は、那覇空港近くの「たから家」というお店です。ここの「沖縄そば」も最高です。そして「じゅーしー」という炊き込みご飯も最高!
今回も13日に岡さんと一緒に「たから家」に食べに行きました。
 
 本土の人は、あまり好きじゃないという「沖縄そば」らしいですが、
私はすっかり「沖縄そば」にハマってしまいました。
 
次の沖縄講演の予定は、来年の2月15日です。
へへへへ・・・・・また沖縄に行ってきま〜す!
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:12 | TrackBack (0)


2008年12月8日
熊本〜沖縄6日間
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 8日〜10日熊本県、11日〜13日沖縄県に出かけてきます。
ということでメール等の返信も出来ませんのでお許し下さい。
こういう時のためにモバイルパソコン・・・・・・・・・今回もダメでした(笑)
 
 また沖縄で遊ぶねんやろ・・・
いえいえ沖縄では4カ所で講演をするという忙しい日程です。
・・・と言いつつ、むちゃくちゃ楽しみですね。一昨日の沖縄は最高気温が25度だったそうです。日中はまだ半袖、朝夕だけ長袖にしようか迷うぐらいだそうです。そして滞在中の夜はずっと予約?でいっぱいです(笑) 地元の方と泡盛で一杯、これも楽しみです。
 では、行ってきます!
 
 
※7日は兵庫県北部の香美町香住に行ってきました。なんと雪が積もっていました。
実は、この町とは不思議な縁があるのです。17年前に、小3で社会の勉強をした時に、香住町の過疎化を危惧した子どもたちが町おこしのアイディアを書いた手紙を香住町役場に送りました。するとそれが新聞各紙に取り上げられ、当時の町長さんがわざわざ西宮の我が校を訪れることになったのです。そしてこの子たちが5年生の自然学校では香住に3泊もしたのです。それ以来、うちの学校と香住は繋がっていくのです。
その子たちはもう27歳26歳になっていますが、「香住はよかったなあ」って今も話してくれています。そんなエピソードも講演の最初にさせてもらいました。帰りには、泊まった民宿も見てきました。磯の屋さん、はまやさん、末広さん、あの時は本当にありがとうございました。

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Posted by naka602 at 10:01 | TrackBack (0)


2008年12月6日
人権フォーラムたかはま2008
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 12月5日、福井県高浜町 「人権フォーラムたかはま2008」 に参加してきました。
今年の高浜町の人権フォーラムは、なかなかおもしろい企画で行われました。
まず11月中に3人の講師による分科会です。
 17日 第1分科会 「同和問題」 講師・川口泰司さん
 19日 第2分科会 「子ども」 講師・仲島
 20日 第3分科会 「多文化共生」 講師・岩山仁さん
そして今回、この講師3人が集まって「ヒューマントーク」を繰り広げるという企画です。
 
1分科会の川口泰司さんは、明るくエネルギッシュに同和問題を語る若手のホープとして全国を走り回っておられます。現在は山口県人権啓発センター事務局長をされていますが、「歩く水平社宣言」として今、超有名な方です。
3分科会の岩山仁さんは、多民族共生人権教育センター理事として活動をしながら、コーチングのトレーナーとしてワークショップを行ったり、人材育成コンサルタントや大学の講師もされており、毎日多忙な生活をされています。いったいどれだけたくさんの人を支援しておられるのか、穏やかな表情からは想像の出来ない凄い方です。
 
 講師3人はこの日が初対面でしたが、高浜の駅に降り立った瞬間から、ペラペラしゃべり始め意気投合です。(実は、高浜に向かう同じ列車に乗っていたのに気づいていなかったのです(笑)) 会場では、一応打合せをしましたが、時間の流れだけで、あとは適当にしようということで、何が出るかわからないまま、いきなり本番を迎えます。
 
 でも、心配はいりませんでした。3人とも、「しゃべりがうまい」 というか「おしゃべり」が大好きです。会話はとぎれませんし、うまく繋がっていくのです。なかなかオモロイ対談でした。部落問題や多文化共生で大事なことや学校での子どもたちの課題を絡めて、「人権」について、元気なトークができたのではないかと思っています。(終了後3人とも「ええヒューマントークでしたね」と自画自賛ですわ(笑)いえ自己満足ですね(笑))
 よく行われるシンポジウムは、結局はシンポジストのミニ講演的になっていましたが、今回の高浜形式は、まさに型破りでしたね。これは「歩く水平社宣言」の川口泰司さんの発案ときいて、「さすが川口さんや」と思いましたね。
 
 帰りは、高浜駅発午後9時37分の最終列車です。東舞鶴までは3人が一緒でまたまたペラペラおしゃべり。東舞鶴で岩山さんが降り、そこから京都までは、私と川口さんとで約2時間一緒です。その2時間も2人はずっとしゃべり続けていました。(どんだけしゃべるねん!)川口さんは今30歳、私との年齢差は22歳。そんな異年齢でよく会話が持つなと思われるでしょうね。話の中身はほとんど「同和問題」でしたが、時には笑いながら、時には真剣に・・・いろんなことを話しました。ホンマええ勉強させてもらいました。彼はまだ30歳ですが、すごい人です。
 
 家に帰って、川口泰司さんの名刺の裏を見ると、やっぱり書いてありました。
 
   「人の世に熱あれ 人間に光あれ」

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Posted by naka602 at 00:44 | TrackBack (0)