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2014年12月29日
今年もありがとうございました。
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沖縄・西表島から帰ってきました。同じ沖縄といっても沖縄本島からはナント450kmも離れているのです。台湾まで200km弱ですから、沖縄本島よりも台湾に近い島ということになります。

3日間とも、この時期特有の天気で太陽は隠れたままでしたが、それでも
自然豊かな静かな所でゆっくり出来て、体も心もリフレッシュしてきました。
ホテルの近くにある上原小学校(全校生約50人)にも寄ってきました。
もちろん塀もないので自由に運動場にも入れるし、運動場の隅にあった地域の
少年野球チームの小屋は鍵もかけずに空きっぱなしでした。
島内には信号はたった2つしかありませんが、そのうちの一つはこの上原小学
校の前にあります。でもこれは子どもたちに信号の存在を教えるために設置し
てあるもので、実際には信号としての役目は果たしていません。
もう冬休み(こんなに暖かくても冬休みです(笑))に入っているので、子ども
たちの姿はなかったのですが、私も一度はこんな学校にも勤めてみたかったな
と思いました。



今年の最後に、
西表島からの帰りの石垣空港で、タブレットのWi-Fiに入ってきた長野県の
伊那小学校からの講演会の感想文を紹介したいと思います。

10秒の愛、
戸惑った時は 「たかが10秒されど10秒」 の精神でいこうと思います。

音読がめんどくさい我が子、いつもは夕食の支度をしながら聞いているのですが
フッと隣りで聞いてみようと思い、やってみたところ
「今日の音読は楽しかった!」 って。
それからは隣りでべったりと聞くようにしています。
「10分の愛」になっちゃっていますが、どうせなら楽しく宿題をしてくれた方
がいい!と思い、これからも続けていこうと思います。


10秒の愛、10分の愛、・・・・10年の愛  ですね。


今年もいい年でした。
みなさん、本当にありがとうございました。
よいお年を。



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Posted by naka602 at 12:50 | TrackBack (0)


2014年12月20日
元気塾オマケの会
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「元気が一番」塾は先月の第120回をもって終了したのですが、今夜は元気塾創設の頃のメンバーが中心のオマケの会(飲み会)でした。あの頃20代30代だった先生方は、今や30代40代になり、学校では中心的存在です。なかには指導主事や教頭になっている先生もおり多彩になりました。ホント嬉しい限りです。

30人ほどの先生方(1人は一般の人)一人ひとりに話をしてもらいましたが
想い出話に場は大盛り上がりです。 笑う笑う、食べる食べる、飲む飲む。
そしてみんながつながっていきました。
元気塾で大事にしてきた 「つながりと感動」 がここでもありました。
3時間がアッという間でした。

大野先生、千歳先生、大川先生、岡先生、桔梗先生が幹事をしてくれました。
年末の忙しい時期に本当にありがとうございました。
記念品もいろいろいただきましたが、一番感動したのは「記念タオル」です。
よく自治会や旅館でもらえるような白いタオルですが、
そこにちゃんと字が入っています。
「子どもの未来への応援団 元気が一番塾 拍手を1回!」

それが大きな段ボールに入っています。
なんとその数100本です。
100本のタオルのプレゼントです。
「えっ100本、多過ぎや(笑)」
もう大笑いです。
もう感動、感動、感動で笑いが止まりません。
さすが元気塾で学んだ先生たちです。私の感動のツボを知っています。
ホンマ大ウケですわ(笑)
一応、ほかにも花や色紙や表彰状も頂いたのですが、タオルの感動に圧倒
されました。
ホンマみなさん、ありがとうございました。

こんな歌も最後に歌ってくれました。
私の大好きな「♪あーよかった」の替え歌です。

  ♪あーよかった(仲島先生大好きバージョン)

先生と初めて出会ってから どれくらいの元気をもらっただろうね
大きいものや小さいもの 気づかずにいたものもあっただろうね
言葉や言葉じゃないもの 涙やケンカの後の朝日の色
教師の道は けっして平らではなかったけれど
あーよかったな 先生がいて あーよかったな 仲間がいて
あーよかったな 一緒にいて あーよかったな 元気が出て

教師を続けていくあなたに 一つだけさせてほしいお話
「もしもうつむいて倒れかけたら 仲島先生のそばに集まればいいよ」
There is nothing for us to lose.
Sure I can say.I can say. Nobody knows what it means.
"hung in there." but I'll be right beside you from now on. So on
あーよかったな 先生がいて あーよかったな 仲間がいて
あーよかったな 一緒にいて あーよかったな 元気が出て


その場では笑って聴いていましたが、
家に帰ってから、こうやって字に書いていると涙が出てきます。
ホント感謝ですわ。

私も会の最後に少しだけ話をしましたが、
最後の最後は 「絵本の読み聞かせ」 で締めくくりました。
「ひゃくおくまんのサンタクロース」
(作・もたいひろこ 絵・マリカ・マイヤラ)
絵本の内容は読んでからのお楽しみですが、
私はこの絵本に感動し、サンタクロースと元気塾を重ねてしまいました。



「クラスの40人の子どもを育てることから
 40人の先生を育てて、1600人の子どもを元気にさせたい」

そう思って始めた元気塾ですが、その夢が実現しているようです。

10年間の元気塾の修了です。



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Posted by naka602 at 05:43 | TrackBack (0)


2014年12月19日
仕事一本の沖縄でした
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3日間の沖縄出張から帰ってきました。ちょうど日本全国が寒波に襲われていた時です。さすがの沖縄も今年一番の寒さになり、沖縄の人たちはダウンを着ている人が多かったです。みなさん「寒い寒い」と言われていましたが、13度もあるので私はセーターで十分でした(笑)

今回は前日の夕方の飛行機で沖縄入りして、翌日仕事をして、翌朝お昼の
飛行機で帰るという「仕事一本」の日程でした(笑)
通常は、朝一番の飛行機に乗って、最終日は夜の飛行機で帰るという沖縄滞在を
より長くする日程でしたので、今回は異例です(笑)今回は真面目でした(笑)
それでも2泊しましたので、夜は2晩とも通常通り沖縄の人と「泡盛で乾杯」
でした(笑)

到着した夜に「泡盛で乾杯」している最中に1本の電話がかかってきました。
那覇国際高校の校長先生からでした。
「明日の陽明高校の講演は午後でしたよね。午前中は空いてますよね。
 突然で悪いけど、朝うちの学校へ来てくれないかな。8時45分に来れる?」
そんな電話でした。いつもお世話になっている校長先生なので、
「了解で〜す!8時45分に行きま〜す」
と軽く答えましたが、何をするかはまったく聞かされないままでした(笑)

そして翌朝、8時45分に学校へ行くと、校長室で待機です。
「仲島先生、ちょっと待ってね。今クラスを探しているから・・」
と言って、今日出張の先生や休んでいる先生のクラスを確認していました。
すると9時になって教頭先生から
「休んでいる先生はいないけど、1年2組の授業は組み替えられますよ」
と報告があり、私はそのまま1年2組の生徒がいる教室に入っていきます。
そして9時5分から突然、仲島の特別授業が始まります。
何をするか何時までか、それも聞かされていません。
「何でもいいから、10時まで何か話してやってください」
という校長先生の指示で授業が始まりました。
私もビックリですが、生徒はもっとビックリです(笑)
そして55分間の突然の授業が始まりました。
私は時計を見つつ、普段話していることを適当に組み立てながら55分の授業
をしていきました。でもなんとかできるものです(笑)長い間教師をしていると
こんなこともありましたからね。

終了後の生徒の感想です。
「今回、いきなり講話が始まり、正直驚きましたが、内容はとても面白く、そして深かったため、60分弱の時間ではとても少ないように感じました。小学校の生徒たちの純粋な行動や思考にも驚かされるとともに、自分にもそのような時代があったのかと不思議なくらいでした。人生においての人との関わりや人に対する自分の行動をどうしていくかをとても考えさせられました」(1年2組○○○○)


そして午後からは、本番の陽明高校の講演会でした。
90分のフル講演でしたが、700名の生徒たちが一生懸命に聞いてくれました。
途中の「♪スマイル」では、手話をしながら聞いている生徒たち(福祉コース)
もいてびっくりしました。
終了後、離島から来ている生徒が私のところまで話をしに来てくれました。
教室で感想も書くけど「直接先生に話をしたかった」って来てくれたのです。
夜には、ある生徒から
「最近は辛くて死んだ方が楽かなと思っていましたが、先生の話を聞いて、もっと前向きに頑張って生きていこうと思えました。これから少しずつでも自分を変えていきたいと思います。陽明高校で講演してくれたことを心から感謝しています」
そんなメールももらいました。

なんか嬉しくて嬉しくて・・・
ここに来て本当によかった、って思う一日でした。


これまで沖縄に何度も来ていますが、今回初めて「沖縄の海」を見ずに
帰りました。ホンマ仕事一本の2泊3日でした。



次回の沖縄の予定は、プライベートで12月26日〜28日 西表島
仕事で1月31日〜2月4日(3本の仕事とタイガースキャンプ視察)
また行きます(笑)




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Posted by naka602 at 08:21 | TrackBack (0)


2014年12月16日
今日から沖縄へ
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今日から沖縄へ行ってきます。もちろん仕事です(笑) 今回は沖縄県立陽明高校で全校生への進路講演会です。沖縄の高校での講演会はこれで5校目です。


ここ数日は、小林晶子先生のことで少し落ち込みましたが、もう大丈夫です。
元気を出さないと、天国の小林先生から
「こら!何してるんや! 仲島君は元気が一番や!」
って叱られそうです。

もうホンマ大丈夫です。
だって沖縄ですよ(笑)
いくら仕事とはいえ、沖縄の空気に触れるだけで元気が出ますわ(笑)
本土はまた寒波がやってきて寒さが厳しくなりますが、そんな所から
抜け出して、一人沖縄へ行けるのです。
この時期みなさん忙しいのに、私だけいい思いをしてすみません(笑)


沖縄講演は今回で28回目になります。
ホンマよく来ています。
2泊3日の日程ですが、もちろん夜は2泊とも沖縄の人と泡盛で乾杯です(笑)
あー楽しみ、仕事やのに(笑)

それと偶然にも、NHKBSプレミアムの火野正平「日本縦断こころ旅」も
今週から沖縄へ入りました。それもなんかうれしいのです。


では、行ってきま〜す。



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Posted by naka602 at 00:32 | TrackBack (0)


2014年12月14日
頑張ります
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小林晶子先生とお別れをしてきました。お顔を拝見すると、とてもきれいで穏やかな表情をされていて、なんか安心しました。でも端々にはキリッとした表情も見えて、最期までホント小林先生らしいなあって感心してしまいました。

「私は大丈夫よ、心配しないで。それよりあなたが頑張らなくっちゃね」

そんな声をかけてもらった気がしました。
小林先生、天国ではゆっくり体を休めてくださいね。


私、頑張ります。




追伸です。
上のブログを書いてから、1時間後です。
小林先生のご親族の方から、思いがけないメールが届きました。
もう涙は出尽くしたと思ったのに、また涙が溢れてきました。


小林晶子の親族の者です。
本日は、お忙しい中、通夜へ参列いただき、ありがとうございました。
先月偶然にも仲島様の過去のブログで叔母の退任式の記事をみました。
その際、叔母に
『仲島先生とおっしゃる方を知っている?ブログに書いてあったの』
と伝えると
『仲島正教!!ちがう?』と、目を開けるのもやっとであったはずの叔母が
即答しました。
『講演してるのよ。あの子の話しはホントおもろいねん。阪神好きでなぁ…』
と、息を切らしなから、仲島様との思い出を語っていました。
今しがた、控え室で叔母の亡骸を前にフトその瞬間を想いだし、
仲島様のブログを開けた次第です。
通夜のことが書いてあり、斎場でお逢いすることはできませんでしたが、
叔母は仲島様について『いい子よ。ホントにいい子…』と話していましたこと、
伝えたくメールさせていただきました。
不躾なメールで失礼いたしました。



私、頑張ります!


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Posted by naka602 at 22:33 | TrackBack (0)


2014年12月12日
悲しくて涙が止まりません
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今日は尼崎市今北総合センターの人権講演会でした。車で行く途中に、JR立花近くの小林晶子先生の自宅の前を通ります。
「小林先生どうされているかな?大丈夫かな?」最近体調が悪いと聞いていたので心配でそんなことを思いながら通り過ぎ、講演会場へ向かいました。

講演会が終わり、帰りの車の中で携帯を見ると、着信、留守電、メールがたくさん入っていました。嫌な予感がしました。
塩川先生からの留守電 「ナカジマ君、小林アッコさんが亡くなったんや・・」
しばらく運転ができませんでした。
大榎先生との電話では、声が出なくなりました。

悲しくて涙が止まりません。



小林先生を慕う先生たちは、みんな「自分が一番かわいがってもらった」
と感じていると思いますが、多分一番かわいがってもらったのは私です。
ことあるごとに、いつも声をかけていただき、力をもらっていました。


⇒2008年9月2日のブログ「小林晶子校長の退職」

 午前中、高木小学校に、小林晶子校長の退任式に行ってきました。
本当なら小林先生は今年度末で定年退職だったのに、病気の治療のため、やむなく途中退職の道を選ばれました。体調はずっと悪かったようですが、ここ2ヶ月間まさに命を削って働き、しっかりと道をつくっての退職でした。
何でもとことん頑張る先生で、最後の一年をこう過ごす、こんな学校にする、という計画もあったでしょうに、あと2学期間を残しての無念のリタイヤだと思います。
 子どもたちへのあいさつでは、はじめは気持ちを抑え、冷静に話しておられましたが、「本当はあなたたちの運動会を見たかった、6年生に卒業証書を渡したかった、6年生のみなさん、ごめんね・・・・」と途中からは涙声になっていました。子どもたち、PTAの方、そして私自身も涙をこらえることができませんでした。

 小林先生との出会いは、教師1年目からです。私は臨時講師で今津小に勤めていたのですが、出張で今津に来られた小林先生は私を見つけると「あなたが仲島さんね、○○先生から聞いているよ」と気さくに話しかけてくださったのです。そして2年目、正規採用となった私は段上西小学校に赴任しますが、ここに小林先生がおられたのです。そして私は2年2組の担任となりますが、このクラスを1年生の時に担任していたのが小林先生です。小林学級をそのまま私が受け継いだのです。(なんという縁でしょう)
 この2年2組は、とってもいいクラスになっていきます。私は自分で「なかなかやるやん」と思っていました。でもそれが自分の力ではなかったのが、後でわかるのです。実は小林先生が裏でお母さんたちに声をいっぱいかけてくださっていたのです。「今度の若い先生のこと、お願いね。お母さんたちがしっかり支えてあげてよ」っていつも言ってもらっていたのです。
 そして3年目、今度は同じ学年になり、小林先生に直接いろんなことを教えていただくのです。授業のこと、学級づくりのこと、学年通信の書き方・・・、そして何より、「子どもを信じる」ということを教えていただいたのです。教師が教え導くのではなく、子どもが自分自身で歩けるようにする、そんな指導が大事だとたたきこまれました。

 そして、それから20数年が経ち、私が市教委を辞める時に私の最後の上司だったのが小林先生(学校教育部長)でした。そうなのです、小林先生が私の最初と最後を見守って下さったのです。(ホンマなんという縁でしょう) 
 私が辞めるのを同僚に相談した時、みんな 「気持ちはよくわかるが、辞めてはいけない」 と言いましたが、一人だけ違うことを言いました。それが小林先生でした。
「そう、わかったわ。チャレンジしたらいいよ。あなたならできるよ。応援するよ」
と言ってくださったのです。これは大きな励みと同時に、私の大きな自信にもなりました。

 そんな小林先生が病に倒れる・・・・。頭はきれるし、いつもシャキシャキと動き、本当に元気でカッコイイ先生だったのに・・・・。本当に信じることができません。(小林先生自身が一番信じられないことだったと思います)
どうか小林先生、しっかり治療してまた元気な姿を見せてくださいね。
 
 小林先生、37年間の教師生活本当にお疲れ様でした。
 そして、ありがとうございました。
 小林先生のご回復を心から祈っています。




あの日から6年間の闘病生活でした。
享年66歳。
ご冥福をお祈りします。



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Posted by naka602 at 23:06 | TrackBack (0)


2014年12月11日
憧れの工事現場
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先日、尼崎市教育委員会の「教育委員の視察」として、塚口中学校の校舎新築現場に行ってきました。ヘルメットを被って、足場をつたいながら4階まで登っていきました。


工事現場といえば、子どもの頃の憧れでした(笑)
私は子どもの頃は大阪市内に住んでいたのですが、工事現場は私たち子どもに
とっては、本当に魅力のある場所でした(笑)
「見たことのない重機や機械が動いている。大きなものを担いで足場を軽々と
歩いている職人さん。そして毎日変わっていく建物の様子。」
興味津々でそんな工事現場を見ながら
「一度、中に入ってみたい」 そう思っていた子ども時代です。

ある日、工事がお休みでした。
私たちワル仲間は「今だ、入ってみよう」 と工事現場の中に入っていきました。
足場は木で出来ていてフワリとしています。
これがまたスリルがあって気持ちがいいのです(笑)まるで遊園地のようで
めっちゃ楽しいのです。ホンマ楽しくて楽しくて・・・・。

でも悪夢が待っていたのです。
見つかったのです。それがナントうちの母親にです。
母は、働いているのでいつもは昼間はいないのです。
なのに、その日はなぜか早く帰ってきたのです。ホンマ運が悪い。
その後、私はめちゃくちゃ怒られました。
多分これまでの58年間の人生でも、一番怒られた出来事だと思います。
ズボンもパンツも脱がされて、お尻をピシャリ!とやられました(涙)


あれから約50年、ついに堂々と工事現場に入ることが出来ました(笑)
足場は、今は木ではなく鉄でしっかりしていますが、細い足場をつたって4階
まで登って行くのはワクワクしました(笑) 
これや!憧れていたのは(笑)

そんな楽しい「教育委員の視察」でした。


※教育委員の仕事ももちろんしていましたよ(笑)
 校舎の設計や配置にはうるさい私です。子どもの動線や教育活動のやりやすさ
 を常に訴え、うるさがられている仲島教育委員です(笑)
 現場監督や役所の人にたくさん説明をしていただきました。
 大変勉強になった視察でした。



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Posted by naka602 at 08:24 | TrackBack (0)


2014年12月6日
電車からポットスチルが見えます
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ここ10年間、NHK朝ドラを見るようになり、自称「朝ドラ評論家」の私ですが、今朝の「マッサン」では、ようやくウイスキー作りが始まり、京都・山崎に工場がオープンしました。やっとです、ここまで長く引っ張り過ぎ(笑) 
でも毎朝エリーの笑顔に癒されていた私です(笑)

※ミニ解説・・・朝ドラ「マッサン」は、ニッカウヰスキーの創業者の物語です。
そのニッカを創業する前は、サントリーの社員で日本初のウイスキーを作った人
です。その場所が京都の山崎です。JRがすぐ横を通り、阪急電車からも新幹線
からも見えているサントリー山崎工場です。その初代工場長が「マッサン」です。
エリーはマッサンの妻でスコットランド人です。(当時は珍しい国際結婚)


今朝の放送で、山崎工場に「ポットスチル(蒸溜釜)」が設置される場面が
ありましたが、頑固な職人佐川満男が作ったポットスチルがついに日の目を
見たのです。感動のシーンでした。でもそれだけが感動の理由ではありません。

実は10日前に、京都からの帰りのJRの中から、いつも見ている山崎工場の風景
の中に、あの「ポットスチル」を発見したのです。今まで何度も見ていた山崎工
場の風景ですが、まったく気づかずにいました。ドラマの中で「ポットスチル」
の形を見ていなかったら、これからもずっと気づかなかったと思います。
これは朝ドラを見たからこその発見でしょう(笑)
あれがマッサンと佐川満男が作ったあの「ポットスチル」です!
ホンマ感動です。

「マッサン」を見ている方は、今度JR京都線に乗った時はぜひ見つけて下さい。
場所はJR山崎駅の大阪寄りの線路際のすぐ前です。北側の窓から目の前にあの
「ポットスチル」が飛び込んできます。

あー「朝ドラ」見ている人しか盛り上がらないブログでした。
すみません。


※オマケの話
今日もまた京都(京丹波町)に行ってきたのですが、
今日の講演会では、足が痛くて素早く動けませんでした。
きっと昨日の後遺症です(笑)
昨日は、兵庫教育大学で学生への特別講義でしたが、今までは「授業づくり」
とか「学級づくり」とか「人権教育」とか真面目な講義ばかりだったのですが、
今回初めて実技研修をしました。
「学級で出来る楽しいゲームやダンス」ということで、
私も体操服を着ての実技です。
ジャージを着るとなぜかスイッチが入る私です(笑)
体育科卒業の私は、ジャージとシューズには体が反応してしまうのです(笑)
なんと実技の途中からは、私だけが半袖になり、動く動く(笑)
大きな声も出すし、学生にも負けない動きです(笑)
きっと学生は驚いているでしょう。58歳とは思えないって(笑)

そのツケが今日やってきました。
身体が痛い、筋肉痛、足がつりそう(涙)
でも、すぐに体が痛くなるのはまだまだ若い証拠かな(笑)



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Posted by naka602 at 21:10 | TrackBack (0)


2014年12月5日
中島 オリックス入り
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西武からアスレチックスへ行き、再び日本球界に復帰の中島のオリックス入りが決定的となりました。ホッとした気持ちとちょっとだけ残念な気持ちが交錯しています。

阪神タイガースは、これまで若手を育てることより、目の前の大物をFAで
獲ることを優先してきました。少し前なら、若手の狩野が育ってきた時に
城島を獲りましたし、若い元気な外野手や内野手がいるにもかかわらず、
福留、西岡を獲りました。今年も新人梅野を結局我慢して使うこともできずに
FAの鶴岡を起用しました。若手の芽をいつも摘み取るフロントや首脳陣に
腹が立ちます。ホンマ目先のことばかりで5年先を見る力がないのです!

今オフは、タイガースでレギュラーを張ってきた唯一の生え抜きの鳥谷が、
大リーグに行くとなるとまたFAで中島を獲ろうとしていました。
北條や西田、陽川らの期待の若手内野手を育てればいいのに・・・。

そういう意味では中島のオリックス入りは、阪神の若手にとっては本当に
よかったと思います。ぜひ第2の鳥谷を育ててほしいと思います。
ここ2,3年我慢して使えばきっと大きく成長すると思うし、そんな選手を
ファンはすごく応援しますからね。
なので「中島オリックス入り」はホッとしています。


ただ、中島が獲得できなくて、ちょっとだけ残念な気持ちもあります。
それは、大好きなタイガースのユニホームの背中に「NAKAJIMA」の
文字が入るかもしれないという期待が消えたということです。
背中に「NAKAJIMA」の文字が入ったユニホームが着れるのは
私にとれば、めちゃめちゃ嬉しいことですからね(笑)

以前「中島、タイガース入団が決定的」の報道があった時、
「よしっ!ホーム用もビジター用もユニホームを買うぞ!」って
意気込んでいましたし、仕事用のタイガースブレザーも「NAKAJIMA仕様」を
購入しようと決めていました。
なので「中島オリックス入り」はちょっと残念です(笑)


来年はヤングタイガースに期待したいと思います。



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Posted by naka602 at 08:30 | TrackBack (0)


2014年12月3日
ゆずちゃん
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明日(4日)から「神戸ルミナリエ」が始まります。あの阪神大震災があった1995年から始まり、今回で20回目です。そうあれから20年が経つのです。

一昨日、西宮市家庭教育振興市民会議がありました。この市民会議は市内の
家庭教育関係団体の代表が集まり、西宮市の家庭教育について考えるもので
1981年に発足しました。現在、その議長を私がさせていただいています。

毎回、会議の最後は議長である私が「まとめの挨拶」をするのですが、
ここのところ「まとめの挨拶」は「絵本の読み聞かせ」をしています。
そうです、各種団体の代表である大人に向けての読み聞かせです。

今回の絵本は「ゆずちゃん」(作・肥田美代子 絵・石倉欣二 ポプラ社)
阪神大震災を題材にした絵本です。
あと1か月で、あの日1.17がやってきます。
そんなこともあり、この絵本を選びました。

辛くて悲しい話ですが、私は淡々と読んでいきました。
昨夜も一応読む練習はしてきましたので、スラスラと読み進めていきました。
なのになのに、
最後のふうせんを飛ばす場面で、急に読めなくなってしまいました。
不覚にも涙が出て読めないのです。
今までも何度も読んできた絵本です。
これまで一度もそんなことはなかったのに、なぜか今回は読めなかったのです。


あとで考えてみると涙の伏線はありました。
実はこの会議の冒頭でも阪神大震災のことを描いた人権冊子「じしんがおきた日」
を紹介していたのです。(※西宮市の2014年版人権冊子NO.15)
この人権冊子は、震災当時私が勤めていた西宮・平木小の4年だった廣瀬智恵ちゃ
んが大人になってから作った絵本を冊子にしたものです。
多分、この智恵ちゃんの絵本と「ゆずちゃん」が重なってしまったのでしょう。


絵本の読み聞かせで泣いてしまったのは、実は2度目です。
1度目はもう36年前の新任教師(22歳)の時です。
先生になって初めて買った絵本「火 (作・斎藤隆介)」を、
教室で3年生の子どもたちに読みながら泣いてしまったのです。
今回は36年ぶりの涙になってしまいました。


「神戸ルミナリエ」1995年の第1回目は行ってきましたが、それ以降は
一度も行っていません。人が多すぎです(笑)

あれから20年です。



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Posted by naka602 at 08:12 | TrackBack (0)