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2008年11月30日
4年ぶりの全同教
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 昨日、4年ぶりに全同教(全国人権・同和教育研究大会)に奈良に行ってきました。毎年全国から1万人以上の参加者がありますが、この研究大会のスゴイ点は、開会行事からもうすでに超満員ということです。分科会も同様です。開始時刻に行くと、もう席がないのです。「もっと広い会場を用意しろ」と文句が出ることもあるのですが、しっかり話を聴きたい時は、早く会場に行って席を確保するのが、全同教の常識なのです。それくらい熱気あふれる研究会なのです。差別をなくし、一人ひとりが笑顔で幸せな人生を送るために、毎回熱い論議をかわします。その雰囲気になんとも感動し、元気が出るのです。たぶん毎年こんなにたくさんの人が集まるのはそのせいでしょう。私も4年ぶりにその雰囲気をまた味わいました。
「うーんやっぱり全同教はええわ」
 
 そして同志にも会うことができます。昨日は一つの分科会だけで、福岡の方に、三重の方、そして奈良の方に淡路島の方とも、久しぶりの再会に笑顔の花が咲きました。普段あまり会わない西宮の方とも全同教で出会いました。夜、一緒に飲んでいると、隣の方は鹿児島から来られていたのですが、話していてびっくりです。なんと一昨日私が行った鹿児島県出水市が出身だという方でした。荘小学校のことで話が盛り上がってしまいました。
「うーんやっぱり全同教はええわ」
 
 来年の全同教は三重県、再来年は佐賀県で開催です。
みなさんも、ぜひ一度は全同教に参加してみてくださいね。
 

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2008年11月29日
ええ親子です
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 同じ学校にいると、兄妹を担任することがあります。
20数年前、お兄ちゃんを担任した後、妹を担任したことがあります。そしてその頃、弟が生まれました。その一番下の弟は、担任しなかったのですが、いつしか私はその子を「コウちゃん」と呼び、その子は私を「センセイ」と呼ぶようになりました。私の家にも遊びに来るようになりました。もうすっかり担任気分です(笑)
その3兄弟も今は36歳、33歳、25歳になりました。
 
 3日ほど前、その一番下の弟からメールが入りました。
「センセイ、今度鹿児島に行くんでしょ。母が空港に行くって言ってましたよ」
 
 昨日は鹿児島県出水市荘小学校の文科省指定の人権教育研究発表会でした。
その帰り、鹿児島空港に着くと、手にいっぱいのお土産を持ったお母さんが待っていて下さいました。
「先生、お久しぶりです。子どもたちがいつもお世話になっています。これ鹿児島の名産物です。重いけど持って帰ってくださいね」
紙袋の中には、薩摩あげをはじめとして、鹿児島のおいしい物がいっぱい入っていました。うーん確かに重い!でもホントうれしいお土産をいただきました。
 
「来年早々に西宮に遊びに行きます。3人の子どもたちが呼んでくれたので・・・。孫の世話もさせてもらいますわ」
とニコニコ話されました。
「お母さん、ホンマええ3人兄弟に恵まれてよかったねぇ。お母さん、幸せやなあ」
「いやー、それは先生のおかげです」
「なに言うてんのん。それはお母さんがうまく育てたからやで・・・」
とお互いにほめ合いです(笑)
 
 
 実は、この3人兄弟とお母さんには、つらい過去がありました。ここでは書けない苦労がいっぱいありました。だからこそ、3兄弟はとっても仲よしだし、お母さんをすごく大事にしています。そして仲間を大事にしています。
 お兄ちゃんの結婚式の時も、妹の結婚式の時も、感動的でした。あの時のお母さんの涙も忘れることはできません。いろいろあったけど、本当に温かい家族なのです。ええ親子なのです。
 
 
 出発前で、たった15分ほどしか話が出来ませんでしたが、そのお母さんの優しい気持ちが伝わる温かい時間でした。わざわざ家から空港まで来てくださって、本当にありがとうございました。
「センセイ、2月の地元での講演に、お兄ちゃんが行くって言ってましたよ」
「そうやねん、この前、兄ちゃんから連絡が入ったわ」
 
そんな会話をあとに鹿児島を飛び立ちました。
 

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Posted by naka602 at 08:47 | TrackBack (0)


2008年11月26日
「阪急西宮ガーデンズ」 オープン
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 今日から私の家のすぐ裏に、凄いショッピングモールがオープンしました。
「阪急西宮ガーデンズ」・・・西日本最大の店舗面積をもつ大型ショッピングセンターです。今日のオープンには早朝から1500人の行列が出来、開店時間を早めたようです。中には、阪急百貨店とはじめとして、ロフトやユニクロ、大型書店に大型電気店、スーパーイズミや、そして300近くの専門店、東京からの進出や大阪や神戸にしかない高級店も出店しています。飲食店も充実していて、普段着では入りにくい店もあります。スカイガーデンではデートもできそうです。そして最上階には12スクリーンの映画館もあるのです。とんでもないショッピングセンターです。
 
 実は今日のオープンの前に、地元の人には先週からプレオープンしていました。オープン前に私も入ったのですが、あまりの大きさに驚くばかりです。私の感覚では、外国のショッピングモールのような感じです。このニオイは外国のニオイです。なんかいい感じの香水の薫りが漂い、粋な音楽がかかり、オシャレな店がいっぱいあって・・・・ここは別世界ですわ、家からたった3分で来るようなところではありませんわ。
 
 私の家は、阪急西宮北口駅から徒歩8分。西宮北口駅と我が家の間には「西宮球場」があり、球場を回り込むようにして家に帰っていました。
その西宮球場をつぶし、その跡地に「西宮ガーデンズ」が出来たのです。つまり、西宮北口駅→「西宮ガーデンズ」→自宅 という経路になったのです。なんと「西宮ガーデンズ」が通り道です。駅から直結しているので、雨にも濡れません。「西宮ガーデンズ」から出て、最後の3分ほど傘をさせばもう自宅です。なんて便利なんや。
 
いやーホントびっくりしています。新聞にも大きく出ていますし、その写真の端には我が家もちゃんと写っています。こんな近くにこんなものがあっていいのかなあって思いますね。
5分で映画館に行けるのは、アカンやろ。映画館ってオシャレな格好で気合いを入れて行くもんやと思っていたのに・・・ちょっと行ってくるわ、の感覚で行けるのはアカンやろ。・・・なんか戸惑う事ばかりです。
 
これはホンマおめでたいことなのでしょう。きっと西宮のためにいいことなのでしょう。
 
でもでもでも・・・本当は心配もいっぱいあります。西宮にこんな大きなものをつくって、果たしてここでやっていけるのだろうか?はじめはイイとして、5年後どうなっているのだろうか?多くの店が撤退していないだろうか?やっぱり西宮は大阪や神戸とは違うのです。そんなに集客はないと思いますけどね。大丈夫かな?
それに、このオープンで、西宮北口駅の北側にある「アクタ西宮」はつぶれはしないか心配です。「アクタ西宮」にはあの阪神大震災で倒壊した「北口市場」の店をはじめとして、北口の復興のために再開発した所です。地元の人がまた苦しむことになります。「共倒れ」することだけは避けてほしいし、うまく共存することを祈るばかりです。
 
今、西宮北口界隈は、大きく様変わりしています。
「いい方向に行きますように!」 

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2008年11月20日
その「わざわざ」に感動
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 19日〜20日と、福井県高浜町、長野県上田市に行ってきました。福井ではナント「雪さん」と出会いました(おー寒!) そんな中、人の「わざわざ」に心が温かくなりました。
 
 福井県に行くと、つい「ちりとてちん」の話をしてしまう私ですが講演後、地元の小学校の先生が、私の所に来てくださり、
「先生がちりとてちんの大ファンと知って、こんなプレゼントを用意しました」
紙袋を開けると、ナントナントあのちりとてちんの幟(のぼり)です。小浜の街のあちこちに飾ってあった幟、それも新品です。
「わぁーすごい!実は5月に小浜に行った時に、街にはためいている幟を見て、1本ほしいなあと思っていたんですよ。古いのを1本盗りたいなあと思ったくらいですよ(笑)」
そんな私の心の中を見透かしたように、その幟をわざわざ取り寄せ、わざわざ講演会に持って来て下さったのです。もうムチャ感動でした。瀧本先生、本当にありがとうございました。
(※先日、ちりとてちんの扇子もゲットしましたし、我が家には「ちりとてちんグッズ」がいろいろそろっています(笑) この幟は次回の元気塾で披露します)
 
 その福井県高浜駅を出たのが、午後9時37分、ここから普通列車を4本乗り継いで今夜の宿泊地京都まで行きました。(翌早朝、ここから長野に向かいます)
京都駅に着いた時にはもう0時を過ぎていました。「あー疲れた」と思いながらチェックインすると、ホテルマンから、「お預かりものがございます」 と言われ、1通の手紙とお寿司とお酒が手渡されました。封書を開けると、そこには今回の仕事の担当の木佐さん(潟Vステムブレーン社員)からの直筆の温かいメッセージがありました。
「講演そしてしんどい移動でお疲れ様です。・・・・ゆっくりお休みください・・・・・・・・」
そうなのです木佐さんが、京都のホテルまで「わざわざ」持ってきてくれていたのです。彼の家の方向とは逆のはずです。そんな心遣いにホント感激です。木佐さんは私の年齢の半分くらいの若手社員ですが、その「わざわざ」に本当に感動してしまいました。ありがとう木佐さん!
 
 長野県上田市では、PTA担当の山井さんが首を長くして待っていて下さいました。半年前から温かいメールをいただいていましたし、拙著も細かいところまでしっかり読んでいてくださいました。本当に光栄なことです。そして講演も無事終了し、山井さんが上田駅の改札口まで送ってくださったのです。「こんな所まですみません」と言い山井さんとお別れし、篠ノ井行きのホームに立っていると、階段の方から一人の男性が息を切らして走って来られました。先ほど学校でお別れしたはずのPTA副会長さんです。
「どうされたのですか?」
「いえ、もう一度お礼が言いたくて・・・・『ありがとうございました!』」
と右手でしっかりと握手をしました。
でも左手には入場券が・・・。もう一度ありがとうを言うために、わざわざ入場券まで買って、ホームまで来てくださったんだと思うと、申し訳ないなと思うと同時にそのお気持ちがすごくうれしくて感動してしまいました。佐々木さん、本当にありがとうございました。
 
 
そんな みなさんの「わざわざ」 に感動です。元気をいただいています。
・・・・・・・・・本当に幸せ者の私です。

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Posted by naka602 at 06:49 | TrackBack (0)


2008年11月15日
同和問題はまだ解決していない
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 今日の元気塾では、「同和問題」について、たっぷりと2時間語らせてもらいました。いつもと違い、硬派の元気塾でしたが、30名の先生方の真剣さも伝わってきて、本当にうれしく思いました。
 
「人は、さびしい面、弱い面を誰でも引きずっている。
 普段、偉そうに語る自分にも差別心がある。
    でも、それでいいのか?
       人間として、その生き方でいいのか?
    そんな自分をふり返り 
          自分を磨いていく
    そんな自分が、人間になっていく営み
          それが人権教育ではないだろうか (仲島) 」
 
以前、ムラのお母さんからこんなことを言われたことがあります。
「差別は教師がつくってきたんですよ」
この言葉が私の胸に突き刺さりました。
 
同和教育から人権教育という流れの中で、同和問題はもうなくなった、という風潮や、それにともなう教師の意識低下が心配されています。確かに以前よりはずっとずっとよくなりました。でもまだ部落差別は厳然と残っています。だからこそ、今一度同和問題を勉強してほしいのです。
 
今日は、その基礎知識をしっかり話しました。
今なお残る差別の実態、部落史の見直しの意味、なぜ解放令後「差別と貧困」になっていったのか、水平社のこと、西光万吉、オールロマンス事件、同対法・地対法・地対財特法、教科書無償化、統一応募用紙、今日も机にあの子がいない、寝た子を起こすな論、逆差別、差別のばらまき、識字学級、校外学級、差別の氷山、全同教、解放同盟・全解連・同和会、同和地区と対象地域、狭山裁判、地名総監・・・等、同和問題に関わる出来事や取り組み等を次から次へと話していきました。
そして最後に、その同和問題を解決するために、今、同和教育を人権教育に再構築して進めていること、今学級で何をすべきかを話しました。
 
★今なお残る差別の現実を前に、差別に負けない力、そしてそれを支える集団を育てるために自分に出来ることを一つ一つ大切にしていきたい。
★今まで何度か仲島先生の話を聞いてきて、「寝た子をおこすな」的な考えだった自分が、変わってきました。でも今日はまだまだ出来ていない自分を見直すことができました。何度も考え直さなければならない弱い自分が少しずつでも感覚的に本物になっていくようにがんばりたいです。
★「教師自身が差別者だ」ということを胸にもちながら、クラスの子、学校、地域の氷山を溶かしていきたいと思います!
★今日の板書の紙が、一目で同和教育の歴史や時間の流れがわかるようになっていて、とても理解しやすかったです。
★今まで、正直なところ、部落差別の話は何となく聞いただけで、「起きていない」自分でした。来年から教師として、子どもたちの前に立つ時の責任と教育の力の大きさを常に感じながら、日々学んでいかないといけないと思いました。今回の講義をうけて、知らないことの罪を感じました。
★今年から元気塾に参加してきましたが、仲島先生の教育の中心にあるものがわかったような気がします。同和問題ということで、難しい内容なのかと思いましたが、いい話をたくさん聞けてよかったです。
★今まで断片的にわかったつもりになっていたことが、流れやその時々のいろんなことを教えていただき、深く考えることができました。そして今まで教えていただいていた「差別の氷山」や「人権文化の温かい海で溶かそう」というのが、流れを知ってすごくすごく大事だなと思えました。
★心が温かくなるすばらしいお話であっという間でした。人ってステキだな、つながるって大切だな、教師っていいなあ、とウルウルときました。
★差別問題には小学校に通うときから関心がありました。でもそんな自分も差別はしています。それは間違いないと思います。その思いをどう見直し、つき合っていくか、これからの課題です。ありがとうございました。
★「氷山の一角論」というのがすごくストンと心に落ちました。子どもたちをつなげることが人権教育の最大の努力する点なんだと思いました。
★小学校5年の時から部落差部のことを担任の先生から教えてもらい、正義感だけで進んできたのですが、途中からこの問題は、自分の問題だと感じたところから、自分にとって元気の出る教育になりました。
 
 
 先生方の正直で前向きな感想を読みながら、これからもまた元気塾で、同和問題について考えていきたいなと思いました。
 
 
 
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 20:08 | TrackBack (0)


2008年11月8日
油断、不覚、反省、慢心、感謝
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 今日は兵庫県北部の日高町へ行きました。
通常はJRで行くのですが、今日は愛車で日高町へ向かいました。
中国道、そして舞鶴若狭道を快調に走っていき、西紀のトンネルを出て、さあ春日出口まであと1kmという所で、前方にシルバーの遅い車が1台走っていました。
「遅いなあ」 とグッとアクセルを踏み込み、スーと追い抜きました。
その直後、そのシルバーの車の天井に赤色灯が出て点灯!
そして私の車に向けて停車指示!
「あっ、やられた!」
 
出口まであと500mという所で停車させられ、私は覆面パトカーに乗せられました。
「ここは制限速度は80kmです。112kmで走っていましたから32kmオーバーです。3点減点、罰金2万5000円です。」
「ガーーーーーーーン」
 
きたないぞ!遅く走って、それを抜かさせて御用だなんて・・・ホンマずるいやり方や!
 
 実は、舞鶴若狭道のこの辺では「ねずみ捕り」をよくしているので、私も気をつけていました。特にトンネルを出た直後の坂はスピードが出やすく、注意ポイントなのです。今日もそこまでは気をつけて走っていたのですが、出口付近まで来たので油断してしまいました。それに覆面パトカーには必ず2人乗っているので、いつもはそれでわかるのですが、今日はそれも見落としていました。あー不覚じゃ!
 
 私は、ここ10年以上ずっと無事故無違反を続けており、銅賞、銀賞、金賞そして一昨年には最高の金正賞という優秀運転者として表彰もされていました。だからもちろんゴールド免許でした。それが次回は、あ〜ブルー免許に格下げされますわ。講習も受けなあかんし・・・。あ〜ショック!
 
 でも、そこから日高町までの1時間半、いろいろ考えました。
腹は立っていましたが、若い時のようにそんなにカッーと頭に血が上らなかったのです。けっこう冷静に受け止め、自分を振り返り反省しました。
 少々スピードを出していても、今まで捕まったことはないし、自分に限ってそんなことはない。最近仕事も順調にいき、はじめの頃の謙虚な姿勢がなくなっている。慢心・・・それだ。だから神様に叱られたのだ。これは怒ることではなく、むしろ感謝すべきことなのだ。自分を振り返るいい機会になったのだ。そう感謝すべき出来事だったのだ。
「神様、ありがとうございました」
 
 そう何度も言い聞かせて、自分を納得させようとしていた私です(悲)
 
 
でも「京都府警さん、ありがとう」 とは、決して思いませんわ(怒)
(舞鶴若狭道は兵庫県警、京都府警と合同で取り締まっているそうです)
 

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Posted by naka602 at 23:34 | TrackBack (0)


2008年11月6日
うれしい再会の連続
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 今週はうれいし再会の連続です。
月曜日、大阪府豊能町での講演会場で一番前でニコニコして聞いていたのは、高校のバスケット部の石田です。4年ぶりの再会です。
そして控え室に来てくれたのが
「仲島くん、お久しぶりです。わかります?阪本です」
「おーーー覚えてるよ、和子さんやろ、何年ぶりかな?」
「成人式以来だから、32年ぶりよ。覚えていてくれてありがとう。町のチラシで見て、あっ仲島くんやと思って、来たんよ」
和子さんは、中学、高校と一緒の学校でしたが、可愛くて男子の憧れの的でした。今もきれいな52才のおばちゃんでした(コラー! でも同じトシだから・・・)
 
 そして今日はまたまた再会の連続でした。今日の講演先は、朝来市中川小学校。
校長室に入ると、校長先生が
「仲島先生、お久しぶりです。私の事、覚えていますか?4年前、関宮小でお世話になった田村です」
「あっー教頭先生。あーあの時はお世話になりました」
あの時の教頭先生が、校長先生として中川小に赴任されていたのです。それで今回この学校から呼ばれたのです、その理由がやっとわかりました。
 
 中川小講演終了後、帰りの電車まで時間があったので、校長先生とPTA会長さんが「あさご芸術の森美術館」に連れていって下さいました。するとそこに車1台やってきて、一人のお母さんが走って私の方に来るのです。
「仲島先生、やっぱりそうでした。私、教え子です。名塩小の竹本です、20年前の」
「竹本さん・・・・・。田路先生のクラスの竹本さん?」
「そうです竹本です。仲島先生は隣のクラスの先生でしたが・・とっても印象に残っています。講演を聞きながら、きっとそうだと思っていました。そして家に帰ってアルバムを開いて確認しました!それで一言話したくて、追ってきました」
「ありがとう・・・・・ホンマありがとう、うれしいわ」
 
 そしてその後、JR和田山駅から特急「北近畿」で帰路につきました。
途中で車掌さんが検札にきます。
「切符を拝見します・・・・・あ、仲島先生!」
「あっ、会長さん!」
その車掌さんは3週間前に行った丹波市崇広小学校のPTA会長さんでした。一緒に学校もまわりいろいろお話をしていた会長さんです。JRに勤めているのは聞いていたのですが・・・まさかこの特急でお会いするなんて・・・・・。
 
 最後は、阪急西宮北口駅です。
さあ、家までもう少しと思って改札を出ると、目の前に背の高い方が
「仲島さん・・・・お久しぶりです」
「あ・・・・、荒川先生」
息子の高校時代(市尼崎)のバスケット部の顧問の先生です。この先生のもとで息子はインターハイに出場しました。
「荒川先生、なんで北口に?」
「実はこちらにひっこしてきたのです」
「どのあたりですか?」
「田代町です」
「えっ田代町。私のとこも田代町ですよ。近くじゃないですか」
「そうなんですね(笑)」
 ・・・・・・・・
来年、息子は市尼崎高校に教育実習に行くことになっています。
これは朝から帰りまでずっと荒川先生の鞄持ちやな・・・・(笑)
 
 
 再会って・・・とっても元気が出ます。 みなさんホントありがとうございました。

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Posted by naka602 at 21:41 | TrackBack (0)


2008年11月4日
小室哲哉 逮捕
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 今日のトップニュース 「小室哲哉容疑者逮捕」 に衝撃を受けました。
でも、ほかのみなさんと私の驚きは多分、いえ絶対に違うと思います。
 
 実は私の過去に「小室哲哉」との因縁が隠されているのです(笑)
 
 1998年4月、阪神大震災によって復興住宅が数多く出来ために新設された「西宮浜小学校」に私は赴任しました。その時の出来事です。
 新設校ということで、何から何までみんなで新しく作っていくのですが、「校歌をどうするか」で会議をした時に、私は発言したのです。
 
「小室哲哉に頼みましょう」
そんな突拍子もない発言に職員全員が唖然としましたが、私は真剣に
「最初から無理と諦めたら絶対無理です。今、絶頂期の小室哲哉に校歌をつくってもらったら、子どもたちもきっと喜び、元気を出しますよ」
「予算はどうするんだ?」
「あの大物の小室哲哉ですよ。震災復興に役立つのなら、きっとタダでやってくれますよ。なんなら私が直接ロサンゼルスの小室邸に頼みに行きますよ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
 
そんな現実味のない話は、その後すぐに消えてなくなりました。
(諦めきれない私はそのあと、じゃ岡本真夜はどうですか、って発言したのです(笑))
 
結局、校歌は作詞が校長先生で、作曲が同僚の豊田三奈先生によって、すばらしいものができました。
 
 あの時、もし本当に小室哲哉にお願いしていたら、今日の逮捕のニュースを見て、子どもたちは悲しんでいるだろうなと思います。
あーよかった、あの時、小室哲哉に頼まなくて・・・(笑)
 
 あーしょうもないブログでした・・・・・ごめんなさい。
 
 

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Posted by naka602 at 22:59 | TrackBack (0)


2008年11月2日
アホになっておどろう
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 4月当初、私はクラスのみんなに  「アホになっておどろう!」 そう言いました。
「えぇ〜いやや〜」 とほとんどの子が恥ずかしがっておどりませんでしたが、私が一人でおどるのがかわいそうと思ったのでしょう、3,4人は一緒におどってくれました。でもそれから1週間経つと10人くらいがおどり出し、1ヶ月もするとクラス全員がおどっていたのです。
「先生、アホになっておどるのは楽しいなあ」 そんなことを言ってくれるようになりました。するとクラス全体に変化が起こりました。
授業中、隣の子がのぞくと 「見るな!」 と言っていた子が 「ここわからんから教えて」 と言うし、私が机間巡視をしていると、手で隠していた子が 「先生、ここできない」 と見せてくれるようになりました。そうなのです、アホになっておどることによって、自分の心の解放もするようになったのです。できないことは恥ずかしいことではなく、そんな時はみんなで教え合ったらいいんだ、そんな雰囲気が出来ていきました。
この学年の年は、あの長野オリンピックがあった年です。長野オリンピックの閉会式では世界中の人たちが「♪輪になっておどろう♪」の歌と共におどっていましたが、このクラスの子どもたちも、その歌に合わせて、アホになっておどっていました。
 
 そんなアホなクラスの教え子H君からメールが届きました。
 H君は、今20才で和歌山の大学に通っています。「先生の本が読みたい」 そう書いてあったのですぐに送ってやりました。
 
「今日、本届きました!ありがとうございました。 で、もう読み終えました。 俺が今アホなんは先生のせいかも・・・(笑笑) そのおかげで今では自己主張が堂々とできるようになりました。恥ずかしさがなくなった・・ってそう思います。主張が強すぎることもありますが、それによって今度はどうしたら人に聞いてもらえるかがわかるようになりました。主張するなら、相手の話は聞く、って簡単そうで難しいことに気づけました。 これも元をたどれば、仲島先生の 「アホになれ」 でほんまにアホになってしまったからかもしれないです(笑) ビリーズバーベキューをおどったこと、まだ覚えていますよ。 あの学年であまり俺は目立っていなかったけど、小学校生活の中で一番楽しかったです。 先生の本を読んで、懐かしすぎてなんかびっくりしました。 教師になりたい友だちがいるんで、その子に見せてあげようと思います。 あの頃はほんまにお世話になりました。これからも日々精進して生きていくんで見守っててください。 追伸・・・今大学のフットサル部の副キャプテンになりました。また西宮に帰ったときは連絡します。(H) 」
 
 うれしい便りでした。
彼のことでこんなエピソードがあります。彼のお母さんから頂いた手紙です。
4年生の3学期、最後の参観日(音楽)の朝に届いたものです。
 
「本日の参観に出席できないのがとても残念です。少し前、「今度の参観は、仕事がお休みできないので行けないの。ゴメンね」 と言うと、「いいよ、今回リコーダーも吹かなあかんし、俺ぜんぜんできないし・・・」 と言って笑っていました。人の前で吹くとあがってしまって全然吹けないらしく、夕方から練習が始まりました。お兄ちゃんやお姉ちゃん、さらに私も巻き込んでの大騒音。練習したい息子を尻目に、自分の好きな曲を吹く姉たち・・・・・。それから1週間・・・・。昨夜の熱心なリコーダーの練習をきいて驚きました。ちゃんと吹いているではありませんか。こんなにがんばっていただなんて・・・・・・。 こんなにがんばっている息子の姿を見たかったのですが・・・、きっとみんなと楽しい演奏をしてくれると思います。「時々ピーと変な音が出るかもしれないけど、いいんだよ。みんなと楽しんでおいでね」 と朝送り出してやりたいと思います。帰ってきて、どんな話がきけるか楽しみです。1年間ありがとうございました。 (母)」
 
 Hはこの日、最高の演奏をしてくれました。
 
 
Hからの1通のメールで、いろんな事を思い出させてくれました。
ありがとうH君。
 
 
 

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Posted by naka602 at 07:03 | TrackBack (0)