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2011年11月27日
関西学院大学
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関西の私立大学の雄、関西学院大学。
「かんさいがくいん」 ではなく 「かんせいがくいん」 と読みます。通称 「関学(かんがく)」。
私は大阪教育大学卒ですが、大学の校歌も応援歌も知りません。
でも関学の校歌も応援歌も歌えます(笑)
昔から、家には、関学グッズがたくさんあります(笑)
関学OBのような気持ちの私です(笑)
今も、仕事に持っていくカバンには、関学アメフトのグッズがぶら下がっています。
 
これには、こんな理由があります。
私の高校時代の友人で、関学アメリカンフットボールをすごく応援している奴がいて
そいつと一緒に、いつも関学アメフトの試合を観に行っていました。
大学王座決定戦の「甲子園ボウル」もずっと観戦していました。
もちろん関学の応援席で。
あの頃は、関西では京大、甲子園ボウルでは日大が、最大のライバルでした。
京大戦、日大戦は、燃えに燃えました。 (野球でいうと阪神vs巨人ですね)
関学は私の中では、ヒーローなのです。
 
その名門関学アメフトが、最近は立命館大学に負けることが多くなっていました。
なかなか甲子園ボウルにも出場出来なくなっていました。
そのにっくき立命館を、この度の関西優勝決定戦で、久々に破ったのです。
11月27日長居競技場、 関学37−7立命 
やりました! やりました! やりました! 圧勝です!
関学OBではない私がまたまた興奮してしまいました(笑) ホンマうれしかったです。
 
それに今年のチームには、よく知っている子がいます。
ワイドレシーバー#16和田俊亮 私の教え子の弟です。西宮浜小の卒業生です。
(教え子も関学OBで、今、関学高等部アメフト部のコーチをしています)
そして和田君は大活躍です。
強豪立命に対して、1Qに先制タッチダウン、2Qにはなんと55ヤードのビッグプレーで
2本目のタッチダウン。 これで関学は完全に勢いがつきました。立命は意気消沈。
今日のMVPはきっと和田君です。 すごい奴です。ホンマすごいです!
 
今夜は久しぶりに興奮しました。
やった関学! 和田くんすごいぞ! 
お母さん、お父さん、お兄ちゃんよかったなあ!
 
 
テレビでは、大阪維新の会の圧勝の様子を何度も流していましたが、
私の心は、関学の圧勝に湧いていました。
次は、いよいよ甲子園ボウル。 
12月18日 vs日大です。 久々の伝統の一戦が楽しみです。 
 
 

※ちなみに、私は大学入試の時にも、関学を受験しましたが見事に落ちました。
でも今は、聖和短大の非常勤講師の給料は関学からいただいています。
聖和短大の正式名は、「関西学院 聖和短大」です。
 
 
 

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Posted by naka602 at 07:09 | TrackBack (0)


2011年11月23日
なんか変? でもうれしい。
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11月の熊本シリーズも無事終わりました。
昨年から続いている熊本県の私立高校応援プロジェクト「夢の道しるべ」講演です。
今月は3校の私立高校(国府高校、信愛女学院、菊池女子高)に行って、高校生に
「夢」講演をしてきました。関西から来た変なおじさんの話を一生懸命に聞いてくれる
熊本の高校生に感謝です。ホンマええ生徒たちです。
 
熊本での講演はもう16回になるのですが、すっかり熊本の先生方とも仲よしになり、
いつも飲み会を開いて下さいます。16日の信愛女学院の前夜も、12人で楽しいひと
ときを過ごしました。
 
 
そして21日は菊池女子高校の講演で再び熊本空港に着いたのですが、
到着ロビーには、信じられないお迎えがありました。
沖縄でずっとお世話になっていた神谷さんが、
ご主人と一緒に迎えに来て下さっていたのです。
 (神谷さんは、事前に会社に連絡して、私の到着便を調べて下さっていました)
 
「えっ?ここは那覇空港?」
「めんそ〜れ、仲島先生(笑)」
「ちがうちがう、ここは熊本や(笑)」
 
実は、神谷さんはご主人の転勤で、8月から熊本で暮らしておられます。
生まれて初めて沖縄から飛び出したウチナーンチュ(沖縄人)の内地(本土)暮らしは
笑いの連続です。(いえ笑ってはいけません) 
冬の寒さを経験していないのですから大変です。
暖房器具も初めて購入するし、服装も初めて冬物を買ったそうです。
先日、気温が10度を切ったので、近所の方に
「寒いですね。雪が降りますかね」 ってきいて笑われたそうです。
沖縄の人は10度以下を経験していないのですね(笑)
 
空港を出て、さっそく食事に行きましたが、
連れて行かれたのは、熊本の名物 「馬刺しの店」 です。
神谷夫婦は熊本に来て4カ月、すっかり熊本もリサーチ済みです。
まさか沖縄の人に、馬刺しを食べに連れていってもらうとは(笑)
とってもおいしい馬刺しを3人で楽しくいただきました。
 
「じゃあ先生、次は温泉に行きましょうか?」
「えっ?オンセン?」
「寒い時の温泉は最高ですよ。さあ行きましょう」
 ※沖縄の人は、お風呂にあまり入らないのです。沖縄はシャワー文化なのです。
  沖縄の子どもはお風呂を「プールに入る」って言うそうです。これホンマらしいです。
まさか沖縄の人に温泉に連れていってもらうとは(笑)
 
そんな沖縄人の神谷さん曰く、
「本土の人が温泉に入る気持ちがやっとわかったさ〜。体があったまるからさ〜」
寒い熊本の生活、ご主人と温泉巡りをしている神谷夫婦です(笑)
 
ということで、南阿蘇の温泉に行ってきました。
神谷さんの車は、沖縄からフェリーで持ってきたので 「沖縄ナンバー」 です。
この車で暖房は初めてだそうです(笑)
空港の辺りは、温度計は9度でしたが、南阿蘇に近づくころには、
温度計がなんと1度になりました。 神谷さんはそれを見て、
「生まれて初めて見る1度です。写真に撮らなくっちゃ!」
「センセイ見て見て、この白い息、ハーーー」
 
ホンマ笑わせてもらいましたわ、沖縄人の神谷さんに。
 
沖縄の人に、馬刺しをごちそうになり、温泉に連れていってもらうなんて・・・
なんか変? 
でも本当にうれしかったです。
神谷さん、熊本でもありがとうございました。
これから本当に厳しい寒さの冬がやってきます。
どうか風邪をひかないように、お気をつけください。
 
 
 
ちなみにこの日の私の服装は、上はブレザーだけでしたが、
神谷夫婦は、しっかりとダウンジャケットを着こんでおられました。
 
 
 

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Posted by naka602 at 21:39 | TrackBack (0)


2011年11月19日
築地先生の授業
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私が授業づくりをしていく中で、大きく影響を受けた先生が3人います。
1人目は、新任で着任した西宮・段上西小学校の桑木健次郎先生の授業。
2人目は、26歳の時に出会った奈良女子大附属小の岩井邦夫先生の授業。
3人目は、31歳の時に出会った静岡市立安東小学校の築地久子先生の授業です。
 
今日の元気塾は、3人目の築地久子先生の授業を取り上げました。
築地先生は、凄い先生なのですが、なかなか表舞台に立たない(立ちたくない)先生で
教育雑誌などの執筆も少なく 「知る人ぞ知る」 的な先生でした。
(現在66歳、もう授業を見ることはできません。築地関係の本も絶版)
 
今までも何度か取り上げようと思ったのですが、築地先生の授業分析は難しく、
どう解説していいか自信がなくて、なかなか出来ませんでした。
今回の元気塾にあたっても、準備するにあたって相当プレッシャーがかかっていました。
私自身が静岡で撮ってきた築地先生の授業ビデオを何度も見直し、大学の先生が分析
した本を読み直し、なんとか元気塾で紹介することが出来ました。
 
初めて築地先生の授業をみると、みんなびっくりします。
「こんな授業、見たことがない」
今日元気塾に来た先生も同じ感想を書いてくれていました。
「なにがなんだか、わけがわからない」 そんな授業です。
みんな、今までの授業の常識を覆されます。
先生が黒板の前で授業をしていないのです。子どもたちが自分たちで授業を進めている
のです。先生が教室にいなくてもどんどん進んでいきます。メインで討論している子もい
れば、教室のはしで話し合っているグループもいます。同じ教室内でいくつも授業が行わ
れている複線型の授業です。子どもたちは席を離れ、ウロウロしながら、授業が進んでい
くのです。今回のビデオの授業でも築地先生の声が聞こえたのは、授業が始まって
20分以上過ぎてからでした。築地先生は「座席表」に記録しながら、時々子どもたちと
「ひそひそ話」をしているだけなのです。
45分間ずっと子どもたちの発言が途切れることはありませんでした。
 
こんな授業ですが、学力はしっかりついています。(学力テストも優秀です)
そしてなにより、子どもたちの有能感が1年間で驚くほどついていくのです。
子どもたちは3月にこんなことを言っています。
・自分は先生や友達から認められている。特に先生は私を信じていてくれる。
・勉強面では、自分は必ず出来るようにようになるし、出来るまで頑張る自信がある。
・自分たちのクラスは、自分たちのことは自分たちで出来るクラスであり、自分は自分で
 やろうと思うことは自分でできる。
・先生は私たちを好きだと思ってくれている。でもまず自分で解決しなければ先生は助け
 てくれない。
 
築地先生がめざしていること、それははこんな事のようです。
・どの子どもも 「自分はけっこうやれるじゃないか」 と思えるように育てたい。
・「子どもの自立」 が大きな柱になっている。
・「個」を生かす授業づくりが徹底されている。
・授業の中で、学級づくりもしていく
・授業に、いつも人間としての生き方のメッセージ性が含まれている(人間教育)
 
 
私が講演会や研修会でよく言う言葉があります。(カードにしています)
 
「誰の顔を思い浮かべながら、授業をつくったのか」
「あの子の目を輝かせたい」
「出来るか出来ないかではなく、するかしないか」
「俺もなかなかやれる」
「自分がすき」
 
これらは、築地先生の授業から学んだことです。
 
 
 
築地先生は子どもたちにこんな言葉をよくかけています。
 
「今のままでいいの?」
 
子どもたちは、そんな築地先生の言葉に背中を押され、
「小さなジャンプ」を繰り返しながら、日々成長しているのだと思います。
 
 
 

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Posted by naka602 at 18:03 | TrackBack (0)


2011年11月18日
カムバック東井義雄
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大阪市長選挙が大きな話題になっています。
私は、元大阪市民として、一人の教育者として、一人の人間として
今回の選挙がとても心配です。
 
そんな中、東井義雄先生(1912〜1991)のことを思い出しています。
私は、4年前に、そんな東井義雄先生の本のことについて、少しコメントを雑誌に
書かせていただきました。
 
 
 
 

体育科教育(大修館書店)2007年5月号  

「私の思い出の一冊」

                    仲島 正教

 

東井義雄著作集(10)

〜東井義雄著 明治図書1972年初版〜

 

私は、ドラえもんの「どこでもドア」を使っていいなら、東井義雄校長の八鹿小学校に行ってみたい。

子どものために学校があり、子どものために教師があり、子どものために教育があるのだと子どもを第一義にすえる東井義雄校長。

どこを読んでも温かくて優しくて元気になるそんな「私の思い出の1冊」を紹介したい。

本書(10巻)は東井義雄氏の「村を育てる学力」をはじめとした著作を7巻にまとめ、別巻として「培其根(ばいきこん)」が3巻に収められている。

本書の出版から35年が経ち「東井義雄」の名前すら知らない教師がだんだん増えてきたが、今読み返してもまったく古さを感じない。むしろ教育混迷の今こそ「プレイバック東井義雄」と私は叫びたい。

格差社会、勝ち組負け組、学校選択制、教育にも競争原理、いじめ、自殺・・・そんな言葉が飛び交う世の中、改めて東井義雄氏の言葉を読み返してみる。本書にはこんな文が載っていた。

 

勉強意欲をそそるのに一番効き目のあらわれる方法は「競争」という方法である。どんなぼんやりした子どもでも競争さてみると眼を輝かせてくる。しかしこれは薬でいえば「トンプク」である。常用すべきものではない。うっかりしていると副作用を起こしかねない。互いに相手を目の上のこぶとし、あるいは軽蔑し、突き落としあい、人の失敗をほくそ笑むような副作用を、である。もちろん、この世界にはいたる処に「競争」がある。「競争」は生きとし生くるものの宿命かもしれない。そしてまた、人類のここまでの進歩は「競争」のおかげだったのかもしれない。しかし、だからといって、私たちは手放しで「競争」の意欲を育て、「生活の論理」を「競争」で貫かせていいものだろうか。「競争」を超克しながら、手をつなぎあうという方式で人間の幸福を築き得る新しい秩序が可能なのではないだろうか。

 

また「村を育てる学力」の書き出しには「私たちの夢」という詩があるが、

その後半部分を抜粋する。

 

みんなが手をつなぎ、みんなが助け合い

一人の喜びをみんなも喜び

一人の悲しみをみんなも悲しみ

わけあい、力になりあい

いばったり、いばられたりすることをなくし、

ばかにしたり、ばかにされたりすることをなくし、

男も女も、年寄りも子どもも

どんな仕事をする人も

思う存分生きられるような

そんな村にすることは

もっともっと大事だなあ

私たちはいつもそう思う。

 

現在手に入る東井義雄氏の本はわずかしかない。この著作集もすでに絶版となっているが「培其根」については、東井義雄記念館(兵庫県豊岡市)に行けば、復刻版(5000円)が手に入る。森信三氏は「我が国教育界が永く後世に伝えるべき至宝」と培其根のことを紹介している。若い教師にはぜひ読んでほしいと思う。

最後に、東井義雄校長のもとで働いていた足立威宏先生とある女の子の言葉を引用したい。

          

  東井義雄校長先生に一度でもお仕えしたことのある人ならば、誰でも、自分が一番先生に可愛がっていただいていた、わかっていただいていたという思いをもっているにちがいない。教頭さんも、学級担任も、事務や養護の先生も、用務員さんも、短気なものも気長なものも、いそがしいものも、ゆっくりものも、男も女も、そしてもし、あるならば、運動場の小石も、いちょうの木も、廊下のゴミも、中庭の水槽の亀も、椅子も、そこに掛けてある雑巾も・・・。

もちろん私もその中のひとりである。

  私が冬の朝、教室の廊下のふきそうじをしている時でした。校長先生がまわってみえて「お湯もらってそうじしているんだろうな」と言って、バケツに手を入れてみてくださいました。そしたら冷たい水だったので「えらい冷たいお湯もらっとるんやなあ、霜やけにならんようにしてよ」と言って、私の手を両手ではさんでぬくめてくださった。校長先生、私はあのことがわすれられません

 

やはり、私はドラえもんの「どこでもドア」がほしいのである。

 

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Posted by naka602 at 08:13 | TrackBack (0)


2011年11月13日
久しぶりに
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久しぶりにブログを書いています。
11月に入り、一日中完全に休みという日がなく、毎日動き続けています。
それは今週も続いていき、20日(日)がやっと一日休みになるというスケジュールです。
仕事の帰りの電車の中で、今日は帰ったら 「この事をブログに書こう」 と考えているの
ですが、家に帰ると急に疲れが出るのか、翌日の準備をするともうダウンでした。
 
講演先では、「ブログをいつも楽しみに見ています」 とよく声をかけられます。
ここでも読んで下さっているんだ、よし今夜は書くぞ!と思うのですが・・・
なかなか書けていませんでした。(ペコリ、すんません)
書きたいことはいろいろあったのです。
2日は段上小学校で、栗木先生との2人講演をしましたが、これがなかなかおもしろい。
2日はもう一つ、32年前に担任した子どもの家に突然の家庭訪問をしました。
4日は、仲野好重先生の人間塾のこと。
5日は、明石の田淵先生のこと。
6日は、松江での飲み会。 松江に行くといつも誘ってくださる原田さんたちです。
8日は、奈良市の校園長会のこと。この日も飲みました(笑)
9日は、大造じいさんとガンの研究授業のこと。これは名教材です。
10日は、熊本での時習館「夢」プロジェクトで行った熊本国府高校。
10日はもう一つ、沖縄から熊本に引っ越してきた神谷さんの寒い!と驚いている生活。
11日は、愛知県豊田市の小学校の研究発表会。500人の児童のうち100人はブラジル・ペルーなどの子どもたちです。学校にも町にもポルトガル表示がいっぱいです。
11日はもう一つ、研究発表会の帰りは途中下車して師匠の岩井邦夫先生との飲み会。
そして今日13日は、西宮市人権同和研究集会の特別部会で話をしました。
今日はなぜか話しながら涙が出てしまい、言葉に詰まってしまいました。
いつもと同じ話なのに、なぜか今日はダメでした。
 
 
そして、
今日はうれしいニュースが入ってきました。
地元西宮の、市立西宮高校サッカー部が、全国大会出場を決めたのです。
昨年の全国大会優勝の名門滝川二高を準決勝で破り、今日の決勝は神戸弘陵高を破り
見事優勝しました。名門私立を破っての公立高校の全国出場です。
実は、市立西宮高校は、夏のインターハイにも女子バスケット部が出場しましたから、
今 「イチニシ」 はノッています。 進学でも実績をあげている「イチニシ」は、文武両道で
頑張っています。
 
その「イチニシ」の3年生に、今週の木曜日(17日)に講演に行きます。
なんかうれしいです。
 
 
 
 

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Posted by naka602 at 23:58 | TrackBack (0)


2011年11月5日
航空性中耳炎
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高知県や愛媛県に行く時は、よく飛行機を利用するのですが、
この空路の飛行機が、問題のボンバルディアのプロペラ機です。
車輪が出なかったとか、故障で引き返したとか、トラブルの多い飛行機として有名です。
2年ほど前にも高知空港に胴体着陸をしました。(お〜怖!)
そして 「よく揺れる」 という噂もよく聞くのです。 
曲里先生は高知便ですごく揺れたことが原因で、それ以後高知県にはバスかJRにして
いるそうですし、私のPCメンテナンスをお願いしている鈴木さんも、ボンバルディアには
絶対乗りたくない!ってはっきり言っておられました。私が高知に行った時も地元の人が
「飛行機は揺れませんでしたか?」 と挨拶代わりに聞くのですから、よっぽどです。

欧州のある国では、ボンバルディアの故障の多さに、この機種を廃棄にしたようです。
最近ANAは、最新鋭の787を大量購入したようですが、そんなに買うのだったら、
このボンバルディアのプロペラ機を廃棄にしてほしいものです。
 
 
3日、愛媛県伊予市の講演に、伊丹空港〜松山空港をこのボンバルディアに乗りました。
行きの伊丹⇒松山までは少し揺れた程度でしたが、帰りの松山⇒伊丹は、
ずっと揺れていました。ベルトサインは一度も消えず、CAさんもずっと座ったままでした。
大きな縦揺れはなく、小刻みな揺れだったので、怖さはあまりありませんでしたが・・・・、
あーーー耳が痛い! なんでこんなに痛いんや。
 
飛行機に乗ると時々こんな耳の痛さもありますが、着陸してしまえば、自然に治って
いたのですが、今回はその後も痛いままでした。右耳がおかしい状態が続きました。
耳の調子が悪いと、講演がとてもしにくいにので、
翌日、30年ぶりぐらいに耳鼻咽喉科に行きました。
(30年前の受診は鼻の骨折です。1年生の子どもと一緒に逆上がりの練習をしている時
 子どもの頭が私の鼻を直撃し、骨折しました(笑))
 
今回の診断名は 「航空性中耳炎」 でした。
鼓膜の状態を見る波形装置で私の右耳を見ると、正常波形と大きくずれていました。
(痛いはずや) 治療後、波形は正常に戻り、ホッとしましたが、今度の熊本行きの
飛行機がまた心配になりました。
幸い、熊本行きはジェット機なので、少しは安心ですが、
そんな心配をかけるあのボンバルディアのプロペラ機は、はよ廃棄してほしい!
そう強く思っています。 
       全日空さん、日航さん頼んますわ。
 
 
 

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Posted by naka602 at 00:44 | TrackBack (0)